第20話   二人の浄化

(なんか、思ったよりも壮絶な過去の持ち主で、疲れちゃいましたね)


 少年は戦士の眉間からするりと抜け出ると、木陰に横たわっていたカボチャパンツな肉体に戻っていった。


 起き上がった少年の傍に、魔女が不安そうな顔で座っていた。


「インプくん、大丈夫だった? なかなか出てこないから、心配したわ」


「あ、はい、いろいろありましたけど、大丈夫でした」


 少年はふと、魔女に違和感を覚えた。彼女が魔力を失ったせいだろうか、いつも身にまとっている余裕と、自信に裏付けされた輝きが、ずいぶんと薄れているように感じた。


 気になるところだが、それよりも、まずは――彼女に、いち早く伝えたい言葉があった。


「お師匠サマ、彼ですよ」


 少年が戦士に視線を向けると、黒い棘に溢れていた鎧が、今まさに渇いた音を立てて朽ち、剥がれ落ちているところだった。


 魔女と、ずっとその場で佇んでいたのだろうか聖女が、身を硬くして、その様子を見守る。


 卵の殻にも、カサカサに乾いた枯葉にも似た鎧の呪縛から解放され、その場で仰向けに倒れていたのは、魔女にとっては懐かしい、あの少年であった。


 銅板と同じ色の前髪を風に揺らしながら、少年はゆっくりと目を開けた。


「……マー、ジョリー……?」


 魔女の瞳が、釘付けとなる。木陰から立ち上がり、少年の元へ駆け寄った。


 魔女の姿は、いつの間にか真っ白い外套をまとう聖女だった頃に、戻っていた。あの妖艶に成熟しきった体つきではなく、質素な食事にいじめられたような痩せぎすな体型の、地味で冴えない、劣等感の塊のような、そんな少女に戻っていた。


 少年は自力で起き上がれないようだった。首には縄の跡がくっきりと残り、体中には、すでにその身が亡骸であることをうかがわせる、深々とした切り傷が随所に刻み込まれていた。


 魔女は、否、聖女はその身がまとう白い外套が汚れるのもいとわず、少年を抱え上げると、強く抱擁した。


「もう二度と会えないと思ってたわ……。あなたは殺されたと、聞いていたから」


 動かない両手が、彼女を抱きしめ返そうとしたのか、わずかに指先が動いた。しかし、それだけだった。


 聖女は抱きしめていた腕を緩めると、改めて、少年の顔を見つめた。痣と傷でぼろぼろになっているが、その表情かおは、穏やかだった。


「助けてあげられなくて、ごめんなさいね……」


「どうして謝るんですか? 僕はただ、とてつもなく悪い夢を見て、うなされていただけです」


 かすれた声で、微笑む少年。


「もしかして、わざわざ駆けつけてくれたんですか? ありがとうございます、聖女様」


 本当に夢ならば、どんなによかっただろうか。狂戦士バーサーカーだった少年が、今までのことを本当に夢だと思っているのかは、わからない。もしかしたら聖女を慰めるために、夢を見たのだととぼけているだけかもしれない。


「そうね……今までのことが全部夢で、これが現実」


 魔女の魔力で創られていた森が、異空間が、朽ちてゆく。大きな破片が、枯葉のように剥がれ落ちてゆく。


 剥がれた仮初めの空から、本物の、眩しい朝日が降り注いだ。


「だってあなたは、こんなにあったかいんだもの。会えてよかったわ、本当に……」


 温かいのは朝日のせい。真実の二人は、すでに亡くなっている。


 ここにいるのは、呪縛に囚われていた魂。彼らを縛り付けていた隠者達の蔓は、もう無い。


 インプ少年は、聖女と視線が合うのが嫌で、彼女がこちらを振り向こうとする気配に気づくと、背を向けた。


「僕のことなら、どうぞご心配なく。僕は師匠サマに会う前から、ずーっと一人で生きてきましたから」


「インプ君、あのね、あなたの鎌に使った素材の、聖女の遺物はね、アレ私のパンツなの」


 インプ少年は、がくっとよろけた。最後に何を言われるかと思ったら。相変わらずふわふわしている今の彼女を、インプ少年は勇気を出して、視界に入れた。


「てっきりハンカチだと思ったんだけど、間違えちゃったのよね」


 いつものように、楽しげに自分と会話する彼女の顔が、そこにあった。


 どおりで聖遺物なんて貴重な物を手に入れられるわけだと、インプ少年は呆れる。


(相変わらず、しっかりしてるんだか、そうじゃないんだか。変な人です)


 思わず、支えてあげたくなってしまうけれど――


「どうか、お元気で。今度こそ、楽しく暮らしてくださいね」


「ふふ、あなたの底無しの探究心が、こんな奇跡まで起こしちゃうんだもの、私も先生として嬉しいわ。お城での生活も、とっても楽しかった」


 弟子であるインプ少年が、ここまで頑張ってくれたのは、ひとえに純粋な探究心からくる情熱だと思っているようだ。


 インプ少年は何も言わず、彼女の本当に嬉しそうな笑みから顔を背け、鎌を背負い、本物の空へと飛び去ったのだった。


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