第15話 トレーニング・デイ
翌日。
僕は、県内にあるスポーツジム『ゴルドー・ジム』に来ていた。
澤樫指導の元、宝耀さんがトレーニングするのを見届けるためだ。
24時間営業のこのジムは、器具がずらりと揃っていて、清潔な印象があり、気分よく体を動かせそうだった。
付き添いとしてジムに足を踏み入れる必要があることから、僕まで運動着になっていた。
「わ。なんか面白そうな道具がいっぱいありますね!」
宝耀さんは、まるで遊園地を前にしたような期待感をジムに向けていた。減量を嫌がっていた宝耀さんなだけに、ノリ気になってくれてよかった。
宝耀さんは、Tシャツにショートパンツにサポートタイツ姿でもサマになっていた。等身のバランスが良くて背が高いからかもしれない。
「宝耀さんって、学生の頃なんか運動系の部活とかしてたの?」
僕は訊ねてみた。日頃の身のこなしから考えて、僕みたいな運動素人ではなさそうだけど。
「いーえ。部活ができるほど生徒の人数いなかったんで」
立ったままストレッチを始めながら、宝耀さんが言う。どことなく寂しそうに聞こえた気がした。
「でも、山育ちなんで体力には自信がありますよ!」
「あら、そんな自信満々なこと言っていいのかしら?」
宝耀さんの後ろから、澤樫が現れる。
「練習の厳しさに音を上げないといいのだけれど」
自信満々な我が後輩は、宝耀さんと似たような格好をしながらも、Tシャツの下には、体にぴったり張り付くような長袖のアンダーウェアを着ていた。肩口程度の黒髪は、今日は後頭部のところでちょこんとまとめられていた。
やっぱりパッと見は、とても運動部の強豪には見えないんだよね。小柄だしさ、ムキムキな感じはしないし。
「なにおう! わたしのゴリラパワーを侮らないでもらえますかね!」
「そこでゴリラを自称するのは宝耀さん的にはアリなの?」
「普段はナシですけど、サワガシに侮られる方がずっと悔しいですから!」
澤樫相手だとやたらと対抗意識を燃やすところがあるなぁ。あと一応澤樫は宝耀さんの部下でもなければ年下でもないから、呼び捨てはやめてあげて。
「ところでさ」
僕は、ぼんやりと気になっていたことがあった。
「澤樫ってやっぱり腹筋割れてるの?」
僕は自分のお腹をさすさすしながら聞いてみる。
運動部の強豪として数々の伝説を打ち立てた澤樫の体つきがいったいどれほどのものか、単純に興味が沸いたのだ。
澤樫の表情が、スンッ……と『無』になったように見えた。
「先輩、女子にそんなこと聞きますか? デリカシーって概念あります?」
厳しい言葉が飛んでくる。
しまった。これじゃセクハラ扱いされるかもしれない。
「ごめん、今のは訴えられてもしょうがない失言だったな」
「べ、別にいいんですけど、先輩だったら――」
「はーい、わたしぜんっぜん割れてなんぞおりませーん!」
何故かもじもじし始める澤樫を遮るように、宝耀さんが手を上げて割り込んできて、お腹を突き出してくる。
「きょーしろさん、見ます? これがなかなか愛くるしいんですよー」
「君、でぶ扱いされて落ち込んでなかった? お腹がぷよってるのはいいの?」
「これはこれでかわいい感じがするんで、イーンデス!」
宝耀さんの価値観は未だによくわからない。女子特有の「かわいい」だけで万物を表現しようとする性向とはまた違うような。
「あっ、でもきょーしろさんはわたしのお腹がどんなか知ってましたよね」
よけいなことしちゃいましたね、なんて宝耀さんはさっさとお腹を隠すのだが、穏やかではないヤツが現れた。
「は? どういうことなの?」
目を見開き、背中から闘気を発しているように見える澤樫だ。
宝耀さんがとっても紛らわしいニュアンスでモノを言ったことは、僕でもわかった。
澤樫は真面目だから、僕が宝耀さんに対してよからぬことをしでかしたと勘違いしているのだろう。
「どうして先輩が海奈さんの裸体を把握しているというのかしら?」
いや裸体て。こりゃ完全に勘違いしているな。
「違うんだよ、澤樫が思っているようないやらしいことじゃなくてね」
宝耀さんを枕にしていることがバレたらマズい、どんな正当な言い分があっても信用してくれないかもしれない、と感じた僕は、慌てて釈明に走る。
「同じ部屋で暮らしていれば、お互いのポンポンを見ちゃうことくらい何度もありますよねー」
「同じ……部屋で?」
「そ、そうなんだよね!」
宝耀さんが枕の件を暴露しないでくれて助かった。深刻な事態に発展することは避けられそうだ。このくらいならまだどうにかなる。
「実は宝耀さんは、まだ住む場所が決まってなくて、家探しが済むまでうちにいてもらっているんだ。そんな状況だから、お腹だして寝転がってる宝耀さんを見ちゃうこともあるよねってだけの話だよ」
「んもー。きょーしろさんはわたしを降参した犬みたいに! お腹どころかわたしのおっぱ――」
「おっぱじめたことがあるからどんなお腹か知ってるわけじゃないんだよね!」
さすがにおっぱいも見たことがあると知られてはマズい。誤解が加速する。
「な、なんですか急に。先輩らしからぬ下品な物言いになって」
僕の知る限り、澤樫は下ネタが苦手だ。僕の体育会系に対する勝手な偏見として、挨拶のように下劣なジョークを言い合う人種、という決めつけがあったのだけれど、澤樫は違うみたい。まあ澤樫みたいな真面目な子が、実は下ネタ上等でした、なんてことになったらショックだからいいけど。
「澤樫に勝手な想像をされると困るから話しておくけど」
僕は、特殊な事情から宝耀さんをスカウトすることになった経緯を、澤樫に話した。この辺は澤樫にもしっかり知っておいてもらった方が後々都合がいいだろうから。
「なんだ、そうだったんですね」
なんだかんだで、澤樫とは長い付き合いだ。僕がアイドルの卵を自宅に連れ込んでいやらし天国に耽っているのではないとすぐにわかってくれた。
「しかし人助けとは……やはり先輩は、変なところで急に男らしくなる時がありますね」
「あっ、こいつまたきょーしろさんの前でメスの顔をしおってからに……」
「な! そんな顔してるわけないじゃない! 言いがかりはやめてほしいわね! 先輩の家に居候している、ル◯バより役に立たない迷惑な海奈さんに呆れ果てているだけよ!」
「役に立ってるんですけどぉ? だってわたしはきょーしろさんのためにこの体を提供して枕――」
「はい、ストップ!」
宝耀さんが我が家の真実を口にしそうになったところで、僕は慌ててドラゴンストップ、もとい宝耀さんの口を封じた。我々は殺し合いをしているんじゃないんだよ。
「2人とも、アイドルとマネージャーで立場は違うけど、同じ事務所の仲間同士なんだから! ケンカするのはナシだ」
このままディスり合いが続いたら、売り言葉に買い言葉で宝耀さんが何を言い出すかわからないからね……。
「澤樫も、宝耀さんはこんなだけど、一応うちの大事な『宝(商品)』なんだ。別に下手に出てヘコヘコしていろ、とは言わないけど、気分よくアイドル活動できるように手綱を握るのも、僕らの仕事だからな?」
「はい、すみません……気をつけます」
澤樫は、しゅんとして見えた。
うーん、やっぱり叱るのは苦手だ。いつも明るい澤樫が落ち込む姿を見ると、やっぱ叱るべきじゃなかったかな、と思ってしまう。後輩と接した経験が少ないせいもあるけれど、僕はあまり人の上に立つことに向いていないのかもしれない。
「ぶははは! どうです、長年ストーキングした先輩から怒られる気分は! これは大ダメージは避けられませんねえ! いい気味です! メンタル大崩壊でメシがうまい!」
「……宝耀さんだって、悪いんだからね?」
「あだだだだ! きょーしろさん、肘が! 肘が! 本来曲がらない方向に極まってるんですが? アイドルやぞ!」
大事な後輩に追い打ちをかけるとあれば、いくらこれまた大事な『商品』が相手でも容赦をするわけにはいかない。
僕は、宝耀さんを解放すると、揉める2人に対してこう提案した。
「今日はせっかくだから、トレーニングをしながら2人が仲良くなる方向性で行ってみようか」
アイドルとマネージャーは二人三脚の関係性。
ひよこオフィスは少人数だ。ライバルとして反目するのではなく、協力し合わないといけない。澤樫は、担当している本道さんとの連携は抜群だから、宝耀さんが相手だって上手くやっていけるはず。
「そうやってケンカするのはよくないよ。お互い大人にならなきゃね」
建設的な意見で、否定されることは想定していなかったのだが。
「……きょーしろさん。まるで自分は関係ないよね、と言わんばかりの顔してますが、ちょいとニブちんすぎやしないですかねえ……わざとだったらそこらのアイドルよりずっとあざといですよ」
「……先輩のサイコ、誰のためにこうなっていると思ってるのよ。……言わないでも気づけとは言わないけど、いい加減なにかしら察しなさいよ……」
呪詛をつぶやくような2人は、同時に呆れ果てる視線を僕に向けてくる。
どういうわけか、急に気が合う姿を見せる2人だった。
あれ? 僕なんかやっちゃいました?
宝耀さんと澤樫が共闘して僕を袋叩きにしかねない不穏な空気が流れていた。
「おっ、早速なんか2人とも通じ合っちゃってるね! じゃあその調子で、レッツトレーニングだ! ハッ(笑顔)!」
僕は、コンテスト中のボディビルダーみたいな輝く笑顔で場の空気を誤魔化し、共闘をし始めた2人を半ば無理矢理、ジムの奥へ連れて行くのだった。
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