第23話 海奈ちゃんと収録 その2
そして再び、宝耀さんのボーカル録りが始まる。
宝耀さんは、ブースの向こう側、つまり僕の方を見ていた。
今はまだ半信半疑の表情だ。
僕だって本当にこれが宝耀さんのためになるのか、わからない。
けれどもう、迷ってはいられない。
宝耀さんの助けになると信じて、やりきるしかない。
僕が彼女を、アイドルにしないといけないんだから。
「為田さん、その格好、もしかしてガチ勢ですか?」
「ええ。学生の頃は猛者としてならしたものですよ」
僕の格好を気にしたらしいエンジニアさんが、声を掛けてくる。
「騒いだら、僕の声まで入ってしまいますか?」
「向こう側には音声が届くことはないんで、好きにしてくれて結構ですよ」
なんとなく、微笑ましいものを見るような視線を向けられてしまう。
よかった、理解のある人で。まあ、この手のエンジニアさんはゴリゴリに硬派な楽曲からアイドルソングまで幅広く手掛けるわけで、その辺の文化にも理解があるのも当たり前か。
録音ブースにいる宝耀さんに向かって、歌うよう指示が飛ぶ。
ヘッドホンを付けて、マイクと向かい合っていた宝耀さんの視線がこちらを向いた。
宝耀さんが、僕を頼りにしている。
僕は、特撮の変身アイテムのごとく、懐から小道具を取り出す。
ペンライトである。
僕は頭に白いはちまきを巻き、スーツの上からピンクのハッピを羽織っていた。
学生の頃のドルオタスタイルそのものな格好になっていたのだ。
僕の車の中には、いつだってこのドルオタ装備が積まれていた。当時のグッズではないプレーンなものだけれど、初心を忘れないようにするお守り代わりだ。
宝耀さんが、ブース内にいると水槽の中にいる気がして調子が出ないのなら……ここをライブ会場のような雰囲気に変えてしまえばいい。
そのためには、僕がここから『推し』を盛り上げまくらないといけないのだ。
宝耀さんが歌い始める。
それと同時に、僕はペンライトを振り回し、デンプシーロールのごとき激しい動きで上半身を躍動させながら。
「せーかいいち、かわいいかわいい、か~いなッ!」
即席のヲタ芸を披露する。
ここはスタジオで、ライブ会場ではない。恥ずかしい気持ちがないと言ったらウソになる。ライブ会場と違って、ここには僕しか声を張り上げて踊っている奇特な人間はいないのだから。
けれど、恥ずかしがっていては、宝耀さんをライブ会場にいるような気分にさせることはできない。
宝耀さんを、水槽の魚の気分から抜け出させるために。
僕は声を張り上げ、踊り続けた。
彼女は、分厚いアクリルガラスの向こう側にいる。
僕の声が届くことはない。だって、そのために設えられているものだから。
武道館の最後列から声を張り上げる方が、よっぽど届くことだろう。
まるで宝耀さんが、手の届かない、僕の推しアイドルのように見えてしまう。
それこそ、学生の頃に憧れまくったアイドルみたいに。
ただ応援するだけで満足していたあの頃を思い出す。
宝耀さんが、ちらりとこちらを見る。
すると、僕に向かってパチリと片目を閉じてみせた。
ファンサでもしてきたみたいだ。
初めてだろうに妙にサマになっていて、マネージャーなんてやめて推すだけのファンになりそうだった。
それからの宝耀さんは最後まで真剣な表情で歌いきった。
こんなにも深く集中できる子だったなんて、僕は知らなかった。
そしてついに、プロデューサーからオーケーが出た。長い戦いが終わったのだ。
「きょーしろさん!」
録音ブースから出てきた宝耀さんは、満面の笑みを浮かべて僕の名を呼んだ。
その表情を見ただけで、やってよかったと思える。
「なんだかと~っても不思議な踊りでしたね! わたしちょっとMP吸い取られちゃいました! うふふ、キモい~」
「ちょ、キモいは余計でしょ……」
宝耀さんのために全力で踊ったんだからね?
「宝耀さんが大人気になってライブするようになったら、僕みたいなガチ勢の動きをする輩がわんさか出てくるんだから。キモいとか絶対言ったらダメ。僕に言うのはいいけど、クセになっちゃうからさ」
「やだな~、冗談ですよぉ。照れ隠しですってば」
ニコニコな宝耀さんは、正面衝突する勢いで僕の目の前までやってきて。
「これでMPの回復ですよ!」
僕を包むように腕を回してきた。
「きょーしろさん、めちゃくちゃガチのアイドルオタクさんだったんですね」
「うん、まあそうなんだけど……ほら、離れて離れて」
こんな場所で、抱き合うかたちになるのはマズい。
「きょーしろさんがキモいおかげで助かっちゃいました!」
「うん、僕のことはいいけどさ、問題になるから『キモい』だけは使わないように気をつけてくれるかな? あと離れて」
褒めてくれているのかけなしているのか全然わからないなぁ、などと思っていると、頭がぼんやりし始めていることに気づく。
宝耀さんが抱きしめてきた時、僕の顔はちょうど宝耀さんの胸元に当たるかたちになっていた。
マズい、これは……ほぼ強制的に眠りについてしまう流れ……。
なおも宝耀さんはキャーキャーと何かを言っているのだが、僕の意識は次第に曖昧になっていく。
そしてとうとう、抗いがたい睡魔がやってきて。
――スヤァ。
とても久しぶりに全力のヲタ芸をしたことで、消耗していたこともあったのだろう。
その場で眠りの世界へ旅立ってしまうのだった。
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