第9話 後輩と社長

 休日だからといって、無断欠勤したまま何の連絡も入れないわけにはいかない。

 会社には死ぬ気で詫びを入れた。

 幸い、大事に至ることはなかった。

 これは日頃の行いのおかげかもしれない。アイドル事務所界隈では最弱と言われる『ひよこオフィス』は、ブラック気味な労働環境だけれど、働いている人間までブラックではない。各種ハラスメントが横行しているような場所じゃないから、ちゃんと話せばわかってくれる。厄介なのは、もっと別な部分だ。

 会社に迷惑をかけたから、というわけではないが、失態をカバーできるほどの吉報が必要だった。


「――100年に1人の逸材です。太陽の天才児なんですよ!」


 僕は、電話口で大見得を切ってしまった。

 結局、それが効いたのか、僕が大目玉を食らうことはなかったし、それどころかちょっと食いついてきた。『社長』は、僕の『浪人期間』を気にかけていたからなぁ。

 完全に出任せで言ったわけでもなくて、僕は宝耀さんに期待していた。

 彼女なら、何かデカいことをしてくれるんじゃないかって思っているのだ。

 ……たとえ、僕が電話している隣で、オッスオラなサイヤ人並に豪快にメシを食らっている女の子が、その逸材だとしても、だ。

 おかしいな。僕がスカウトしたのはアイドルの女の子であって、お相撲さんやプロレスラーや大食いタレントではないはずなんだけど。


「きょーしろさんが悪いんですよ、1日ずっと起きないから満足に食事もできなかったんですっ!」


 僕のモノいいたげな視線に気づいたのか、宝耀さんは真っ赤になって言い訳をしてくる。


「きょーしろさんが寝れないのをモグモグ治してあげたんですからモッチャモッチャこれくらいのお礼はペロペロ受け取ったっていいと思うンガググッですよ」


 恥ずかしがるなら咀嚼をやめなさいよ。フランスパンと食パンを剣と盾みたいにして構えるんじゃない。

 僕は、やたらとエンゲル係数が高そうなアイドルの卵に水を渡してやりながら、電話を掛け直す。

 謝罪する相手はまだ残っている。

 着信を大量に残して、僕の身を案じてくれた後輩だ。

 僕の不在による実害を被ってしまった相手である。


「――そういうわけでさ、本当に悪かった」


 事の経緯を簡単に説明して、僕は言った。

 不眠症なことはこの後輩にも話していないから、体調不良ということにしておいた。

 電話の向こうの後輩は、とりあえず僕の言い分を受け入れてくれた。

 新卒で入社した彼女の教育係を担当したのが僕だ。不誠実な理由でサボる人間ではないとわかってくれているのだろう。


『そ、それより先輩は大丈夫なんですか? 連絡できないような状態で、丸一日寝てたなんて……』


 逆に体調の心配をされてしまう。この後輩は気が強いわりに心配性なところがある。


「平気平気。週明けには出勤できるから。休んだ分も倍働くからさ、任せとけ」

『先輩がそこまで強気なのは珍しいですね。でも、また体を悪くされたら困るんで、無理しないでくださいね』

「ふふふ、大丈夫だって。おかげで体調はすっかり回復してるんだから。まあ大船に乗った気でいろよ」


 などと僕は、唯一の後輩と普段どおりの会話をしていたのだが。


「んー? きょーしろさん、なんかちょいイキってませんか?」


 いつの間にか食事を終えて僕のすぐ隣に這い寄ってきた宝耀さんが訝しげに視線を送ってくる。

 なんだこいつは……催眠術にかかった猫みたいな目をしているぞ。


「イキってた?」


 電話を切って、僕は言った。


「きょーしろさんに欠けているオレサマ流グイグイ感が出てましたよ?」

「そうかな? まあ、後輩が相手なんだし、ちょっと上から行くくらいで丁度いいんだよ」

「しょせんきょーしろさんもオスだったってことっスねぇ……」

「なんなの、感じ悪いな……」


 まあ、田舎出身だから純真なところがあるのだろう(偏見)。普段の僕とギャップを感じてしまうのはわからないことではない。仕事モードの時の僕はもっと厳しいからね。お金をもらっているんだし、半端なことはできないから。


「宝耀さん、これは別に僕の見栄のためにやってるんじゃないんだよ。僕は童顔だから。普段より強気なくらいじゃないと、仕事では上手くかないことの方が多いんだ。いくら僕だって、後輩からナメられたら凹んじゃうよ」

「えっ? わたし、きょーしろさんのことナメ腐ってますよ?」

「いやまあ、宝耀さんはちょっと先輩後輩の関係とは違うでしょ。年下には違いないけどさ……」


 ていうか、宝耀さんって僕をナメ腐ってたんだ……ちょっとショックだ。まあ、母親の乳にむしゃぶりつく幼児みたいになった様を目の当たりにしているのだから、尊敬の念なんて抱きようがないよね。


「ですよね。きょーしろさんはわたしにかしずく存在ですもんね!」

「君はマネージャーを勘違いしているみたいだねえ……」


 今の時点ではアイドルではないわけだし、マネージャーとはなんなのか誤解するのも無理はない。単なる使い走りだと思っているのだろうな。


「それより、明日は君を社長に紹介するから、一緒に事務所に来てもらうからね」


 住所不定無職のまま、ずっと僕の部屋で暮らしてもらうわけにもいかないしね。アイドル業は恋愛がご法度だから、マネージャーとはいえ男の部屋で暮らすのはリスクがでかすぎる。


「明日は日曜日ですよ?」

「うちの社長はワーカホリックなんだよ。会社に住んでるなんて噂もあるくらいだから」

「ご苦労なことですねえ。わたしだったらお休みの日なんてお出かけすらしたくないですよ」

「ちなみに、社長は金髪で紅い目をしていて江戸時代にこの世界に降臨して以降人類を陰ながら操り支配する悪魔を自称してる。平服も正装もゴスロリスタイルなんだ」

「うほっ、電波のスメル」

「違うよ。真面目なんだよ。元々は黒髪ロングの清楚系な人だったらしいんだ。日頃いろんなアイドルと関わっているせいで感化されちゃってるんじゃないかな。付き合いとか仕事で別の事務所のアイドルと関わることもあるからね」


 むしろ僕は、アイドルに感化されて謎のギミックを持ち込んでしまうところに、仕事への情熱を感じているから、決してマイナスに思ってはいないのだが。


「セ◯のプロデューサーさんみたいですね」

「◯ガのプロデューサーのことは関係ないでしょ。余計なこと言わなくていいんだよ」

「それで、きょーしろさんより年上なんですよね?」


 宝耀さんの表情を見てわかった。これはとても失礼な想像をしている顔だ。


「そうなんだけど、見方によっては僕よりずっと年下に見えるのが不思議なんだよね」

「えっ? 若さを履き違えたばばあではなく?」

「そういう見返り婆さん的な恐怖の対象じゃなくて、ちゃんとしたロリロリだよ」


 ちゃんとしたロリロリってなんだ。自分で言っててわからなくなってきたぞ。


「へー、それならいっそ、その社長さんをアイドルにした方がいいんじゃないですか? かわいいロリっ子は需要アリアリじゃないですか?」

「それはたまーに思う。でも社長は酒豪だから。お酒とアイドルは水と油だよ」


 年度末の忘年会は、ひよこオフィスの母体である『パーフェクトプラン・プロダクション』の全部門が集まっての豪勢なパーティになるのだが、その中でも別格のアルコール耐性を見せるのが社長だった。人は見かけによらないものである。

 このまま社長トークを続けていると、どんどん失礼な方向に話が発展していってしまいそうだ。

 とりあえず今日は、宝耀さんの生活に必要な最低限の道具を揃えないと。

 僕は、車に宝耀さんを乗せて、イ◯ンモールへ向かうのだった。

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