第2話 アイドルやってみない?

 繁華街から離れて人通りがまばらな通りに出ると、緊張感が少しずつ和らいでいった。

 振り返ってみると、よくあんな恐ろしいことができたものだ。もう二度と同じことはできないだろう。

 未だ鼓動がハイテンポな僕をよそに。


「声をかけられたから話聞いてたんですよね。そしたら、とりあえず事務所でお話しましょう、なんて話になって。あんな狭いところにある事務所なんてどれだけ平べったいんですかねぇ」


 女の子は、ついさっきまで自身が遭遇していた状況を語るのだが、危機が迫っていたとは認識していなさそうな緊張感のなさだった。


「それ、絶対についていったら駄目なやつですからね」


 強い様子で僕は言った。次同じことになったら、無事で済む保証はないのだから。

 それにしても、思ったよりずっと危ない状況にあったらしい。

 すんでのところで助けることができてよかった。

 バックミラーには、後部座席に座っている女の子の顔が映っている。

 彼女は、宝耀海奈と名乗っていた。

 宝耀さんが目立っていたのは、くすんだピンク色をした長い髪の毛だけではなかった。

 目は大きいのだけれど、おっとりとした雰囲気を示すようにタレ気味で、目鼻立ちの整った可愛らしい印象があった。身長は高く、コートの上からでもわかるレベルで胸が大きい。僕より身長が高いから、ともすれば威圧感が出てもおかしくなさそうなのだが、そう感じさせないのは、話し方を含めて、ふんわりした雰囲気があるからかもしれない。だからこそ危なっかしさも感じてしまうわけだけど。


「ああいう場で知らない人から声かけられたら無視しないと駄目ですよ。この街は何かと物騒ですから」


 そんなおせっかいなことを言ってしまう。


「あー、知らなかったです」


 黒服のヤカラに絡まれていた時から今に至るまでちっともテンションの変わらない宝耀さんが言う。


「わたし、今日初めてこの街に来たんで。この街のシキタリとかルールみたいなことはぜんぜんわからなくて」


 宝耀さんはいわゆるお上りさんらしい。道理で無防備なわけだ。

 ……いや、今どきの子ならスマホで都会の情報を仕入れられるわけで、この子が特殊なだけか。


「わたし、すっごい田舎に住んでて~」


 宝耀さんは、すっごい、と言いながら両腕を大きく広げる。


「家より畑の方が多いようなところなんですよー。それに人間よりも動物の方が多いのかな? ってくらいで。地元にそんなに不満はなかったんですけど、18歳になったしなんか違うことがしたいなーって思って、ここに来たんですよ」


 のどかな田舎で純朴な人間に囲まれていたからこそ、赤の他人を信じてホイホイ黒服のヤカラについて行ってしまったのかもしれない。


「じゃあ、今回は旅行でここへ?」

「いーえ。ここで暮らすことにしたんです。実家には戻りません」


 鼻息荒い宝耀さんは、胸の前で腕を組む。

 腕のせいで胸が持ち上げられ、大きさが大変なことに……。


「……もしかして、家出ですか?」

「違います~」


 ぶぶぶ、と唇を震わせてノーを示す。この子、感情表現がなかなかに大げさというか、こどもだ。まあ18歳ならまだこどもか。体の1部が大きいだけで勘違いしてはいけない。


「わたし、そんなくだらない理由で家を出たりしませんよう」


 こどもじゃありませんので、という顔でドヤ顔をする。

 家庭環境が悪くて家を飛び出したのでなければ、安心といえば安心だ。


「じゃあ住む家はあるんですね。そこまで送りますよ」

「えっ? 住む家? ないですよ? 今日ここに来たばかりなんでー」

「どこか宿に泊まるんですか?」

「お金もないんデー……」


 悪事がバレたような表情へと変わっていく宝耀さん。

 この子、後先考えずに行動するタイプか。ノープランで大都会に出てきやがるとは。


「あっ、でもー、東京は夜中でも人がたくさんいるんで、野宿すれば余裕です!」


 無駄にガッツポーズを披露する宝耀さん。

 僕は、バックミラー越しに宝耀さんをちらりと確認する。

 宝耀さんは中身は天真爛漫なこどもみたいな女の子だけれど、体は完全にグラマラス妖女だ。あんな格好で公園に転がっていたら、わたしに襲われる権利を! とプラカードを掲げて行進しているようなものである。しかも今は秋。肌寒い季節で、一晩中外にいたら風邪を引いてしまう。


「野宿なんて危ないですよ。女の子なんですから、もっと警戒しないとダメですよ」


 僕は、セクハラにならないよう気をつけながら警告するのだが。


「はっ」


 ハッ! そうですね! わたし全然自覚できていませんでした反省します!

 ……という気づきの意味での『ハッ!』ではなく、鼻で笑ってきた。


「運転手さんはぜーんぜんわかっていらっしゃいませんねえ」


 腹立つ物言いの宝耀さんが、僕に人差し指を向ける。


「わたし、これでも強いんスよ?」


 座ったままシャドーボクシングを始める宝耀さん。

 ボクシングの知識がない僕には、パンチだけでは実力を判断できないのだが、高身長だし手足も長いし、妙に肝の据わったところがあるし、ひょっとして本当に強いのかもしれない。


「じゃあ、格闘技でもやっているんですか?」

「んふっ」


 まーた腹立つ鼻息を吐き出してくる。


「わたしほどの逸材ともなると……なんていうんですか? 一般人とはちょっとセンスが違うといいますか。格闘技を習ってる、とかそういうレベルじゃないんですよねえ」


 嫌な予感がしてきたぞ。

 宝耀さんはスマホを取り出すと、バックミラーに映るようにディスプレイを向ける。

 そこには、Uチューブのアプリを開いた画面が映っていて。


「わたし、格闘家Uチューバーはあらかた登録していて動画見まくっているんです!」


 確かに、登録チャンネルの一覧には、格闘家らしき配信者がずらりと並んでいる。

 Uチューバーには明るくない僕でも、プロ格闘家がいろんな格闘家を訪ねて修行する動画がアップロードされているらしいことは知っている。

 でもそれ、自信満々でいられる理由にならなくない?


「ま、彼らが練習したり修行したり試合したりする動画を見て知識は充分にあるんで。あとは見様見真似でパンチやキックをすれば、変な人なんてイチコロですよ」


 ふふん、と上機嫌で宝耀さんは笑った。

 この子……わりと、いやかなり頭が悪そうだぞ……。

 そりゃ格闘技の試合を見たあとは自分まで強くなったような気はするけどさ。200%気のせいだからね?


「なんなら、わたしが運転手さんのボディガードになってあげてもいいんですよ? 代わりに泊まるところとお金と食べ物をください。あと、ふっわふわの枕」


 マズい。何もしていないくせに増長してめっちゃ要求してくる……。

 どうやら僕はとんでもないお客を乗せてしまったみたいだ。

 とはいえ、宝耀さんを助けたことは間違いではなかったようだ。

 あの時見て見ぬ振りをしていたら、絶対にシャレにならない目に遭っていただろうから。

 この子すぐに調子に乗るんだもん。ヤカラの口車にあっさり乗せられかねない。小学生にすら言いくるめられそうだ。

 このままでは、この子はまた危険なことに巻き込まれるかもしれない。

 ここで会ったのも、何かの縁だ。

 宝耀海奈という住所不定無職の女の子を心配に思った僕は、彼女を保護するために僕ができる唯一の手段を提案することにした。

  

「――宝耀さん、君、『アイドル』やってみる気はない?」

  

『本職』としての誘い文句を口にしてしまう。


「あいどる?」


 それまでずっと格闘モードになっていた宝耀さんにとって斜め上の提案だったのか、ぽかんとした顔で聞き返してくる。そのカールおじさんみたいな表情、絶対アイドルがしちゃいけないヤツだ。


「そう、アイドルです。……実は僕、タクシードライバーの仕事はあくまでアルバイトでして」


 昼間の仕事のために持ち歩いている名刺を手渡す。

 僕が働いている芸能事務所『ひよこオフィス』の名刺だ。


「昼間は、いわゆるアイドル事務所でマネージャーの仕事をしているんですよ」


 大手芸能事務所『パーフェクトプラン・プロダクション』の傘下として、アイドルに携わる仕事をしている。


「……めちゃくちゃ弱小で、ぶっちゃけ業界では最弱クラスとして有名なんですけど」


 断られたなら、それはそれで仕方がないと思った。

 もちろんその時は、宝耀さんを放り出したりせず、彼女が要求した通りお金でも渡して、一旦地元へ帰すつもりだった。今の状態で宝耀さんを大都会に野放しにするのは危険極まりないからね。


「へー。運転手さんはマネージャーさんだったんですねー」


 宝耀さんは、名刺を天に掲げ、まるでネズミ王国の年間パスでも見るかのように目を輝かせていた。

 あまりに珍しい反応に、不覚にも感動すら覚えてしまう。

 僕がスカウトする女の子の中には、うちの名刺を見せた途端に、まるでヒドい侮辱を受けたような表情をして名刺を引きちぎってしまう人もいるのだから。

 奇特な反応を示した宝耀さんは、運転席と後部座席を仕切るアクリル板に顔面を押し付ける奇行をしでかしたと思ったら。


「わたし、アイドルやります!」


 アクリル板が吹き飛びそうな勢いで言った。


「だっておもしろそーだから!」


 誘っておきながらこんなことを言うのもアレだけれど、宝耀さんはバカだと思う。

 そんな単純な理由で、人生を変えてしまいかねない決断をしてしまうのだから。

 それでも、ひょっとしたら金の卵なのではと思わせるほど、何かしてくれそうな雰囲気があった。


「東京かー、東京でアイドルかー、てことはわたし、世界のアイドルっていっても過言じゃないですよねー」


 宝耀さんは浮かれまくっていた。

 しまった言い忘れていた……。

 一応、事務所の所在地は名刺に書いてあったはずだけど、この浮かれっぷりを見るに見落としているのだろう。


「……あの、悪いんだけど、僕はこうして東京でタクシードライバーのアルバイトをしているわけだけど、マネージャーの仕事は東京じゃなくて、千葉でやってるんだ。だから、いわゆる全国区じゃなくて、ローカルアイドルに携わっているわけでね」


 宝耀さん、調子に乗りまくりだったからがっかりしちゃうかなぁ。

 業界最弱のアイドル事務所な上に、全国区ですらないんだもんな。


「千葉……千葉……?」


 ほーら、ショックでうつむいて何やらぶつぶつ言っている。


「えっ、世界レベルの大都会じゃないですか!」


 と思ったら、瞳をキラキラさせた。

 大都会って……そうか、宝耀さんは人よりも畑の方が多いような田舎から出てきたんだもんな。


 などと思っていたら、宝耀さんは。


「だってディ◯ニーランドの植民地ですもんね!」


 埼玉県民は草でも食っていろ、に次ぐ暴言だと思うんだよね。


「おめえはそれでいいや……」


 反論する気すら失くした僕は、死んだ目で車を走らせた。

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