第20話 海奈ちゃんが商店街にぶっ込んでみた

 そして、撮影が始まった。

 撮影班は『パーフェクトプラン・プロダクション』から派遣された、某どう◯しょう感のあるミニマルな人数だった。ひよこオフィス自体は弱小なのにこうして本社が協力してくれるのには理由がある。数年前だったら、ハンディカメラ片手の僕がカメラマンも兼任しないといけなかったかもしれない。

 宝耀さんがインタビュアー役になって、店の人たちにこの商店街の良いところを語ってもらうというのが、大まかな流れだった。


「ども、こんにちは、新人アイドルの宝耀海奈ですっ」


 宝耀さんが、カメラに向かって語りかける。晴れやかな笑顔だった。


「今日はここ、橋戸はしこ町の群青商店街に来てまーす。素敵なお店がいーっぱい並んでますけど、まずはあそこのお煎餅せんべい屋さんに行ってみたいと思いまーす!」


 カメラに追いかけられながら、マイク片手に宝耀さんが向かった先は、いかにも老舗な感じがある煎餅屋だった。店先に立っているだけで香ばしい匂いがして、小腹が空いている身としては食欲をそそられた。

 とりあえずは上々の出だしだった。噛むことも声が上ずることもなく、いい意味でいつもの宝耀さんだ。ちなみに宝耀さんは本名でアイドル業界に殴り込みをかけると決めたらしい。


「なるほどー、いろんなおせんべいが丸っこいケースの中に入ってますよ。素敵なお店ですねー。店内はどうなっているんでしょー、ちょっと入ってみましょうかね、ガララー」


 コントの出だしみたいなアドリブは余計かな。

 煎餅屋の店主であるおじいさんが出てきて、宝耀さんと並んで立つ。

 宝耀さんにマイクを向けられた店主は、店の歴史をざっと語る。おじいさんな見た目の店主の祖父の代から続いているらしく、やはり歴史ある店だったようだ。……って、僕は事前に台本を見ているので、店主が何を語るのかはだいたい把握しているんだけど。

 軽い打ち合わせはあったとはいえ、宝耀さんは店主とスムーズにやりとりしていた。元々陽キャで人見知りのしない子だしね。職人気質でちょいと気難しそうだった店主の顔もにこやかになっているし。まるで久々に孫に再会したような顔をしている。

 店主の語りが終わると、自家製のせんべいを実食することになる。


「わ。これいただいちゃっていいんですかー!」


 コレよコレ、コレを待ってたのよ、って顔に、まったくウソがなかった。お腹を空かせていたことによる極上のリアリティだ。でも口の端によだれを輝かせるのはNGかな。目立たないからカットにはならなかったけれど。

 できたての丸い醤油せんべいを手にした宝耀さんは、さっそくかぶりつく。


「んほぉー! すっごくおいしいです!」


 喜ぶ、というより、アヘ顔ダブルピースで悦ぶ感じの奇声を上げたのは置いておいて、美味しそうなのは伝わった。

 僕が想定していたよりずっと上手く煎餅屋の紹介を終えた宝耀さんは、続く魚屋、肉屋、どの層の人間が購入しているのかわからない謎服屋の紹介も、滞りなくこなしていく。

 最後は、店ではないが商店街の一部として扱われている小さなボクシングジムの紹介になる。

 試しにミット打ちをさせてもらうことになり、帽子だけ脱いだものの、衣装のままの宝耀さんがパンチを繰り出すと、そのたびに胸が揺れたりスカートのスリットから太ももがチラリしたり、歴史ある商店街らしからぬ煽情的な映像が撮れた。ただ、ミット打ちの時の宝耀さんのフォームはやたらと綺麗で力強く、鮮やかな破裂音とともにパンチを炸裂させていて、ジムの会長から熱心に入会を勧められるレベルだった。


「――はっ! もしかしてあのトレーニングの日々は、この時のため!?」


 撮影終わりのロケバスの中で、宝耀さんがそんなことを言ってくる。


「そうだよ、社長が提案することには、いつだって何かしらしっかりした考えがあってのことなんだから」


 半信半疑だった宝耀さんと違って、僕は初めから社長には何らかの意図があるってわかっていたけどね。


「なるほどー、あのおちびもちっちゃいなりに色々考えてるんですね」

「社長に失礼なことを言ってるのはこの際目をつぶるけどさ、それ、あんまり食べすぎないようにね?」


 宝耀さんは、お土産として受け取った鯛焼きやらせんべいやら中華まんが入った紙袋を抱え、その場でもちゃもちゃ食い散らかしていた。


「安心してください。これはおやつです」

「おやつの量じゃないんだよなぁ」


 また体重が増えて今度はもっと過酷な減量を社長から命じられても知らないからね。

 まあ、宝耀さんは僕の想像以上に良い働きをしてくれたし、これくらいのご褒美はあってもいいだろう。僕も上機嫌だから、怒る気にはなれない。

 僕たちは、ロケバスという名のハイエースに乗って、一旦事務所へ帰還するつもりだった。僕と宝耀さんは車の最後列に乗っていた。

 ちなみに宝耀さんは、戦利品を独り占めしているわけではなく、撮影に関わったスタッフにもきっちり分け与える心配りをしていた。わりと気遣いだってできる子なんだ。僕には一切分け与えてくれなかったけれど。


「なんですか、きょーしろさんは。物欲しそうな目で見てきて」

「いやぁ、別に」

「ほしいならほしいと言えばいいんです」


 ほらほら~これが欲しいんだろォ、と宝耀さんは気円斬みたいな丸いエビせんを僕の前にちらつかせてくる。


「勘違いしないでほしいなぁ。車内が食べ物臭くなって迷惑だなって思ってただけだよ」

「臭くないですよ。みなさんもそう思いますよねー?」


 宝耀さんが、前の席の人たちに声をかけると、撮影スタッフの面々は『ぜーんぜん臭くないよー』と返事をしてきた。ふん、食べ物で買収された人間なんて信じるに値しないんだからね。


「じゃあ臭いのは食べ物じゃなくて宝耀さんなのかもしれないね」

「臭くないですよ! もうっ、なんなんですか、わたしをガチ臭キャラにしようとしないでもらえますか? デビューしたばかりの出来たてほやほやのアイドルやぞ! イメージ、イメージを大事にしてください!」


 宝耀さんは憤慨した様子で、ビニールに入ったサンマをぶんぶん振り回してくる。……臭いのは冗談だったのだけれど、紙袋の中にナマモノまで入っているのなら、本当に何かしらの臭さがあったのかも……。


「最近ちょいちょい思うんですけどー、きょーしろさんはだんだんわたしにいじわるになって来てませんか?」

「慣れてきただけじゃないかな」

「ほーん。わたしの体の感触に慣れまくってすっかり彼氏気取りでわたしをいじいじしてくるんですね?」

「他の人がいるんだからあんまり誤解を招くようなことは……」

「んま! わたしを臭い子だと誤解させるようなことした張本人がそれを言いますか!」


 しまった。返す言葉もない。


「ごめん、悪ふざけがすぎたよ。親しき仲にも礼儀ありだよね」

「わかればいーんです。でも、きょーしろさんには失礼なこと言ったペナルティとして、このお菓子をあげないの刑に処しますからね」


 宝耀さんは、紙袋を抱えて、羊羹を取り出してもっちゃもっちゃと咀嚼を再開した。

 僕の不手際のせいで変な空気にしてしまった。宝耀さんにはこれからももっとがんばってほしいから、変な空気のまま家に帰ることになるのはよくないよな。


「宝耀さん、今日の仕事っぷりよかったよ。想像以上だった」


 担当アイドルのモチベーションを上げる。これも技術のうち。


「そうですね。安心してわたしに任せたきょーしろさんは、ふんぞりかえってずっと見てるだけでしたもんね。いる意味あったんですか?」


 褒められたところで僕を許す気はないらしく、キツい言葉が飛んでくる。


「いやぁ、僕が口出すまでもなく宝耀さんが上手いことやってくれたから」

「ですね、わたしがこの調子でひよこオフィスに金の雨を降らせる大活躍をしたら、きょーしろさんはわたしの権限でクビになってしまうかもしれませんね」


 なんだか恐ろしいことを言い始めた。


「まあ、きょーしろさんにはいろいろお世話になったことはたしかですし? わたしの召使いはもう無理でも椅子の役くらいには使ってあげますよ」


 宝耀さんは、つーんとした顔で、なおも紙袋からお土産を取り出す。事務所へ帰還するまでに食い尽しそうな勢いだ。

 この顔つきには見覚えがあった。

 社長から減量を命じられて、やさぐれていた時の表情と同じだ。

 こういう時の対処法を、僕はあの時学んだはずだ。


「僕はずっと宝耀さんのマネージャーでいたいんだけどなぁ。だって宝耀さんほどの逸材はそういないからね」


 できたてふんわり食パンにかじりつく宝耀さんの眉が、ぴくりと動くのが見えた。


「宝耀さんがどれだけ可愛いか世界中に広める伝道師の役割を、ぜひ僕がしたいと思ってるんだ」


 宝耀さんは別にチョロいわけじゃないと思うけど、『可愛い』というひねりのないストレートな言葉に加えて、どういうわけか『世界』って言葉にも弱いらしかった。狭い田舎出身だから、外の世界への憧れが強いのかもしれない。この調子だときっと横文字にも弱そうだ。


「カワイイのシンボルとして、宝耀さんには世界のアイコンになれるポテンシャルがあると思ってるから」

「きょーしろさんの魂胆はわかってます。そうやっておだてたって、なにも出ませんからね? そもそも『可愛い』の連呼は失格もいいところです。単なる事実をつらつらと述べられても、反応に困っちゃいますので」


 宝耀さんはつれない態度で、車窓の向こう側へ顔を向けてしまう。

 あっ、失敗だったかなと思っていると、そっぽを向いた宝耀さんが、手のひらに今川焼きを乗せてこちらへ差し向けてくる。


「……お菓子をあげないの刑に処すのは延期してあげます」


 なかなか差し出した今川焼きを手に取らない僕を不審に思ったのか、ちらりとこちらに向けられた頬は、夕焼けのせいかなんなのか、ほんのり赤く染まって見えた。


「なんなんですか、いらないならわたしが食べちゃいますからね!」

「いやいやいや、いるよ、超いる!」


 宝耀さんが再びご機嫌ナナメになってしまう前に僕は宝耀さんからの贈り物を手に取り、早速かぶりつく。


「うまっ、うまいなー。元の味もさることながら、やっぱり宝耀さんの手汗込みなのが最高の隠し味になってるよね」

「きょーしろさんはよけいなことを言わずにはいられないんですか? 信じられないくらい気持ち悪い発言ですよ?」


 毒を吐いてくる宝耀さんだけれど、その表情には不機嫌ではなく穏やかな微笑みが浮かんでいた。よかった。機嫌を直してくれたみたい。


「きょーしろさんはヘンにベテランぶりますけど、未熟にもほどがあるマネージャーさんですよ。わたしが相手でもかんたんに振り回されちゃうんですから」


 この時、宝耀さんとの気持ちのズレがなくなった気がした。

 なんだろう、これ。餌付けをされたからってわけじゃないけれど、胸の底がほんのり暖かい気持ちになる。

 学生時代に戻ったようなむずがゆさを感じそうな甘ったるい空気を感じるものの、あいにく車内には僕ら2人以外にも人がいるわけで。

『トゥ~~~~~、スウィ~ト!』

 車内にいた3人のスタッフ(全員僕よりずっとおっさん)に、おもくそ冷やかされてしまった。いや、彼らが言っていた意味はわからないけれど、きっと冷やかしだろう、たぶん。

 やたらと甘々になった空気を充満させて、4人のおっさんと1人の美少女を乗せたハイエースは、事務所へ向かっていくのだった。

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