初夏 ~つるばら、つるばら~
ルカと初めて会った日のこと、きっとずっと忘れない。
あの日。
バカみたいに風の強かった5月も半ばの、あの朝。
風に煽られて、くるりと私の前で振り返った子が、ルカ、彼女だった。
目の前で、
『花が咲いた』
そう、思った。
それくらい、ぱっ、と何かが弾けて開いたんだ。
「風、強過ぎじゃない?」
振り返った花が、口を尖らせて言った。
その言葉が私に向かって発せられたとは全然思わなくって、ただぼうっとその顔を見つめてるだけだった私に
「え? あれ? 三村さん、じゃなかったっけ?」
小首を傾げて聞いてきたから驚いたんだ。
なんでこの子、私の名前、知ってるの? って。
慌ててようく見つめ直したら、同じクラスの桐山ルカだ、ってことにそれでようやく気が付いた。
私がぼうっと抜けてるのはもちろんだけれど、でも、だって、2年になって初めて一緒のクラスになったルカは、教室の中との印象が全然違ったんだもの。
イマドキっぽいスマートでクールな見た目でいながら、そのくせソフトな人当たりで皆の間にするりと溶け込める器用で得なひと──、そんなふうに遠目に見えてた。あちこちぎくしゃくしてて人の中にうまく潜り込めない私だからこそ、余計にそう感じてたのかもしれない。
それが今、目の前にいる彼女は、ひとの中を誰にもぶつからずに上手にすいすい泳ぐというよりは、どんな人波にも飲み込まれないだけの、見事なまでに鮮やかな花を咲かせている。
「わぁ……」
勝手に声が漏れた。
「ん? 違った?」
ルカの口があれれ、と言わんばかりに大きく開いた。
「いや、そうじゃなくって」
慌てて手を振って、
「ええっと、合ってる。合ってて、」
「ああ、良かった」
私の言葉にルカの顔が即座に崩れたから、それにもまた驚いた。
「名前、間違えちゃったかと焦った」
そう言って笑ったルカの顔がより一層、大きく花開いて、それこそ何かいい匂いまでしてきそうだった。
「私、ルカ。桐山ルカ。同じクラスなんだけど知ってる?」
小さく頷くと、「良かった」もう一度繰り返したルカが、そのまま横に並んで私の腕にすううっと自分の手を絡ませた。
エスコートをしてもらい慣れている王女のように、それはそれは優雅な仕草だった。
「ほら、そろそろ行こうよ。でないと学校、遅れちゃうよ?」
色鮮やかなつるばらの、私はその時から支柱となることを自分に命じた。
つるばら、つるばら。
鮮やかに花開いたつるばらとは、教室でもそのままあっという間に親しくなった。それだけで私の世界は一変し、ふうわり舞い上がる。教室の片隅になぜかひっそりと置きっぱなしになっていた古びた小学生用の朝顔セットに、いきなりつるばらが植えられたようなものだった。プラスチック製の鉢は、縁が欠けていてもマジックで書かれた下手くそな文字がうっすら残っていても、つるばらが植わって咲いていればエブリシングオッケー。私がつるばらを支えるのだから。
と思ったら、それは大いなる勘違いであったことにすぐに気付かされたのだった。
「私、今日は外で食べるんだけど、良かったら一緒に行かない?」
他の誰をも差し置いて、ルカが私だけを誘ってくれたのが嬉しかった。何でだろうと思ったけれど、理由は聞かなかった。でも、心の中では疑問がひっそりととぐろを巻いて端っこに居座る。それには目を背けて、
「うん。もちろん」
それだけ言って、昼休み、お弁当を持って一緒に屋上に上がったら、壁際に座っていた男の子が手を上げてこちらに合図を送っているのが目に入った。それがミフユだった。
一学年下のミフユのことは、私でも知っていた。
軽音楽部で組んだバンドでキーボード担当。文化祭のステージでは一曲だけだけれど弾きながら歌って、それがとても切なくて美しい歌声だったと評判になったばかりだったからだ。
「こんにちは」
初めて会う、それも会うことだって聞かされていなかっただろう相手に(だって私がそうだったのだからそうに決まっている)、とてもにこやかに笑いかけることができる年下の男の子。その当たり前のような自然な笑顔になぜだか無性に苛立った私は、それでも少しでも同じような笑顔に見えるようにと思いながら笑い返す。
「こんにちは。はじめまして。ええっと、私、桐山さんのクラスメートの」
「知ってます。三村さん、三村ナツさん、ですよね? ルカ、あ、ルカさんから聞いてます」
横でぷぷっとルカが吹き出した。
「何?」
不意打ちを喰らって、思わずぶっきらぼうにルカに返してしまう。
「あ、いや、ナツもだけれど、ミフユもミフユで」
「何だよ。ぼくだってこれでも気を遣ってるのに」
「え、ああ分かってる、分かってるってばふたりとも。でもいいよ、そんな仰々しいのは。だったら私から言うし」
そう言うとルカは私に向き直った。
「ええっと、ミフユ。は知ってる? ひとつ下、沢田ミフユ。1年、軽音」
「知ってる。だって有名でしょ。高校に入ってきてまだ数ヶ月しか経ってないのに、すっごくうまい1年生バンドが出てるって文化祭で評判になったばかりで」
「そう、それ。で、ナツのことは先に説明してあるし」
「何て?」
つい詰問口調になってしまった。何も聞かされていなかったから。相手は私のことを聞いていると言っているのに。
「一番の友だち、って言われました」
ミフユがルカの代わりに涼しい顔をして答えた。
「2年になってできた、大切な友人だと」
「そんなこと言ってない」
慌てたように即座に抗議の声をあげるルカ。
「気が合うって、一緒にいて気楽だって、そう言っただけで」
「あなたみたいなひとにとってそれは、一番、ってことでしょう?」
いたずらっ子みたいにルカに笑いかけながら口にしたミフユの言葉で、ルカの頬が一瞬で赤く染まる。
初めて見るルカのその顔に、私の息は止まりそうになった。
ミフユは屈託のない笑顔を今度は私に向けると、
「ナツさん、って呼んでもいいですか?」
ダメ、と言えたらいいのに、そんなこと言える訳もなかった。
だからせめて、渋々と、といった体で言ってやる。
「……いいけど、」
それであなたはルカの何ですか、と私が問いかけるより先に、ミフユはしれっと言ったのだった。
「申し遅れましたが、ぼくはルカの恋人です」
その言葉を聞いて、ルカの顔を見ることを私はしばしの間、諦めた。
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