第3話 Connection Failure

「あれ...?」

 ロードオブマナからログアウトし、学生寮から再びH棟の2Fに戻ってきたアルドは、授業終わりの空き教室でミイナを探していた。

 人影もほとんどなくなった教室の中で、人を探すのは難しくないと思っていたが、ミイナは見当たらない。

「まだ来ていないのかな...ん?」

 教室の奥で何か動いたようだ。よくよく見てみると、机と机の間からポニーテール頭がぴょこりと覗いていた。

「ミ、ミイナ?」

 アルドが呼びかけてみると、ポニーテールがびくっと震えた。そろりそろりといった様子で、ミイナが机の間から顔を出した。

「アルド?」

 アルドの周囲に誰もいないことを確認すると、ミイナはやっと机の間から出てアルドのそばまでやってきた。

「...うまくいった?」

「ああ。教室で待ち合わせたから、もうすぐ来るんじゃないかな?」

 最初に会った時の勢いはどこへやら、コソコソと問うミイナに、アルドが答える。

 ルカを教室に呼び出すのに、ミイナをだしに使ったことは、もちろん黙っている。


「ん?誰か来たぞ」

 空き教室に、生徒が一人入ってきた。ミイナはウサギ並みの俊敏さで屈みこみ、机の間に引っ込んだ。入ってきた生徒はゆったりした優雅な動作で、静かにこちらに歩いてくるように見えた。

 ルカ、と口を開きかけたアルドは、寸でのところで声を呑み込んだ。

「(あれ、違ったか)」

 教室に入ってきたのは女生徒だった。ルカを探しているからか、黒髪の女生徒を一瞬ルカと見間違えたアルドは、頭を振って再び教室の入り口に視線を戻した。

 なんだ、早とちりめ、というような非難がましい視線をアルドに向けながら立ち上がったミイナは、再び教室の奥に隠れようと決心したらしく、奥に向かって歩き始めた。

「...アルド?」

「ん!?」

 アルドが声のほうを向くと、先ほど教室に入ってきた女生徒が、小さな声で呼びかけていた。どこかで会ったような気もする面立ちだった。透かすように目を細めてみると、どことなく、ロードオブマナで会ったルカの面影があるように思えた。

「ルカか!?」

 アルドが声をかけると、女生徒はこくんとうなずいた。少し決まりが悪そうにうつむいている。

「ル、るるる、ルカ!?」

 油断して、まったく隠れられていないミイナが、ルカを見て驚きの声を上げた。

「ミイナ...さん」

 小さな声で、ルカは言った。「驚かせてごめんなさい」

「え、お、女の子!?」

 混乱をそのまま表したような顔で、ミイナは言うと、同じように目を丸くしているアルドのほうを振り向いた。

「アルド、どういうことなの!?」

「ええ!?オレは間違いなくルカと教室で待ち合わせたぞ」

 どういうことなの!?と首を絞めんばかりに詰め寄るミイナから、アルドはかろうじて首を守っている。

「ミイナさん。アルドさんは間違ってないです。わたしが、あなたとロードオブマナでパーティを組んでいた、ルカだから」

「え」

「ロードオブマナではルカと名乗っているけど。本当は、ハルカと言います」

「え、え」

 アルドの首に手をかけたまま、ミイナはぽかんと口を開けてハルカを見つめる。口にほこりが入るばかりの間の抜けた顔も、うつむいたまま呟くように話すハルカの目には入らない。

「ミイナさんはわたしと何度か現実で会おうとしていたけど、いつもはぐらかしてごめんなさい。でも、」

 ハルカは一瞬の間ののち、決然とした様子で顔をあげて、「今日は、本当のことを言おうと思って」

 と言った。

「本当のこと?」

 アルドが、首をかしげて問う。

「わたし、ミイナさんがロードオブマナのルカが誰なのか、知らないことわかってた」

「え...」

 ハルカの言葉に、ミイナは驚いたように目を見張った。

「フレンドIDを交換しようと大勢で盛り上がっていた時があって。こっそり輪に混ざってミイナさんとIDを交換しました」

 ハルカは勢いをつけるようにすうっと息を吸い込んだ。

「ロードオブマナで、ミイナさんを探して、さも知り合いのように話しかけて」

 早く言ってしまわなければ、告白すると決断した勇気が逃げてしまうとでもいうように、ハルカは早口になっていく。

「友達のように話しかけるわたしに合わせてくれたけど、戸惑っていたから、ああ、わたしのことわからないんだろうなって。わからなくて、当然なんですけど。でも、わざと正体を明かさなかった。IDAスクールでのわたしのこと、知られたくなかった」止まらないように、止められないように。「ロードオブマナでは、冷静で格好いいソーサラーだけど、現実では冴えない地味な、目立たない生徒」もう、真実を明かすと決めたから。「ローブを羽織って、杖を持って、強くなれたように思えた。その時だけは、あなたとちゃんと話せた。でも現実では話しかける勇気もない、知り合いでも何でもない、他人」

 一気に言うと、憑き物が落ちたようにハルカは表情をなくして立ち尽くした。

 アルドは沈黙を破る言葉を見つけられずに、ミイナを見た。ミイナは口を開けたり閉じたりしていたが、ようやく探し当てたらしい言葉を舌にのせた。

「そう...だったんだ。最初から、知り合いじゃなかったんだ」こんがらがった頭の中を紐解くように、ミイナは呟いた。「てっきり男の子だと」

「オレもロードオブマナで会った時、ハルカは男だと思ったぞ」

「やっぱり、アルドもそうだよね...?」

 髪型はともかくとして、恰好や装備が男物の設定だったはずだ。そんなの、選べたかな、とアルドはフカヒレちゃんに言われるがまま操作した端末での設定を思い出そうとしていた。

「β版の初期では一時期、ジョブと武器、装備をバラバラに設定できるバグがあったんです。それで、装備を男物に設定して」

 だいぶ初期のころからプレイしていたので。とハルカは口ごもった。

 なるほど、ばぐ...。今は、もうなくなったのだろうか。その単語を聞いたら、フカヒレちゃんは震えて部屋の隅から動かなくなるかもしれないな、とアルドは思った。

「そんな...ロードオブマナでは、寡黙で格好いい男の子、って感じで...それなのに」

 ミイナはぶつぶつと言い募る。「ちょ、ちょっといいなあって思ってたのに」

 ああ、なるほど、とアルドは合点した。ここまではっきり呟かれては、鈍感魔人のアルドでも理解できる。

「ミイナはハルカを好きだったんだな」

 アルドは能天気に言った。

「そそ、そんなはず、な、ないでしょう!」

 何も隠せていない動揺した様子で、ミイナはアルドの問いを否定した。

「それは...ごめんなさい...」

 ハルカが言うと、ミイナは沈黙≒肯定の沈黙で押し黙った。まるで風呂上がりのように頬をほてらせて赤くしている。

「ま、まあ、ルカの正体はわかったじゃないか」

 当初の目的は果たせたのではないかと、取りなすようにアルドが言う。「よかったんじゃないか?」

「うう...全然、よくない!」

 ミイナは紅潮した頬に劣らず耳を赤くした。「一人で浮かれたり、こっそり正体を探ろうと悩んだり、ばかみたい...」

「ミイナさん、ごめんなさい。全部、わたしが...」

 何か言いかけたハルカを鋭い視線でミイナが見る。

「わざと知っている風にわたしに話しかけて、男の子のふりをして...だ、だましたの!?う、嘘つき!!」

「ミイナ!」

 恥ずかしさと、いたたまれなさが先行たようにミイナが紡いだ言葉を、アルドが制止した。

「...っ」

 言ってしまった、と言うようにミイナは声を詰まらせた。息をのんで見つめる2人の視線を受けたハルカは、蚊の鳴くような声で呟いた。

「...そう、ですよね」

 ハルカは、思い出す。

 今まで、ミイナと、話したこと、笑ったこと。一緒にやってきた、そのすべて。

 はじめはごちゃごちゃした、バーで待ち合わせていたっけ。

 混んだ雑多なバーの中でお互いを探し出すのが億劫になって、緑がにおいたつような草原で待ち合わせるのが日課になった。2人だけで話せればよかった。

 初めて攻略したクエストでは、お花を取りに行ったっけ。道中の敵が強くて、危うくやられそうになったけど、何とか切り抜けた。

 現実よりもわくわくしていた。

 こっちが本当の世界ならよかったのに、と何度も願った。

 でも、全部、ゲームの中でのこと。

 気持ちの良い陽の光の中を散歩した。素晴らしく巧妙に作られた、偽物の陽の光の中を。

 城のテラスで、吹く風に髪をなびかせて語らった。それは風を感じるよう設定された、感覚刺激の中で。

 仮の姿と、偽りの自分で築いた、友情。

 楽しかった。でも、苦しかった。

 だから、今日、言えて良かった。

 冷静で格好いい、ソーサラーの男の子じゃなくて、

 地味で、冴えない、わたし。


「ごめんなさい...」

 正体を知られたくないと願って、ごめん。格好良いソーサラーでいたくて、ごめん。友達になんてなり得なくて、ごめん。

「だますつもりは、なかった。わたし、ただ...」

 悲しみを滲ませた口角が歪んで、ハルカはかろうじて微笑んだ。「あなたと、友達になりたかった」

「!」

 ミイナの視線がハルカの目を捉える。さみしく透き通って、消えてしまいそうだ。

 受けた恥辱に追い詰められて発した、自分の言葉の強さに動揺していた。それでもミイナは頭の隅で、さっき言った言葉は、本心ではないとわかっていた。ミイナは口を開いた。息を吸って、そして...言葉は逃げて行って、ただ沈黙が横たわる。

「楽しかったなあ...」

 絞り出すように、ハルカが言葉を紡ぐ。

「今までありがとうございました。さようなら」

 そっとつぶやくと、ハルカは背を向けて、教室を出て行った。

 冷え冷えとした静寂の中、アルドとミイナは立ち尽くした。重くよどんだ空気で、教室が満たされたようだった。

「ミイナ...?」

 アルドは静かに呼びかける。

 ミイナは空中に視線を漂わせたまま動かない。

「ミイナ!このままで、いいのか!?」

「う”っ...」

 アルドの呼びかけに、ミイナは奥歯を食いしばって、喉の奥からよくわからない音をだしただけだった。

「ミイ...」

「わ、わたしは白制服で...人気者の、ミイナちゃんなんだから。そう、だから、このままほっとくわけにはいかないじゃない」

 空中を見つめたまま、自分を納得させようとするかのようにミイナはぶつぶつと呟いている。

「ミイナ...?」

 驚いているアルドを見ずに、ミイナは両手で自分のほほをはさむように叩いた。パンっという乾いた音が教室に響く。

「アルド、行こう!」

「!?お、おう!」

 焦っているのかいやいやなのか判別がつきかねる速度で扉までたどり着き、教室を出るとミイナは左右を見渡した。

 続けてアルドも廊下に出て、あたりにさっと目を走らせる。

「もう、見えなくなってるな。」

 ハルカの姿は、どこにも見えなかった。

「ど、どど、どうしよう...」

 さっきまでの勢いはどこへやら、ミイナは動揺して立ち尽くした。

 忙しいな、と思いながらミイナを見て、

「探そう!」

 とアルドは言った。

「も、もちろん...!」

 とミイナは答えた。

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