第12話 担当アイドルをホメ抜かなければ出ていってしまう部屋

 その夜。

 ひよこオフィスに所属することが決まった宝耀さんだけれど、今晩もうちに泊まることになっていた。まあ住む家が決まらないことにはね。


「――きょーしろさん、わたしはでぶではありませんね?」

「ああ、うん。そうだね」


 僕は、ぞんざいに答えてしまっていた。

 だって宝耀さんってば、事務所から帰ってきてからというもの、ずっとそんな調子だったから。


「ダウト」

「なにがダウトなのさ……」


 ダウジングするみたいに両手の指をこちらに向けてくる宝耀さん。悪い霊にとりつかれたみたいに白目をするものだから、ちょっと怖いしアイドルになる女の子がしていい顔じゃない。

 僕は、宝耀さんと同じソファに腰掛けていた。大人2人分がどうにか座れる、というレベルのソファだから、密着率は高めだ。恋人同士みたいな距離感だけど、断じてそんな甘い雰囲気ではない。そもそも、大事な『商品』に手を出すほどプロ意識に欠けてはいないつもりだ。


「きょーしろさんはウソをついています。わたしのことを本当はミシュランマンかマシュマロマン、もしくはベイマックスと思っているからです」

「思ってないよ。社長だって言ってたでしょ? 太っているからダイエットをしろって意味じゃないって」

「ヒトの体型に口出しされることがどれだけ屈辱的なことか、きょーしろさんにはわからないんですよォ!」

「まあ、そりゃショックなことかもしれないけどさ……」


 同性の社長が相手でもこれほどいきり立つのだから、異性から言われようものなら絶交レベルで怒らせてしまうかもしれない。今後、不用意に宝耀さんの体型についてネガティブなことを言うのはやめておこう。


「なんですか、腹筋が割れていないのがそんなに滑稽ですか?」

「別に、腹筋が割れてる必要はないんじゃないかなぁ」

「こう見えてもわたし、ちゃんとお尻は割れてるんですからね?」

「そりゃそうでしょ」

「なんなら見せますか!?」

「宝耀さんが人間ってだけで充分証明になってるからいらないよ」


 あと、わざわざお尻叩いてアピールしなくていいから……。ぱぁん! ってめっちゃいい音鳴ったけどさ。


「んおおおお、田舎帰りたいぃ、初対面のよくわからないこども顔OBSNに体型ディスられて傷心ですよぉ」


 宝耀さんは、僕の腿に向かって顔を突っ伏し、おんおん唸って泣き始める。

 マズい。こんなにもダメージを受けているとは。

 ……でも、宝耀さんはもう昨日までの素人の女の子じゃないんだ。

 プロとしての自覚を持ってもらわないといけない。


「ねえ宝耀さん」

「なんれすかぁー」


 アイドルの卵とは思えない顔つきをした宝耀さんが顔を上げる。


「宝耀さんはこれからプロになるんだ。見た目でエンターテインメイトしないといけない部分もある。だから体型のことだって、プロフェッショナルな気持ちでちゃんと調整できるようにならないとダメなんだよ」


 宝耀さんはアイドルになりたくて上京したわけではなく、こうなったのはそもそも僕がスカウトしたからだ。

 だからできるだけ強要したくはなかったけれど、マネージャーの立場としては、一応言うべきことを言っておかなくてはいけない。


「宝耀さんはもう、アイドルなんだから。一般の人とは違う考え方を持っていないといけないんだよ」

「愚民とは違う……考え方を?」

「いや愚民て」


 この子普段みんなのことどんな目で見てるのさ。

 けれど、宝耀さんは徐々に調子を取り戻しているように見えた。


「仕方ないですねえ。わたしが特別な存在として、特別な考えを持たないといけないのは理解しました。もはやわたしは……世間一般の方々よりヒューマンステージが上なんですもんね……」


 無駄に遠い目をする宝耀さん。

 うーん、たぶんこれ、まったくご理解していただけていないぞ。


「じゃー、そこまで言うならきょーしろさんはもっとわたしを褒め称えておモチベーションを上げるべきです!」

「急に褒めろったって……」

「きょーしろさんだってプロでしょうが。プロのマネージャーでしょうが。褒めてくれないなら帰っちゃうぞ!」

「う、うーん、しょうがない……」


 田舎に帰られてしまうのも困る。社長から頼まれて、マネージメントすることに決まった子なのだから。途中で仕事を放り出すようなことをするのは嫌だった。確かに僕だって、プロなわけだし。

 付き合っているわけでもない女の子を褒めるのは得意ではないけれど、これも仕事だ。手抜きはできない。

 よーし、やるぞぉ。


「ほ、宝耀さんは……かわいい!」

「なんの具体性もないですねー」


 すっ、と立ち上がった宝耀さんは僕から離れ、玄関へ繋がる扉へと近づいていく。

 マズい。宝耀さんの意にそぐわない発言をするたびに玄関へ近づきいずれは出ていってしまうシステムか。


「あと、カワイイのはあたりまえです。見りゃわかることでわたしの心を引き寄せようったってそうはいきませんヨ」


 宝耀さんは冗談ではなく本気のトーンだった。

 自他ともに認めるコメディエンヌと思いきや、案外自己評価高かったのか。だから社長にでぶ扱いされて傷ついていたんだな。


「じゃあ、ほ、宝耀さんってすっごくおっぱい大きい」

「まるで盛りのついた中学生の感想ですね……それは褒めているとはいいません」


 天を仰ぎながら目元に手を当てる宝耀さんは、それとない厨二ポーズのまま大きくため息をつく。器用なカニ歩きで、すーっと少しずつ玄関へと近づいていった。

 彼女の言う通り、今のはいくらなんでもナシだよな……大人として恥ずかしい。


「そのピンクの髪、とっても似合ってるね」

「会話が続かない人とバッタリ会ってしまった時のその場しのぎの定番じゃないですかそれ。ぷんぷん!」


 頭から煙を吹き出す勢いで憤慨し始める。


「ていうか、さっきから見た目ばかりじゃないですか! きょーしろさんはわたしに光るモノを感じて今世紀最後の大物としてアイドル業界に送り出そうと画策したんじゃないんですか!? もっとあるでしょうが!」


 宝耀さんの言う通りだ。

 なんかゲーム感覚で言い出したものだから、単なるお遊び程度と捉えていた僕の落ち度だ。適当に褒めておけばいいや油断していた。

 担当する女の子のモチベーションを上げて気持ちよく仕事をさせるのだって、マネージャーの役目じゃないか。


「宝耀さんは……」

「わたしは?」


 これが最後の機会ですよ、とばかりに宝耀さんが腰に手を当てて、険しい顔で見つめてくる。

 宝耀さんは、僕にとって単なる女の子じゃない。

 僕だけではどうすることもできなかった、特別な力を持っているじゃないか。


「宝耀海奈は僕にとって癒やしである」

「なぜ英語のテキストみたいに結論から言い始めたんです?」


 訝しげにするものの、宝耀さんの足はしっかりその場に踏みとどまっていた。


「宝耀さんは、誰にもできないことをやってくれる人である」

「それは興味深いですよ。オンリーワンな存在はわたしも望むところですので」

「僕を眠らせてくれた」

「まるでわたしがきょーしろさんを殺したみたいに聞こえかねないですが、まあ続けさせてあげましょう」

「僕が眠れなかったのは、たぶんストレス。それを打ち消すくらい、宝耀さんには癒やしの力があるということ。アイドルになったら、きっともっと多くの人に癒やしを与えられるに違いない。そんな資質の片鱗が、もう見えているんだ」

「わたしが……多くの人を……?」


 おっ、宝耀さんの気持ちがぐらついているぞ。

 もう少しだ。あとひと押しだ。


「そういうのって、きっと宝耀さんじゃないとできないことだと思うんだよね」

「えー? でも~そんなこと言ってわたし以外の女にも同じこと言ってるんでしょー?」


 なんかナンパしているみたいな流れにするのやめてくれるかなぁ……。単なる『宝耀さんの機嫌を治すゲーム』じゃなくて本気の感謝の気持ちを込めているつもりなんだから。


「とにかく、僕は宝耀さんといると安心するんだ。宝耀さんはどんな医者よりも名医で、信頼できる精神安定剤で、炬燵の中より落ち着くことのできる唯一無二の存在。もう宝耀さんのいない生活なんて考えられないよ。僕には宝耀さんが必要なんだ」

「そこまでわたしが……必要……だと?」


 すると、宝耀さんがカタカタと震え始めたと思ったら。


「ぬふぬふぬふぬふふぬふぬふぬぬふぬふぬふぬふぬふぬふぬふ!」


 フルスロットルでニヤニヤしながら奇声を発したものだから、僕はついつい。


「なんかキモっ!」

「嬉しくて微笑んでしまっただけなのに誰がキモいですか!?」

「あっ、ごめん、つい……戻ってきてー!」


 きりもみ回転するんじゃないかという勢いで背中を向けた宝耀さんに、僕は必死で声をかけ、どうにか踏みとどまらせることに成功した。

 結局宝耀さんは、社長からでぶ扱いされたと思い込んでいることに変わりはなかったのだけれど、とりあえず研修生としてのトレーニングを受けることを了承してくれた。


「これはわたしがとってもやさしい女の子だからできることなんですからね?」


 恩着せがましい宝耀さんが言う。この時になると、ソファに戻ってきていた。案外このソファが気に入っているらしい。


「そうだね。宝耀さんは失言だらけの僕を見捨てることなく戻ってきてくれたもんね」


 また機嫌を損ねるようなことがあっては面倒なので、僕は宝耀さんに話を合わせる。


「きょーしろさんはわたしがいないと生きていけないわけですから。わたしだってそんな鬼じゃありませんよ」


 いつのまにか、僕は宝耀さんナシでは生きられない設定になってしまっている。


「でも、いくらわたしが必要だからってお手々を出してこられちゃ困りますよ? わたしはアイドルなわけで、身も心もキレイキレイな存在でいないといけないんですから」


 宝耀さんの中では、僕はすっかり宝耀さんに夢中になっているようだ。

 まあ、これくらいご機嫌にさせた方が、アイドルとして活動できるようになるまでのトレーニングも乗り越えやすくなるだろうし、都合がいいから放っておこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る