第26話 ぼくはドルオタ

 僕は大学生の頃にアイドルにハマっていた。とあるアイドルグループだ。メジャーなアイドルではなく、いわゆる地下アイドルといったようなマイナーな存在を応援していた。メジャーな方を推さなかったのは、『あの子たちにはもうファンがいっぱいいるんだし、あえて僕が応援する必要なくない?』という理由からだった。巨大資本をバックに華々しく活躍するメジャーアイドルは、冴えない大学生の自分にとって遠い存在であり、いまいち感情移入できなかったのだ。

 バイトでお金を溜めては、週末になると小さな会場で開催されるコンサートに参加する日々を送っていた。大学生になり、実家を出たことが、僕のドルオタライフを加速させた。


「やっぱりお部屋の中はCDだらけだったんですか?」


 宝耀さんがあくまで食事を続けながら茶々を入れてくる。


「さっきも言ったけど、僕は無名ヲタだったから、部屋の床が抜けそうなくらいCDを買うような面白エピソードもお金もないんだよ。多い時で3枚買う程度かな。同じCDが増えまくったら処分しないといけないわけで、そうなると推しの歌声が込められた円盤を捨てることになるわけでしょ? それができそうになくてさ」

「小心者なところは昔から変わりませんねえ」

「結局、大学を卒業するまでずっとその子の推しやってたなぁ。あれだけ熱心に一人の女の人を愛したことはなかったよ」

「立派なこと言ってるみたいだろ? カノジョじゃなくてアイドルのことなんだぜ、これ……」

「宝耀さんが茶化すならもうこの話やめるからね?」


 僕だって好き好んで笑いものにされたいわけじゃないんだよね。


「茶化してるわけないじゃないですか。面白そうなんで、もっとじゃんじゃん話しちゃってくださいヨ」

「茶化してる目をしてるよ……」

「そんな最愛の女性がいたのに、どうしてドルオタやめちゃったんですか? きょーしろさんの愛はそのていどだったんですね?」


 何故か煽ってくる宝耀さんは、自家製プリンをお椀からひっくり返してお皿に乗せていた。この期に及んでまだデザートを食べるつもりとは……。僕の分も用意してくれていたみたいだけど、流石に遠慮したい気分だ。アラサー男の胃袋は繊細なんだよね。


「めでたくというか、なんというか、メジャーデビューが決まったことがきっかけかなぁ」

「メジャーなことを嫌がるなんて、逆張りニスタのきょーしろさんらしいですね。学校では逆張りして陰キャになり、就職でも逆張りして弱小芸能事務所ですもんね」


 2つ並んだお椀のかたちをしたプリンをバックに、宝耀さんは、スマホで自撮りをする。……宝耀さんの勝ち。どの部位が、とは言わないけれど。


「ちょちょい毒吐くのやめてくれる? ……結局、推しのその子、グループがメジャーデビューする前に脱退したんだ」

「ほーん。スターになる前に逃亡とは、メジャーの世界に恐れをなしたんですね。この業界は厳しいですから、いくら才能があっても通用するとは限らないですからねぇ……。その子はちょっと賢すぎたんですね」

「どうしてド新人でマイナーな宝耀さんがメジャーの一流気取りなのかは知らないけど、まあ、そういうかわいらしい理由だったら僕もドルオタを封印するまでは行かなかったかもね」

「へー、じゃあどういう」

「熱愛発覚だよ」

「はい?」

「あ い つ 騙 し て や が っ た ん だ !」

「おや、きょーしろさんの様子が……なんか変です……」


 宝耀さんがあわあわし始めるが、もう遅い。

 アルコールに弱い僕は、立ち上がっただけでフラフラしそうな状態になっていた。


「んもう! 『ファンのみんながわたしの恋人だよ☆』だなんて散々言い腐った直後に熱愛宣言なんてファンをナメるのにもほどがあるだろ! 口でサービスするのが得意なビッチめ!」

「お、落ち着いてくださいきょーしろさん。ヤバいくらいヤバいヤツになってます!」


 宝耀さんが立ち上がり、僕を背後からフルネルソンで抑えようとする。

 背中に宝耀さんの胸の感触を感じた時、僕はとてつもなく恥ずべき言動をしている真っ最中なことに気づいた。


「ご、ごめん……当時のことを思い出して。いや、今は落ち着いたものなんだよ? 確かにアイドルは幻想を売り物にしているんだけど、アイドルを演じているのはあくまで人間の女の子だから、いくらマイナーとはいえ人の行き来が盛んな業界にいればそりゃ彼氏くらいできちゃうよね。仕事だって大変なんだしさ、キツかったり辛かったり嫌なことがあった時にプライベートで支えてくれる人を欲しがる気持ちだってわかるんだ。僕らは所詮応援することしかできないからさ……。彼女が現役の時は、僕みたいなキモオタファンでも握手会とかファンミーティングとかでもどんな時でもとっても優しかったし、嫌な顔ひとつせずに僕のどうでもいい話を聞いてくれて……振り返ってみると散々夢を見させてもらったから、怒るのはちょっと違うよなって今ならわかるし……」

「おー、よちよち。きょーしろさんはえらいですね。もしきょーしろさんのメンタルがもっとヨワヨワだったら、わたし、きょーしろさんと出会う前に顔と名前と年齢と職業を知ってしまっていたかもしれません。よーくガマンできまちたねえ」


 宝耀さんは、僕を背後から抱きしめたまま、頭を撫でてきた。


「……こういう恥ずかしいことになるから、話したくなかったんだよね……」

「きょーしろさんとサワガシは付き合い長いんですよね? 傷心中のきょーしろさんをサワガシが慰めるなんてことなかったんですか?」

「えっ? 澤樫? そりゃ大学も同じだったから、そこそこ付き合いもあったけど……」


 澤樫は僕と違ってスポーツ推薦で部活漬けの忙しい身だったから、頻繁にではなかったけれど、何度か一緒に出かけたことはある。一緒にコンサートを観に行ったこともあったな。まあ澤樫がアイドルにハマることはなかったけれど。


「そういえばあいつ、あの時僕が傷ついて様子がおかしかったことを知っていたはずなのに、『先輩、じゃあ代わりに私と熱愛しませんか!?』とか笑えねえ冗談を言ってきたっけなぁ。あの時ばかりは、僕も澤樫のこと許せなくなっちゃいそうだったよね。女性不信、って書いた辞表を叩きつけて失踪したい気分になったよ。今でこそ優秀だけど、あの頃の澤樫はちょっと人の気持ちに鈍感なところがあったんだよね」

「……サワガシ、哀れな。一世一代の告白で選ぶ言葉を間違えてますよ」


 宝耀さんが何かを言ったけれど、酔いが回っていたせいでよく聞き取れなかったよ。たぶん僕に同調して、確かに澤樫のやり方はちょっとナイですね~、なんて言ってくれたんじゃないかな。


「でも、就職先はアイドル事務所じゃないですか。やっぱりまだ未練があるんでしょ」

「いやぁ、ドルオタとしての未練はもうないんだよ? でも、やっぱり僕はアイドルが好きだし、今度は現場の人間として、アイドルを応援しようと思ったんだ。僕はもう、アイドル業界の中の人として、『アイドル』っていう『商品』がどういう仕組みで動いているのか知っちゃったから、もうドルオタ時代みたいな下心で動くことはないよ」

「そうですか。じゃあ今のきょーしろさんの『推し』は、もっぱらわたしということになりますね?」

「マネージャーとしての『推し』は宝耀さん一択だよね」


 そう言うと、宝耀さんが顔を綻ばせたのが見えた。


「なにニヤニヤしてるの」

「に、ニヤニヤなんてしてませんがな! これはアルコール! アルコールのせいで表情が溶けちゃっただけです!」

「アルコールにそんな作用はないし、だいたい未成年アイドルが堂々飲酒したようなこと言うのダメ!」


 もちろん、ワインを飲んでいたのは僕なわけで、宝耀さんは一滴もアルコールを口にしていない。宝耀さんも下手なこと言うのやめてよね。炎上しちゃう。


「でもでも~、いいんですか? わたしはアイドルですし、こうしてきょーしろさんと一緒に暮らしてることがファンの人たちにバレたら、第2、第3のきょーしろさんが生まれてしまうかもしれませんよ? 今度は惨劇を回避できるとは限らないかもですねえ」


 かたちの上では、アイドルとほとんど一緒に住んでいて、眠るベッドが同じという状況は、宝耀さんが懸念する通りなのかもしれないけれど。


「その心配はないよ。宝耀さん、ファンいないでしょ?」

「アイドルやぞ! わたしのマネージャーとして不適切極まりない発言ですよ! その様子じゃ、わたしと熱愛する気もないんですね!」

「え? どうして僕が宝耀さんと熱愛を?」

「んふぅ! んふぅ!」


 言語能力を投げ捨てるくらい激昂しているのか、宝耀さんは鼻から強く息を吐き出すだけになる。鼻の穴が広がっているけれど、アイドル的には超NGだよ、それ。


「んふぅ! わたしだって意識してませんがきょーしろさんから拒否られるのはシャクんふぅ!」

「その語尾はウケないと思うなぁ」

「違うんふぅ! 鼻の中に異物感があるので、こうやって外に噴射させようとしてるだけんふぅ!」

「レッスンの前にアイドルの心構えをしっかり勉強させなきゃいけなかったよね……」


 僕はティッシュを手にして、宝耀さんの鼻に当てた。


「ほら、いつまでも鼻の中で異物を遊ばせてるわけにもいかないでしょ? ふんっ、ってして、ふんっ、って」

「きゅん! なんだかきょーしろさんがとっても優しいきゅん!」

「チョロすぎるよ宝耀さん。あとその語尾もウケないよ」

「違いますよ、これはきゅんきゅんした胸の高鳴りをですね……ともかくその献身性、わたしをどれだけ大事に思ってるかわかっちゃいましたよ。あっ、取れました」


 すっきりしたらしい宝耀さんは、少し前まで激昂したことも忘れて、ニコニコしながら、僕の手にある使用済みのティッシュを指差して。


「ファングッズ第一号ですね」

「ただのゴミ以外の何物でもないよ」


 やっぱり宝耀さんは、一度アイドル業界の先輩からアイドルのなんたるかをイチから教わった方がいいのかもしれない。

 まさか夕食会のシメがこれとは……。

 果たして宝耀さんに熱心なファンができるのか心配になる僕だった。

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