第13話 眠れんバトル

 僕の不眠症は、完治したわけじゃない。

 宝耀さんには、『僕を治してくれた君が必要なんだ』と言ったものの、やっぱり方法が方法だし、マネージャーとアイドルが近い位置にいるのは問題なので、毎晩宝耀さんの力に甘える気はなかった。たまーに、力を貸してもらうだけでいい。

 でも今夜はまだ、宝耀さんが我が家にいる。

 就寝の時も、同じ空間にいることになるわけで。

 僕は宝耀さんにベッドを譲り、ソファで眠ろうとしていた。

 よく考えれば、女の子の胸の感触によって睡眠の質が変わるなんておかしな話はないわけだし、本当は治ってるんじゃないの? なんてことを期待していたからだ。

 けれど、0時に就寝してから1時間経っても、一向に眠気が訪れる様子がなかった。


「きょーしろさん、意地張ってないでこっちくればいいんですよ」


 まだ起きていたのか。ベッドに入った瞬間に熟睡モードになっていたからとっくに寝たものとばかり思っていたのだけど。


「だいじょうぶだよ。宝耀さんが同じ空間にいれば、そのうち眠れるはずだから――」


 僕は言葉を終えることなく、驚いてしまった。

 いつのまにか宝耀さんが、すぐ目の前にいたからだ。


「こっちに来やがれってんですよー、おらぁ」


 僕は、やたらと力の強い宝耀さんに引っ張られ、ベッドに向かって放り投げられてしまう。


「枕になれや、おらぁ」

「なんなの、急にどうしたの」

「安眠できないんじゃ、おらぁ」

「眠れないのはわかったからさ、その可愛くもなんともない語尾やめない? アイドルに必要なモノをグングン失っていっている気がするよ」

「わたし、枕が変わると寝付きが悪くなるタイプなんですよね。きょーしろさんを枕にしないと寝れません」

「そういう風になるのって、使い馴染んだ枕の場合じゃない? 君まだ僕の家に来てから2日程度しか経ってないよね?」

「それはそうなんですが、きょーしろさんと1日中ベッドで過ごしたせいでわたしはすっかりきょーしろさんに体が慣れてしまったみたいなんですよ」

「語弊を招くような言い方やめてくれるかなぁ」

「なんですか、きょーしろさんがわたしの誘い待ちだってことわかってるんですからね」


 そんな意図あるわけないよ、とは言えなかった。

 睡眠の快楽を久々に味わってしまったせいで、今日はもう眠れないでいいや、と済ませることができなくなっていた。


「ほーら、きょーしろさんが好きなわたしはここにいるんですよ?」


 両手を広げて、宝耀さんが言う。


「いや、好きとかそういうことじゃなくてね」

「なんですか、はっきりしないですね! わたしがいないともう生きていけないのなら好きって言ったも同然なんですよ!」


 あながち間違っているとは言い切れないので、複雑だった。

 ただ、宝耀さんはあくまで恋愛的な意味で『好き』と捉えているわけではなさそうだ。体は育ちまくっているくせに、その辺妙に純粋なところがあるから。田舎育ちだからかな。違うか。

 宝耀さん自身が誘ってくれたおかげで、何の後ろめたさも持つ必要がなくなり、睡眠欲は爆発しそうになっていた。

 そんなわけで僕は、以前と同じく宝耀さんの胸を『枕』にしてしまう。

 着衣なら仮眠、裸なら1日中でも可能なくらい深い眠り、というわけのわからない体質になっている僕だけれど、いくらなんでも裸のおっぱいに顔を押し付けるようなことはもうしたくなかった。


「えー、でも、きょーしろさんはそうしないと眠れないんですよね? べつにわたしはいいんですよ? 人助け感覚ですから」


 宝耀さん本人が、そう言ったとしてもだ。


「でも僕マネージャーだからね。スキャンダルになりそうなことはご法度でしょ」


 たとえ、ひよこオフィス所属のアイドルが週刊誌に追われないレベルでマイナーだとしても、だ。プロフェッショナルな社会人として、その辺の線引はきちんとしなければいけない。


「じゃあ、こうしましょう! これならけっこうな時間きょーしろさんを眠らせることができるはずです」


 宝耀さんなりの折衷案として、彼女が敢行してきた手段は。


「えいっ」


 宝耀さんは、パジャマにしているゆったりスウェットを着たまま、裾から僕の頭に被せてきた。

 思いも寄らない強引な手段に、僕は身動きが取れなくなった。

 暗闇だからかろうじて分かるといった程度だけれど、僕の視線の先には、ブラ的な何かがあって、素のおっぱいはなかった。この前は着けてなかったのにね。

 裸の胸を押し付けられるよりはマシだと感じながらも、そこは衣類越しとはいえ女の子のおっぱいなわけで、逆に興奮して眠れなくなるのではと思ったのだが、眠気はすぐに訪れた。本当に、どういう仕組みでこうなってしまっているのだかわからない。

 本当に嫌じゃないのかなぁ、と疑問に思うのだが、僕の顔の位置的にもはや胸しか見えていなかった。いや、間近にありすぎるせいで胸すら見えない。真っ暗だ。

 ……まあそれだけならよかったのだけれど、宝耀さんはどういうわけか僕の顔におっぱいを押し付けるだけでは飽き足らず、こすりつけるようにぐりぐりする。


「宝耀さん、いくらなんでもそんなにサービスしなくていいんだってば」

「これはわたしのためなんですよ」


 妙なことをのたまう宝耀さんだった。


「あのロリ風OBSNのせいで、危うくわたしは新世界に目覚めそうになってしまったんですからね? 男の人の体に触れていないとわたしの心に百合の花が咲いてしまうんです!」

「いや、いくら社長だって相手の性的指向を変えるほどのことはしないよ」


 むちゃくちゃなように見えて、社長はモラリストで気遣いもできるのだから。


「わかりませんよ、わたしが可愛すぎるあまり籠絡奴隷第一号として調教するつもりかもしれませんし!」


 相変わらず自己評価の高い宝耀さんだ。

 社長のことは信用しているけれど、例のアイドル適正審査のせいで百合の世界に目覚めたという伝説を聞いたことがある身としては、宝耀さんの懸念を全否定できなかった。


「……ほどほどにしてくれるなら、いいけど」

「わぁい」


 喜び勇んだ宝耀さんは、僕の顔面をおっぱいで押さえつけるだけでは飽き足らず、自分の脚を脚に絡めてきた。


「んふー、んふー、んふふー!」

「……ほ、宝耀さん、なんか息荒くない? 目的を勘違いしてもらっちゃ困るんだけど……」

「な! 失敬ですよ、わたしを少年趣味の変態みたいに! これは単にものすごい勢いで匂いを嗅いでいるだけです」

「もうド変態じゃないか。それやめて。今すぐやめなさいよ」

「こうでもしないと社長氏の甘いミルクの匂いが消えてくれないんですよぉ」

「いや、おっさんのにおいが伝染るでしょ?」

「伝染りませんし、そんなにおいしません!」


 その後僕は、宝耀さんに好き勝手体をこすりつけられ、すっかりマーキングされてしまうのだった。

 アラサーに差し掛かっているとはいえ、宝耀さんのような美少女から体を密着させられるとSON値が上昇してしまうわけだけれど、両手は自由に動かせたから、宝耀さんに悟られないようにガードしていた。

 そうこうするうちに、僕よりも先に宝耀さんの方が寝息を立てていた。

 勝手すぎるだろ……僕はマーキングの影響でちょっと目が冴えてしまったんだぞ。興奮のせいだとは、なんとなく認めたくなかった。

 ふと、思う。

 宝耀さんはこれから家探しをして、そこに住んでもらうわけだけど、離れ離れになったら僕はまた眠れない生活に逆戻りすることになる。

 睡眠の快楽を再び覚えるようになった今、以前と同じような生活ができるだろうかと、不安になってしまうのだった。

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