第3話 夜明けのドライブ

 運転手の仕事は夜明けまで続く。宝耀さんには、それが終わるまで、タクシー会社の営業所近くにあるネットカフェで時間を潰してもらうことにした。


「――宝耀さん、おまたせ」


 私服に着替えてから宝耀さんがいる個室へ入ると、宝耀さんはスマホを片手にうとうとしていた。


「運転手さん、お仕事終わりですか?」

「夜明けくらいには終わるようにしているんだ」


 この日は平日だ。朝日が昇ったら、僕は本業のマネージャーに戻らないといけない。


「これから一旦自宅に帰って、スーツに着替えて出勤するんだよ」

「あれ? じゃあマネージャーさんの仕事が朝からなら、運転手さんはいつ寝てるんですか?」

「僕、20分くらい目を閉じているだけで充分なんだ」


 眠れないことを言うべきかどうか迷ったが、言うことにした。

 事務所の人間には言えないことでも、宝耀さんには話すことができたのは、彼女が僕にとってまだ『外部の人間』だからかもしれない。仕事仲間に言えないことはストレスでもあったから、宝耀さんに話すことで少しだけ気晴らしになった。


「えーっ? それで大丈夫なんですか?」

「今のところはね」


 ネットカフェを出て、営業所の駐車場に停めてあった自家用車に乗り込みながら、僕は言った。

 眠れないことにストレスはあるけれど、今のところそれで体調を崩してはいない。

 どうして眠れなくなったのか、僕には理由がわかっていないし、医者を訪ねてもダメだった。過度なストレスを溜めないように注意していればそのうち治りますよ、なんて曖昧な回答を得ただけだ。ストレスを溜めるな、なんて、働き盛りの社会人に対して無茶なことを言うものだ。働くということはストレスを溜めることと同義なのだから。

 だから、「どうしてそんなことになっちゃったんですか?」と宝耀さんから訊かれても、答えられなかった。


「わたしなんか、その気になれば一日中だって平気で寝られるんですけどー」

「それはそれで問題だよね」


 若いのにただ眠るだけで時間を潰すのももったいない気がしてしまう。だからといって僕が宝耀さんと同じくらいの年齢の時にどれだけ精力的で有意義に過ごしたのかと訊かれても答えに窮してしまうわけだけど。


「でもうらやましいなぁ、きっと宝耀さんが若いからだろうね。ほら、睡眠って案外体力を使うらしいし。お年寄りが早寝早起きなのはそのせいらしいよ?」


 僕は、出所不明の知識でフォローに走った。

 ちなみに、今はもう運転手と乗客の関係ではないので、丁寧語ではなくなっていた。


「あっ、そういうのあるかもしれませんね。わたしの村でもおじいちゃんおばあちゃんはみんな早起きでしたから」


 助手席に乗り込んだ宝耀さんが言う。シートベルトのせいでパイスラ状態になっていた。デカい。


「夜明けとともにうごめくように活動を開始するじじ&ばば。逆ヴァンパイアですよね!」

「言い方よ」


 この子、結構毒吐くんだよね。

 もちろん冗談の声音だし、舌っ足らず気味で甘えるような声質だからか、嫌悪感を催すようなことはない。声がいいのも才能だ。これは案外アイドルとしての適正があるのかもしれない。


「そうだ、わたしの安眠パワーを使えば、運転手さんを眠らせられちゃうかもしれませんよ?」


 宝耀さんは、気でも送るみたいにこちらに両の手のひらを向けてくる。


「だといいけどねえ」


 確かに、宝耀さんの声には落ち着く音波を感じられるけれど。


「試しに子守唄でも歌いますか?」

「今は遠慮してほしいかな。運転中だから」


 東京を抜けて、千葉に到達していた。ビルが少なくなり、山や畑が一気に増える。


「わたし、こんな時間帯にドライブなんて初めてです」

「眠れないことも、嫌なことばかりじゃないんだよね」


 僕は言った。


「この、少しずつ夜から朝に塗り替わっていく空を見るのが好きなんだ」


 フロントガラスの向こうでは、それまで暗黒だった空が、次第に淡い青色へと移り変わっていくところだった。

 夜に寝て朝に起きていた頃は目にすることがなかった光景だ。


「夕方の空と似て見えるけど、空気感が違うんだ。ひんやりして澄んだところが。なんか空気が生まれ変わったような感じがするよ。うまく言えないけど」


 夜通し起きているアウトサイダーな僕だからこそ味わえるプレミアム感。

 眠れないことに不安はあるけれど、今まで目にすることがなかった些細な発見があるからこそ、頭がおかしくなることなくやっていけているのだ。


「んひひ。運転手さん、詩人ですね」


 茶化された。

 ペ◯ちゃんみたいな顔で笑っているから、果たしてバカにしているのかそうでないのかどうにも判断がつかないけれど。


「宝耀さん、一応これから契約の手続きをして、僕は君のマネージャーになるわけだから、いつまでも『運転手さん』呼びじゃちょっと都合が悪いんだよね」

「あっ、ごめんなさい、そうですよね!」


 宝耀さんは、仮面の人が変身でもするみたいなポーズをする。いちいち仕草に謎がある子だ。


「じゃあ、『きょーしろさん』でいいですか?」

「えっ、下の名前なの?」


 いきなりフランクじゃない?


「タメダさんの方がいいんですか?」

「……京志郎呼びの方がいいかな」


 たまーにだけど、仕事の付き合いで一緒になる人間にたちの悪い人がいると、わざと僕の名前を間違って『ダメダ』呼びするようなのがいるから、名字で呼ばれることに敏感になっているところはある。

 こういうところからストレスが蓄積されているのかもしれない。


「ですよねー。きょーしろさんの方がかわいいですもん」

「うーん、年下から『かわいい』って言われる呼び名となるとちょっと困るぞ」


 イキリちらしたいわけじゃないけれど、ナメられたいわけでもないので、ちょっと複雑である。そのくせ親しまれたいとは思っているわがままな僕だった。


「おっ、わたしに不自由を強いるなんて。早速パワハラ行使ですよ」

「パワハラじゃないし、パワハラだとしてもどうして君はそんな嬉しそうなの?」

「えへへ、だってー」


 宝耀さんは、目が離せなくなりそうなもじもじとした仕草をすると。


「年が近い男の人とこうして話したことなんてほとんどないですから」

「……年が近いって、僕、今年で28になるんだけど? 君はまだ18でしょ?」

「たった10コじゃないですか!」

「ああ、うん、君が育った場所の基準からすれば『たった』かもね」


 新たなるお年寄りディスが出てこないうちに僕は言った。

 田舎では同年代の男女もあまりいなかったのだろうから。きっと学校は全校生徒2桁とか1桁の分校みたいなところに通っていたのかもしれない。田舎なのん。


「それにきょーしろさんは高校生でも通用するビジュアルですし!」

「それは社会人として褒められてる気がしないなぁ……」


 童顔なのは自覚している。

 スーツが似合わないらしく、高校生が制服を着て歩いていると勘違いされて現場を追い出されかけたこともある。ヒゲも生えないから、伸ばして貫禄をつけることもできない。そもそもヒゲが似合わない顔だし、打つ手なしだ。


「きょーしろさんは卑屈ですね。そんなんじゃ背だって伸びないですよ」

「もう伸びないよ。僕の成長期は終わったんだ……」


 気にしていることを……。

 わずか数時間の間にずいぶんぶっこんでくるようになったなぁ、と、僕は宝耀さんのコミュ力に驚いてしまうのだけれど、アイドルは明るさが大事なところもあるし、これくらいグイグイ行けるくらいでちょうどいいのかもしれない。

 宝耀さんが語る、田舎での害獣退治の経験をBGMにして、僕は自宅へ車を走らせるのだった。

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