第3章 後日を生きる者たち
第21話 薄汚く欲深い殺人者
「運命打破の
今日の分のダイスを全て使い切った聖女は、何もない砂漠地帯を、ぼんやりと眺めていた。
「結局、最後まで、彼は私を正確に認識する事はありませんでしたね。別れの言葉もありませんでした……」
哀れみ、導き、浄化の手伝いをし、どんなに聖女が危険に身を投じて心を砕いても、彼らは一人で満足して去ってゆく。ずっと傍にいて支えてくれていた彼女がいたことを、ほとんど認識できないままに。いつも己一人が自力で、ここまで辿り着いたと勘違いして、消えていく。
(まぁ、私に対して変な未練ができてしまって、その想いに縛られてしまうよりは、マシでしょうか)
魔女が潜んでいた、あの深い森森は、どこにも見当たらない。
少し視線を下げると、そこには人骨のかけらが、まばらに集まっていた。古ぼけた男女の遺骨だ。重なり合うように散らばっている。こんな場所にあったら、そのうち、風や雨で無くなってしまうだろう。
聖女は一人、取り残されていた。慣れているはずだったが、どこか物悲しい気持ちになっている、そんな自分に、静かに驚いていた。
「きっと、幸せな方々の魂を、初めて見たからでしょうね。私が浄化してきた魂は、恨みつらみから解放されて、自分自身で納得のいく形で、一人で昇華してゆきましたから……。彼ら二人のような形で、幸せいっぱいに消えて行ける人たちがいるなんて、思いもしませんでした」
聖女はあの二人について、羽の生えた小さな少年から話が聞けると、勝手に思い込んでいた。だから、この場に誰もいなくなっていたのは、ちょっと意外に感じていた。
ずいぶんと潔い性格をした子供だなぁと思った。
「彼女が幸せならばそれでいいと、心の底から思って、彼女に未練がないように自ら去っていったのだとしたら、あなたほど彼女を想っていた人はいないかもしれませんね」
聖女は空を見上げた。乾燥した青い空に、鳶だろうか、大きな鳥が弧を描いて飛んでいる。
それをしばし眺めているうちに、砂漠の砂を踏む音が二人分、近くなってゆくことに気づいた。
「おい、ダイスの聖女。あの大きな男はどこへ行った」
聖女は、ゆったりとした動きで彼らに振り向いた。
「彼ならば、無事浄化に成功いたしました」
「嘘をつくな! 適当な場所で逃したんだろう!」
聖女に槍の先端が向けられる。
「逃したのではありません。彼の魂は浄化され、あるべき場所へと昇りました。あなた方の国を脅かす事は、もうないでしょう」
「どこにそんな証拠がある。王と国民を謀った罪、しっかりと償ってもらうぞ」
またかと、聖女は視線を斜め下に投げた。化け物に堕ちた魂を浄化すると、証拠となるモノも消えてしまう。化け物そのものもいなくなってしまうため、浄化を確実に行ったという物的証拠を出せと言われたら、何も出せなかった。
そのことで揚げ足を取られ、報酬をもらえなかったり、詐欺罪で連行されそうになったことが多々ある。そんな時、いつも助けてくれたのはダイスの力だった。
今日はもうダイスの力を使い切ってしまったから、今日だけはおとなしく捕まり、明日また誰かの魂にダイスの力を注いで、助けてもらおうと思った。
聖女は誰にも、正義感など期待しない。自分も含め、人は皆、保身に狂った薄汚い化け物だと知っているから。そしてそれが自然であり、普通であり、普遍であり、いたって問題のないことなのだと、あきらめているから。
何も期待せず、何も抵抗せず、聖女は槍を突きつけられながら、元来た道を戻り始めた。
その時だった。
槍を携える二人の兵士のうち片方が、相方の首を横から槍で突き刺した。驚いて喚き散らしながら抵抗する相方を、何度も何度も、槍で突き刺した。
やがて動かなくなった相方を見下ろし、返り血まみれになった男は、興奮冷めやらぬ様子で肩で息をし、聖女を見下ろした。
聖女も同じく、返り血にまみれていたが、動じている様子はなかった。
(ああ、この人は手柄を独り占めしたいのでしょうか。それとも私の能力に価値を見出し、人買いに売り渡すつもりでしょうか)
聖女にとってはどちらも同じ事。誰かに捕らわれることに、変わりは無いのだから。
「聖女様」
息を整えながら、男は聖女に片膝をついた。その様子に、聖女の紫色の瞳が意外そうに見開かれる。
「はい、何でしょうか」
「あの国に戻ってはいけません。王の宮殿に連れて行かれたら、物珍しい女として、生涯飼い殺しにされてしまいます。あなたは、そんな形で生涯を終えるべき人ではありません。俺と一緒に、逃げましょう! アテはあるんです」
「逃げる……そうですね、お仲間をこんな形にしてしまったら、あなたも元の国には戻れないでしょうね」
聖女は、砂の上で鮮血を流し続ける兵士を見下ろした。相方の正体が、容易には判らないように、顔が念入りに潰されていた。もしも彼の遺族がこの遺体を見たら、身内だと認めたくないであろう
聖女は一度目を伏せると、生きているほうの兵士を、改めて見上げた。強い信念を抱いた、燃えたぎる若い熱視線を受け、聖女は呆然とした。
「私はあなたが思っているほど、綺麗な人間ではありません。きっとあなたは失望し、私のために人生を棒に振ったことを後悔されるでしょう」
「俺はあなたが、本当にあの大きな戦士を浄化したんだと、信じています。これからも、そのように多くの人を助けるべきです」
兵士が一歩、聖女に詰め寄った。
「俺はその旅路を応援したい。何を犠牲にしても」
彼の綺麗でまっすぐな瞳は、妄信的であった。きっと聖女の持つ不思議な力のみに魅力を感じているのだと、自分に言い聞かせてみても……それでも、自分のために何を犠牲にしても応援してくれると、そんなことを言う人がいるだなんて。
(こんな私に……)
寄り添ってくれる人が現れたのは、生まれて初めてだった。聖女は目を閉じ、彼の言葉、その声のみに集中する。
「あなたも大概汚れていますね」
「こんな俺じゃだめですか。だめって言われても、連れて行きますから。あの国では、あなたは王の玩具にされるだけです」
「はい。では、連れて行ってください、どこへなりとも」
聖女がそっと目を開くと、目の前いっぱいに彼の顔があった。とても嬉しそうだった。さっきまで一緒に仕事をしていた仲間の返り血にまみれた顔で、彼は笑っていた。
(手も顔も血で汚して、それでも神聖な旅路に同行できるご自分に、酔いしれているのですね。本当に愚かで、小汚い人)
聖女は嬉しかった。自分のためにここまで汚くなる人がいるなんて、思わなかったから。
(神聖さを謡う聖女が、聞いて呆れますね〜)
汚さこそ、この二人の絆となるのだから。
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