第18話 奇妙な邂逅③
辺りの匂いが、血生臭いものに変わった。切って落とされた夜の帳に、聖女から拝借して頭に被っている白いベールが、重なる。
少年は聖女を逃がすために、わざと
「いたぞ!」
「あの白い布を被ってる女だ!」
自分は足に自信があるから、早々には捕まらず、たっぷりと時間稼ぎができると思っていた。だが、夜の森は想像以上に視界が悪く、片手にしていたランタンが照らす範囲も、心もとなかった。
木の根につまずき転倒。後ろから迫っていた追っ手に、あっけなく捕まってしまった。
『待ってくれ! 僕の話を聞いてくれ』
少年は自分が国王の息子であり、数多いる兄弟のうちの末弟であることを説明したが、たくさんいる王子王女の顔を全て暗記している者は少なく、さらにこの暗い夜の森では、彼の顔がよく見えなかった。
兵士たちは尋ねる。本物の王子ならば、なぜ王を愚弄した聖女の味方をするのかと。王子を騙る不届き者ではないのかと。
少年は否定した。自分を王のもとに連れて行けば、きっと分かってもらえるはずだと訴えた。
しかし兵士たちには、あらかじめ王から、とある指示が下りていた。もしも国王を敬愛する王子であるならば、父からもらった魔除けを、肌身離さず持っているはずだと。
兵士からそのように言われて、少年はぎょっとした。あの銅板は聖女に託してしまったから。隠者とともに逃げ延びた聖女が、持っていってしまったから。
自分の潔白を証明するためには、聖女の居場所を吐かなければならない。そうすると聖女の身に危険が及ぶ。
自分が何のために逃したのかも、わからなくなる。
少年は銅板を持っていないことと、王に会わせてもらえればわかってもらえるからと、必死に訴えたが、王子そっくりの偽物と疑われ、連行された。
地下牢に投獄される際、少年は父を見かけた。父の傍には、どういうわけか黒い外套をまとった隠者が一人、付き添っていた。
隠者たちは、歴代の聖女たちの元世話役。仕えていた聖女がその役目を剥奪されると、その世話役も引退し、その後は国からの謝礼金を受け取りながら、随所で静かに暮らしている。
彼らが表立って行動する事はなく、彼らの姿を見かけることの方が珍しくなる。それ程までに、俗世からの縁を切って暮らしている彼らだが、だからこそ、こんなところに立っているのは不自然であった。
しかも、年寄りが多い隠者の中で、王の傍にいたあの者は、ものすごく胸が張っていた。若い女性のようであったが、その顔は目深に被ったフードで見えない。父の側室の一人であろうか。
暗い牢獄の中、少年は、あの隠者の正体について考えてみたが、信頼できる家臣か王に直接聞かない限りは、答えがわからない。そう結論づけた矢先、なんと隠者のほうからやってきた。
そして驚くべき事を告げられた。彼ら隠者こそが、聖女たちに神託を授けていた神の正体。王にとって不都合な神託を授けたのも、王子に重たい銅板を授けて忠義を計るよう促したのも、自分たち隠者であると言った。
また、隠者たちは積極的に少年と交流を持ち、信頼関係を築き、緊急時には自然と聖女を預かる立場になることを、あらかじめ計画していたのだと
類まれない魔力を持つ少女は、聖女に選ばれた時から、隠者たちの手に落ちていたのだった。
少年は彼らを信じていた過去を悔い、そして憤怒した。全身の血が逆流する勢いで憤怒した。
しかし、いくら激昂しようとも、檻からは出られない。少年は自らの無実を訴え、父に会わせてくれるよう何日も牢番に頼んだ。
はたして、王は地下牢まで下りてきた。
そして、王子から最後の希望を奪っていった。
王には数多いる王女や王子がいるため、顔のよく似た偽物を使って王に取り入ろうとする輩や、城に紛れ込もうとする輩が跡を絶たなかった。
そんな時、王はその者が偽者か本物かを確認するために、どれほど父のことを敬愛しているかを測った。偽物が並べ立てるお世辞は、どれも表面上ばかりで、すぐにわかる。
本物の息子娘達ならば、父との思い出を交えながら、その敬意を、言葉に託すことができた。
もう一つ。
なぜなら、愛する国の和を乱す後継者など、要らないから。
そして数多いる子供のうち、何人を間引こうが、跡継ぎ問題に困る事は無かった。顔が覚えきれないほど、子沢山だから。王は優秀で理想的な子供たちのみ、残していたのだった。
そんな非情なる暴君が、今の少年を見てどう思うだろうか。どのような沙汰を、下すだろうか。
少年は銅板を聖女に預けてしまったこと、そしていかに父の寛大さにすがり、その慈悲を求めているかを語った。
ところが、肝心の父との思い出が、少年には極端に少なかった。多忙な国王の末弟として生まれてしまった彼は、ちょうど戦争の時期も重なって、ほとんど父から構ってもらっていなかった。
父と語らった船の上と、父に構ってほしくて聖女の見張り役を立候補したときの、あの二回しか、共通の思い出がなかったのである。
王の傍にいる妖艶な女隠者は、そのことを指摘してきた。
王との思い出が、実子とは思えぬほどの少なさだと。初めて父から手渡された物を、手放している事実もおかしいと。なにより、父の命令に逆らい、聖女を逃したのが、擁護できぬほどの裏切りであると。
王子の名を騙る偽物ならば大罪であるが、もしも本物の王子だったとしても……危険因子は早々に取り除いた方が良いと、女隠者は王に耳打ちした。
「この少年はいつか、陛下に牙を剥きます。好みの女の尻ばかり追いかけ、あなたの寝首を掻かんと企てるようになるでしょう。この歳で父の命令と魔女を天秤にかけ、迷うことなく魔女の味方をした行為がもう、何よりの証拠。筆舌に尽くし難い、末恐ろしさでございます。彼はすでに、魔性の何かに取り憑かれている可能性も……陛下、どうかこの国のため、ご英断を」
もはや少年の命運は、得体の知れない魔性の女にたぶらかされた、実の父の手に握られていた。
王の決断は早かった。日も跨がぬうちに、少年は頭に布袋をかぶせられて、何も見えないまま絞首台に立たされた。
――納得がいかない。父の傍にいたあの女は誰なのか。最後の希望であった父が、こうもあっさりと裏切る人だったとは。多くの怒りと後悔と嘆きのあまり、その小さな体から負の感情が溢れかえり、魔性の者たちが好む
意識が朦朧とする少年の中に、隠者たちが次々と入り込み、その最深部に寄生した。少年の亡骸が、見る間に黒い鎧に覆われてゆき、絞首台から飛び降りると、国王が女隠者とねっとり過ごす私室に、飛び込んできた。
粉砕されてゆく煌びやかな家具、激しく殴打され肉塊と化す従者達。
王は目の前の化け物の正体に、全く気づいていなかったが、しっとりと寄り添う女隠者から、その正体を耳打ちされて、ようやく納得した。
「よもやこの儂に、このような悲劇が訪れようとは。数多の子供たちを殺めてきたツケが、回ってきたのだろうか」
王は肌身離さず身に付けていたらしき鎖を、裸の上半身からジャラジャラと外した。
「王家に伝わるこの守護の鎖が、どの程度食い止めてくれるかわからぬが、これをお前の封印に使おう」
守護の鎖と言うが、夢魔少年がざっと鑑定するに、それにも魔除けの効果は無いようだった。
(この国の王様は、迷信を信じ抜く主義なんですね。まぁ時代が古いですし? 何でも聖女の神託に頼っているような国ですからね、そういうお国柄なら、仕方ないのかもしれません)
王は悲痛そうな面持ちで、片手を裸の胸に押し当て、うつむいた。
「儂は今後死ぬまで、上半身を覆う物は何も身に付けないで生きよう」
(は?)
「それが儂にできる、せめてもの償いだ」
(いやいやいや、普段から上半身裸の人が、引き続きいつも通りに生きるって宣言しただけじゃないですか。そんなことしたって、殺された子供たちは絶対に許してくれないと思いますよ)
大昔の時代ならば、秋冬に上着を羽織らない行為は、一般の者ならば危険極まりないだろう。だが、良い筋肉がつくほど栄養のある食事を取り、風邪を引こうものなら総出で看病され、雨風をしっかり凌げる暖かな城に住んでいる者にとっては、上着を生涯着ないなんて贖罪、あまりにも軽過ぎる。
(本当は子供たちへのお詫びの気持ちなんて、微塵も無いんでしょうね〜。こういう人ですから、こんな時代でも、王様としてたくましく生き延びてこれたのかもしれません……)
今となっては、どうにもできない。これは過去の記憶。文化の発展の都合上、罪のない人々や、政治的に都合の悪い者は、その口を塞がれたまま排除されてきたのだろうか。
(ん? 今とあんまり変わりませんね)
隠者達に寄生されたばかりの、死後硬直が始まった少年の体は、動きが鈍く、城に仕える大勢の兵士たちの決死の奮闘に敗れ、床に伏した。せめて立派に送り出してやろうと言う、申し訳程度しかない王からの慈悲により、本当は国王のために用意されていた立派な石の棺に、押し込められた。
はたして、無実の罪で追われた聖女を救おうとし、自らの潔白をも証明しようとした、勇敢で優しい少年は、数多の不誠実な人々の手によって封印され、その存在を記す書物共々、葬り去られてしまったのだった。
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