第4話 宝耀さんの着替えがないんですが

 宝耀さんには、ひとまず僕の家を仮の住処にしてもらうことにした。

 もちろん、いつまでも同居状態はマズいから、契約の関係が落ち着いたあとに改めて部屋を探してもらうつもりだ。部屋探しのサポートだって、僕はするつもりでいた。初めての都会暮らしで戸惑うことも多いだろうし、精神的に余計な負担は掛けたくないから。

 僕の家は、何の変哲もないアパートだった。そこそこの給料しかもらっていない僕がタワマンや一軒家に住めるはずがないからね。それでも築15年ほどの物件で、まだまだ設備は新しくて気に入っているから不満はない。


「なんか、すっごくすっきりした部屋ですね」

「ほとんど眠りに帰るためだけの部屋だからね。あんまりモノを置いていないんだ」


 宝耀さんが目を丸くするのも無理ないことで、ワンルームの僕の部屋で目立つものといえばベッドくらいなものだった。

 テレビに小さな冷蔵庫、大人2人が腰掛けられる大きさのソファ、そして申し訳程度に文庫本が刺さった本棚。

 僕は新卒で就職して以降ここにずっと住み続けている。それなのにこのモノのなさである。


「きょーしろさん、眠らないのにですか?」

「まあでも、自宅に帰ってくることで一息つけるってメリットもあるから」


 クローゼットからハンガーを引っ張り出して上着を掛けていると、宝耀さんは一切の遠慮なしに僕のベッドへ直行して、ぼふんと腰を掛けた。


「きょーしろさんには悪いんですけど、わたしもうおネムなんですよね」

「僕の仕事に付き合わせちゃったもんね。ベッド使っていいよ。僕はそっちのソファで横になるから」

「シャワーも使わせてもらえると」

「いいよ。玄関のすぐ隣だから。ユニットバスだけど」

「実はお腹も空いているんですよね。なんかつくってください」

「カロリンメイトがあるけど、それでいいなら」

「あー、肩凝ったっスわ。揉んでくれません?」

「王様か」


 調子に乗って要求をエスカレートさせる宝耀さんに対してたまらずツッコミを入れる。


「やー、最後のは冗談なんですケドー」


 てへぺろ、とばかりに舌を出すのだが、調理の要求も結構ケッコウなことだぞ。


「きょーしろさんって頼んだらなんでもしてくれそうな雰囲気ありますから」

「うーん。マネージャーだからかもしれないね」

「あ、これべつに褒めてるわけじゃないですからね? きょーしろさん、なんかほこらしげな顔しちゃってますけど」

「そ、そうなのか……」


 担当の子にはできるだけ気分良く仕事をしてもらうために、誠心誠意尽くすスタイルで今まで仕事をしてきたつもりなのだけれど、もしかしてかえってナメられていたり?


「じゃーわたしシャワー借してもらいますから」

「そうだね、とりあえず今日1日はゆっくり休むといいよ」


 宝耀さんにはまったく自覚がないけれど、繁華街で危機的状況に遭遇したことは事実。初めての都会で精神的な疲れだって出ているだろうし、早いところ眠った方がいい。

 すると宝耀さんは、こころなしかそわそわして。


「あのー、着替えとか、あります?」


 しまった。着替えのことを忘れていた。

 宝耀さんが持っているカバンは小さくて、どう見ても着替えなんか入っていなさそうだし。ていうかそんな近所のお出かけに持っていくようなちっさいカバン持って上京してきたっていうのか? 無謀極まりないな……。


「僕のでよければ。確かまだ買ったばかりのヤツがあったはず」

「わ。彼シャツですね、彼シャツ!」


 宝耀さんがベッドでぴょんと飛び上がると、同時にぶるんっと震えた。あまり見ないようにしないと。

 田舎出身なのに変なボキャブラリーはあるんだな、と思って、僕の服をタンスから引っ張り出して手渡したのだが。


「……あの」


 僕の白シャツをびろーんと広げたまま、宝耀さんは気まずそうに固まっていた。


「……思ったより小さかったね」


 宝耀さんの方が身長が高いとは思っていたけれど……これ、宝耀さんの体をきっちり覆えるのかな?

 僕はそれほど身長が高くない上に細身だ。

 別に宝耀さんがデブだと言いたいわけじゃないんだけど、体の一部がとても豊かだから、そこに引っかかりそうだったのだ。


「こういうのって、2つくらいサイズがデカい方がかわいらしい感じがするんじゃないですかね?」


 カワイイが欠けてる! と言いながら、宝耀さんはシャツを人間の上半身に見立ててレスリングを始める。


「別に宝耀さんをカワイイ存在にしたくてシャツを貸すわけじゃないんだけど……仕方ない、ちょっとコンビニで調達してくるから待ってて」

「だが被る! 他人様の善意はムゲにするんじゃないヨ! ってうちのばばあ様も言ってましたんで!」

「助言を大事にするくらいなら、ばばあ呼ばわりしないであげて」


 田舎への愛があるんだかないんだかわからない宝耀さんは、白シャツとなんか小さな袋を抱えて洗面所へ向かった。

 無音のままだと洗面所から衣擦れの音とか水滴が肌の上で弾ける音が聞こえてきて余計なことを考えてしまいそうだったので、テレビの音で誤魔化そうとする。普段は滅多にテレビをつけることはないけれど。忙しくてテレビを見るヒマもない。これもエンタメ業界に携わっている人間のリアル。

 やがて、洗面所が静かになると、宝耀さんが出てきた。


「あのー、きょーしろさーん……」


 珍しくしおらしい声だなと思った僕は、宝耀さんの姿を目にした時、思わずブリッジをする勢いで視線をそらしてしまう。

 なんとなーく予想していたことだけれど、お風呂上がりの宝耀さんは、とんでもなく刺激的な格好をしていた。

 僕の白シャツを借りていったわけだけど……まさか、ほとんどそれ一枚の格好で現れるとは思っていなかった。

 まるで裸ワイシャツのような刺激的な姿になった宝耀さんは、胸元がぱつぱつで今にもボタンが爆ぜそうになっていた。おろしてある長いピンク色の髪が胸元を覆ってはいるけれど、なんとも心もとないディフェンスだ。

 その上、ワイシャツの丈だけで下半身を隠しているものだから、下に何も穿いていないように見えてしまう。

 まさかそんなことない。下にすごく短いショートパンツでも穿いているのだろう。

 それくらいのことはわかっていても、歩くたびにひらひらするシャツの裾から目を離すことができなくなりそうになるのは僕が男という揺るぎない証拠だった。

 細身のデニムパンツを穿いていたからわかってはいたけれど、生足の太ももになるとよりむっちり感があって、女の子へダイエット不要論を暑苦しいくらい押し付けたくなるほど魅力的に映った。僕は特別むっちり女子が好きなわけじゃないけれど、そんな僕でもむっちり信者に変えてしまいそうなくらいだ。

 だが、僕だってアラサー男子。大人としての矜持がある。いくらグラマラスだろうが、十代の女の子相手に鼓動をハイテンポにさせてばかりの間抜けな態度を取り続けるわけにはいかない。……いや、もう充分すぎるくらい見てンだろ? 的なツッコミがきそうなくらい描写してしまっているけれど、こうでもしないと宝耀さんがどれだけエロエロデンジャラスな格好をしているか理解してもらえないからね。僕は語り手として真実を伝えるジャーナリスト的な役割も担っているから、仕方ないんだ。


「やっぱり小さかったみたいだね。もっと大きいサイズのヤツ今から買ってくるよ」

「わ。きょーしろさん、なんで悪魔に憑かれたみたいな格好になっちゃってるんですか!?」


 宝耀さんが驚くのも無理はないよ。

 僕は、宝耀さんの姿を見ないようにしたいがために、ブリッジ姿勢のまま玄関へ向かっていた。

 確かにキモいかもしれないけれど、宝耀さんは近々うちの所属アイドルになる予定の大事な『商品』だ。心身ともに傷つけないように大切に扱わないといけない。視線で汚すようなことをするなんてもってのほか。僕がキモさを被るくらい、なんてことない。


「とりあえず、ここで待ってて。あと、その格好のままだと風邪引いちゃうから、そこのベッドで暖を取るといいよ」


 冬はもう少し先だけれど、薄着じゃ風邪を引いてしまうかもしれないから。

 さて、どうにかエロエロToLOVEるな状況を回避しかけたその時だ。


「あっ……」


 宝耀さんの胸元を留めていたボタンが、爆ぜて飛んでくる。

 天井を向く姿勢になっていた僕の眼前を通過していくボタンは、まるで未確認飛行物体のごとく。

 ボタンという制御装置を失い、白シャツという外殻を失った宝耀さんは一気に無防備になる。

 マズい。このままじゃ宝耀さんの胸元が晒しモノになる。裸なのか、ブラなのか、それはわからないけれど、とにかくとんでもないことになってしまう。

 ……そんな期待と不安を持つ僕だったが、実際に見えたものは違った。

 真っ黒なキャミソールだった。

 出っ張りがとんでもないことになっているけれど。

 ついでに言えば、下に何も穿いていないわけでもなく、股下が浅いタイプのショートパンツを穿いていた。夏場だったらそのままパジャマにできそうな装いだ。


「ごめんなさい、きょーしろさん。シャツぶっ壊しちゃいました……」

「いいんだ、宝耀さんが無事ならそれで」


 きっと宝耀さんにとどめを刺されて僕のシャツも幸せだっただろう。


「じゃあ僕はちょっと買い出しに行ってくるから」


 僕は逃げるように家を出た。

 宝耀さんめ……やらかすだろうなってことをきっちりやらかすとは。

 けれど、あのハプニング体質は彼女のアイドル活動にプラスに働いてくれるかもしれない。

 もちろん、宝耀さんが嫌がるようなえっち的なハプニングなら、マネージャーの僕が死ぬ気で守るけどさ。

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