第22話   魔王とその従者たち

 紫色の濃霧たちこめる、夜の荒野の真ん中で、純白の外套に身を包んだ司祭ドルイドたちが、一斉に顔を上げた。


 その中央に位置し、司祭たちを統べる女も、閉じていた目を開き、招かれざる来訪者を見据えた。


「来ると思っていたぞ、夢魔の小童こわっぱよ」


 聖女の裸婦像にもたれかかるように両腕を回しているのは、この場の誰よりも巨大な、毛深い女だった。顔つきは蝙蝠こうもりに似ており、背中の両翼は大き過ぎて、壁のように横に広がっている。


 夢魔少年は、単身で彼らと対峙していた。この場の誰よりも小さいけれど、怖気ることなく黒い翼で滞空している。


「あなたは、女夢魔サキュバスですか」


 少年は、同族とは思えぬほど巨体で禍々しい夢魔を見上げた。そして既視感を抱く。夢で見た少年王子の父親に、しなだれかかっていた妖艶な隠者の女、あれと雰囲気が酷似している。


 ダイスの音が鳴り響く。


 巨大の夢魔が、耳までばっくりと裂けた大口で弧を描いた。


「ほほう、いかにも、あの時の女の内にいたのはわらわである。お前は他者から肉の器を授かったであろう、あれと似たことをしておっただけだ」


「あなたたちは、魔力の豊富な少女たちを聖女と偽り、祭り上げ、彼女たちを俗世や家族から引き離し、そして最終的には、あなたの肉の器として隷属させていたと。僕の推測に、間違いがあればご指摘ください」


 夢魔少年は、ただ確かめに来ただけだった。彼らが何者かを。何をしているのかを。単なる知的好奇心に、身を投じたに過ぎなかった。


 魔女を失った今、夢魔少年を突き動かしているものは、それだけだった。


 そしてそれは、紫の目玉を輝かせる巨体の女に見透かされていた。


「少女たちは大勢いる。妾は常に若々しく、健康な、そして魔力に富んだ肉体を手に入れ、うつつの世界を渡っていく。お前はあの聖女の一人の仇討ちにでも、参ったのか」


「いいえ。僕も悪魔の端くれですからね、人間社会にも、愛だの情だのにも興味はありません。そもそも僕は、彼女が会得していた魔術の類に興味があったのです。それだけが彼女に近づいた動機でした。彼女が手の届かない存在になってしまった今、他の師匠を探して勉強するまでです」


 唇をつーんととがらせて言い張る夢魔少年に、巨体の女は目を細める。


「全く執着はないと? 妾に嘘を申しても、通用せんぞ」


「あなたの正体は、大昔に勇者に倒されて封印された、魔王なのではありませんか?」


 女に動じた気配はない。呼ばれ慣れているようだった。


「なぜ、そう思う」


「僕はこれでも、勉強熱心でとおっています。僕よりも優れ、師匠となる存在を探して、夢を渡っておりました。しかし、あなたの噂も、あなたの存在に関する情報も、一度も耳にした事がありません。僕の情報収集能力が未熟だと言う疑念も拭えませんが、あなたの存在が、同胞である夢魔達から、巧妙に隠されていたのだとしたら、僕でも探る事は難しいですね」


 魔女を失った夢魔少年に、もはや怖いものはない。


「あなたはまだ、完全に勇者の封印から逃れられてはおらず、手下の隠者達の助けがなければ、この場にいられないくらいに弱っているのではないのですか?」


「……」


 巨体の女、否、魔王は面白げに少年を見下ろしているだけだった。


 司祭ドルイド達のうち、一人が片手を挙げた。


「子供よ、儂らの仲間にならんか? 人間どもにとっては魔王であっても、我らにとっては、このお方こそ女神様なのだ。弱く、儚い夢魔たちを、守り、慈み、永遠の安泰をもたらしてくださるのは、このお方をもって外にはおらんだろう。仲間との旅路も、愉快なものぞ?」


「僕は勉学に励み、自力で強くなります。それに、こんなに狭い場所で群れるのは、得意ではありません」


「なぁーに、ここは世界のどこよりも快適じゃぞ。なあ、みんな」


 そうだそうだと、一斉にうなずき始める白いフード越しの頭。


(あーあ、動きが完全に一致しちゃってます。哀れですねぇ……)


 満場一致で一つの意見しか通らない団体に、所属するだけ無駄だと思った。


「今宵は皆さんのお顔だけ拝見したかったので、僕はこれでおいとまいたしますね。気の利いたご挨拶もできず、申し訳ありませんでした」


「小童よ」


 呼び止められて、すでに帰る気でいた少年は振り向いた。


「はい、なんでしょう」


「妾は復活できると思うか?」


 何をもって復活と為すのかわからないため、少年は少し考えた。


「そうですね、僕たち夢魔は人間の夢を介して活動する悪魔ですからね……夢を見ている人間が、あなたに心酔し、何を犠牲にしてもあなたへの忠誠を誓うのであれば、あなたの復活は容易だと思います」


 ほほう、と司祭ドルイド達が、同感するようにうなずいた。


「でも」と、夢魔少年は流れを変える。


「あなたはまだここにいる。僕が夢の中で見た、あのふしだらな女隠者も、結局あなたよりも権力のある男の方へ、なびいたのではありませんか?」


「……」


「そして今、あなたが寄生しているこの肉の器にも、どうやら恋人ができたみたいですね」


 司祭ドルイド達が、にわかにざわめいた。


 少年は構わず続ける。


「しょせん彼女たちは偽りの聖女。僕たち悪魔が選定した、悪魔好みのふしだらな女たちなのです。あなたに生涯尽くす者もおらず、今よりも楽な生活が送れるのだったら、そちらになびいてしまいます。そしてすぐに享楽に耽る……僕たち夢魔が選んでいるのは、そういう一面を隠し持っている女達ばかりなのです」


 夢魔少年は、悪魔らしい歪つな笑顔を満面に浮かべた。


「復活、できるといいですね」


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