第27話 ぴろーとーく

 とある日の夜中。


「――きょーしろさんのために、新品のブラを買っちゃったんですよ」


 宝耀さんがそんなことを突然言い出したのは、いつものように僕の睡眠導入剤役になってくれていた時だった。


「どうしてまたそんな」


 僕は、宝耀さんと並んで横になるかたちになっていた。最近では、少しばかり話をしてから眠りにつくのが定番になっている。宝耀さんを眠るためだけの道具にしないように、ちゃんとコミュニケーションを取ろうってわけ。


「きょーしろさんが恥ずかしがらないように決まってるじゃないですか!」

「意味がわからないんだけど……」

「だってぇ。わたしのぬくもりがなーんにもない新品のブラならぁ、恥ずかしがりのきょーしろさんでも顔面をズブズブしやすくなるじゃないですかぁ」

「わかるようなわからないような理屈だけど、僕は別に新品だからなんとも思わないわけじゃないし、だいたい一度しか使えない手だよね、それ? お金は大丈夫なの?」

「むむっ! まーたきょーしろさんがお金のことを言い出しましたよ?」

「いや、お金は大事だしさぁ」


 社会人になってからは、特にそう思う。


「宝耀さんも、一応社会人になったんだし、もっとお金は慎重に使った方がいいよ?」

「なんですか、そんな文句言うならぁ」


 宝耀さんが懐に手を入れたと思ったら、すぽん、という謎の音とともに付けていたはずのブラを一瞬で外していた。なんなの、その謎技術……。


「ネイキッドバージョンを堪能させてやったっていいんですよ!? わたしが寝る時もブラをするのは、大きいせいで寝返りするとなんだか名状しがたい存在が胸を這っているような感触がするのが嫌だからですが、わからず屋のきょーしろさんにわからせてやる方を優先させます」

「ごめん、なんか。ちょっと気になっただけで、宝耀さんの気持ちをないがしろにするつもりはなかったんだ。お気遣いはありがたいよ」

「わかればいーんですよ、あっ、ちょっと背中向けていてくださいね? 付け直すんで」


 脱ぐ時の謎技術みたいに一瞬で付け直すことはできないんだな、と思っていると、宝耀さんが体を起こして背中を向けた。アラサーの紳士として、覗き見するわけにはいかないので、窓際に寝返りを打つ。


「おやぁ、きょーしろさんの視線を感じちゃいますよ? あーあ、見ないでって言ったんですけどねえ。困ったきょーしろさんですねぇ。見たいなら見たいって言っちゃえばぁ?」


 一人で勝手にはしゃいでいる声が聞こえてくる。


「完全に背中向けてるんだよなぁ……」

「ゲッ、こいつマジだ!」

「アイドルは『ゲッ』なんて言葉も禁止だからね?」

「なぜ貴様は余に冷たいのじゃ~」


 宝耀さんが僕の体をゆさゆさ揺すってくる。もう着替え、終わったのかな?


「何故急にのじゃロリキャラに? 宝耀さんの身長じゃちょっとその路線で行くのは厳しいよ」

「そうやっていっつも仕事の話ばかり!」

「マネージャーだからね」

「なんでですか、もっとわたしを『女』として見てくださいよぉ!」


 それまで背中を向けていた僕だけど、振り返ってしまいそうになった。

 だってそれ、僕に意識してほしいという告白も同然の言葉なんじゃ?

 宝耀さんは規格外なところがあるから断定はできないけれど……本当に宝耀さんが僕を恋愛的な意味で好きなのだとしたら、これからの付き合いを大幅に見直さないといけなくなってしまう。


「わたしにめろめろになったきょーしろさんに、『ふふっ、しょうがないボーヤねえ。まるで猿みたいよ? 落ち着きなさい』って大上段で見下ろすマダムプレイをするのが夢なんですから!」


 なーんだ、と僕は安心した。

 宝耀さんはただ単に、ひたすらそっけない僕が不満なだけなのだ。

 まあ、薄着で一緒に寝ているくせになんとも思わないなんて、宝耀さんのプライドが傷ついてしまうのだろう。そう思わないように気をつけているだけで、まったくの平常心でもないんだけどね。


「ほれっ、わたしを好きになってコーベを垂れなさい、ほれっ、わたしを好きになるのですぞ」


 僕の体の至るところをつんつん突っついて急かしてくる宝耀さんがとっても鬱陶しかった。押したら惚れるツボでも探しているのだろうか?


「宝耀さん。好きになった方が負けで弱い立場である、なんてルールで恋愛はできていないんだよ?」

「ちっ、ドルオタ風情が恋愛を語りやがって……」

「ドルオタじゃないよ、元ドルオタだ」

「元を付けたところで、過去をなかったことにはできないんですからね」


 別に僕は、ドルオタ時代を黒歴史とは考えていない。アイドルの追っかけをしていたこと自体は、今となっては楽しい思い出だし。ただ、当時は冷静さを失ってしまう出来事があったというだけで。


「だいたい、わたしは顔もおっぱいもお尻もなかなかの上物だと思うんですよ? それなのに、きょーしろさんがわたしを前にしてもドキドキムクムクしないのはヘンです」

「まあ僕もアラサーだからねえ。仕事柄、可愛かったり綺麗だったりする女の子と関わることも多いし、宝耀さんが期待するような初々しい反応はできないよ」

「反応……できない、と」

「そこだけ切り取るのやめてよね」


 僕に妙な疑惑がついちゃうし、また宝耀さんがアイドルから遠ざかっちゃう。どちらも得をしない。


「だいたい、言いにくいんだけど宝耀さんは言動がコメディ寄りだから。宝耀さんの普段の言動を知ってると、いくら素材がよくてもドキドキするのはちょっと厳しいかなって」


 あと大事な『商品』だし。と、僕は心の中で付け加えておく。


「なんですか! いつわたしがお笑いキャラになったっていうんですか? わたしは笑いすぎておしっこ漏らすようなことしませんし!」

「お笑いキャラの基準よ」

「むきーっ! いいからわたしに屈服しなさい!」


 宝耀さんは、背後から抱きついてきた上に、両脚をしっかり僕の体に巻きつけてくる。

 なんだかいやらしい感じがしないでもないけれど、これ、胴締めスリーパーホールドの体勢なんだよなぁ。苦しい……息がしにくくてドキドキする。

 そうしてわちゃわちゃしていると、ふとしたはずみで僕の体が宝耀さんの方を向いてしまった。

 そのまま勢いで、僕の顔は宝耀さんの胸元へ。

  

 スヤァ――。

  

 僕は宝耀さんの胸の中で眠りに落ちてしまった。


「あっ! きょーしろさんなに眠ってるんですか! 敵前逃亡ですよ、逃げるな、逃げるな卑怯者ぉ!」


 意識下の中で、宝耀さんの騒々しい声が聞こえたような気がした。

 だからといって叩き起こすようなことはなく、より柔らかい感触に包まれたような気がするのだが、とっくに眠りに落ちた僕にはもはや何がどうなっているのかわからなかった。

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