第19話   夢魔

 棺の蓋が閉じられてゆく最中、少年の意識が、うっすらと戻ってきた。声は出なかったけれど、少年は確かに、聖女に助けを求めていた。隠者達の手に落ちている彼女の身を案じる気持ちと、自分を救い出してほしい気持ちがないまぜになり、涙を流し続けていた。


 こうして少年は、悠久の時を、怒りと嘆きと後悔に苛まれながら、眠り続けたのだった。



「なんてことでしょうか。この戦士こそが、今の僕の元になった人だったのですね」


 夢魔少年は認めたくなかったが、強い絆で結ばれた二人の仲に、割って入ることは不可能なのだと、思い知った。


 魔女と戦士は、もはや互いに助けを求め合うことでしか、誰かとの絆が残されていなかったのだ。


 魔女にとってはこの戦士のみが、自分の気持ちをわかってくれた唯一の相手。そしてこの戦士にとっては、信じていた全てから見放された絶望に溺れながらも、今もなおその身を案じ、そして救いを求めずにはいられない、最後の希望だった。


「このかたは、末っ子だそうですね。だから自分より弱くて頼りなさそうな状態にある聖女を、ほうっておけなくて、また頼りにされるのも嬉しかったのかもしれません。初めは、そのような親切心だったのでしょう、それがやがて強い絆となり、僕の原形となったのですね」


 そして夢魔少年は、現実世界で受肉した自分が、かぼちゃパンツ一丁の小さな姿であることに、嫌な疑念が湧いてきた。


「僕のあの赤ちゃんみたいな見た目……師匠サマはこの戦士との間にできた、子供と仮定して、こんなに小さな僕を作ったのでは……それはさすがに、考え過ぎでしょうか。僕のことを子供扱いし、また、僕が向ける師匠サマへの想いに、困っているふうだったのは、貴女が先生ではなく、姉でもなく、本当はお母さんになりたかったから……とか?」


 しかし、その考え方でゆくと、夢魔少年は最初から大人の異性として思われていなかったどころか、守るべき小さな愛する子供、それが夢魔少年に向ける、魔女の感情だったということになってしまう。


「ごめんなさい、師匠サマ! 僕はその思いに応えることができません。だって僕にとっては、貴女はお母さんじゃなくて、師匠サマですから。そして――それ以上の存在でもありますから」


 夢魔少年も吹っ切れた顔になって、前を見据えた。もう過去の記憶に用はない。魔女と戦士の反吐が出るような悲恋も、お腹いっぱいである。


「本音を言うと、貴女を誰にも渡したくありません。でも、でも……彼と共にあるのが、貴女が正常に戻れる唯一の方法ならば、僕は、生涯貴女についていく夢を、あきらめましょう!」


 夢魔少年は、ふわふわと行く手を阻む記憶の風船たちをはねのけて、思いっきり奥深くまで急降下した。


 この先に、戦士を蝕む寄生虫がいる。



「んお?」


 黒く霧掛かった最深部には、少年の姿をした大木と、その周りにびっしりと座っている、大勢の隠者がいた。魔女のときと同じく、不気味な宿り木でできた隠者達が、少年の姿をした大木に黒いつるを伸ばし、寄生している。


「また来たのか、お前は。我らと同じ夢魔であるのに、なぜこんなにも人間の味方をする」


「あなた方こそ、どうして師匠サマを怖がらせる戦士と一緒にいるんですか!」


「あの魔女よりも、この戦士のほうが扱いやすいからだ。乗り物は多種多様に、膨大な数があるに越した事は無いからな」


 彼らは次こそ宿主を守ろうと思ったのか、少年の形をした大木が、みるみるとげの生えた蔓で覆われていく。瞬く間にみきを棘で覆い尽くした蔓は、黒薔薇のような小さな花を次々に咲かせた。


(わあ花まで! 大変です、急がないと彼の記憶や何もかもが奪われて、本当にただの操り人形となってしまいます!)


 夢魔少年は、彼ら隠者が誰かに寄生している間は、全く抵抗できないことを知っていた。魔女の意識の奥深くに入ったとき、びっしりと座っていた隠者たちに、初めは度肝を抜かれたが、何も抵抗してこなかった彼らを、遠慮なく焼き尽くしてやった。


 そして夢魔少年も、腐っても悪魔。嫌味たっぷりな性格の悪さも、ちゃんと兼ね備えていた。戦士の記憶から、理想の女性を探り当て、そして当然のごとく聖女だった頃の魔女の姿を借りて、彼ら隠者の前に現れてやった。


 夢魔少年が、聖女の口を借りて言葉を紡ぎ出す。


「よくも私と彼を、貶めてくれましたね。次はお前たちの番です、生きたまま焼かれるがいい!!」


 隠者達の黒い外套がいとうの端から、次々に不知火が灯る。だが隠者達はそれを手で払おうともせず、それどころか微塵も動くことなく、不敵な笑い声だけを上げた。


「儂どもは滅びんよ。寄生先の戦士も聖女も、大勢いるのだからな」


 自らの体が、枯葉のような勢いで焼失してゆく中、隠者達は不気味な笑い声をあげながら、やがて一人残らず灰となった。


 その灰も、輪郭を薄くし、消えていく。


 大木少年に巻き付いていた棘だらけの薔薇の蔓が、バラバラと剥がれ落ちた。


 呪縛から解放された少年が、うっすらと目を開けた。


「マージョリー……」


 少年が口にしたのは、魔女の本名だった。


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