第16話   奇妙な邂逅①

 物心つく頃から、自分より弱い者たちを守り続けてきた彼女の性分は、すぐには変わらなかった。


「んお?」


 司祭ドルイドの一人が、自らの両手を見下ろして、感嘆の声をもらした。ぐっと握って、ぱっと指を広げる。それはまぎれもなく、己の老いを嘆いたあの日のままの、節くれだったしわしわの両手だった。


 そして、勇者に倒される直前の自分の体でもあった。斬られ伏した床の上で、血に染まる己の片手と、遠くに吹っ飛んだもう片方の腕が、未だ鮮明に脳裏に焼き付いている。


 司祭ドルイドは周囲を見渡した。自分と同じく、辺りを、自身を確認しては、久々に自分の体を認識できたことに驚いている同胞が、森の木々の下で点々と座り込んでいた。


 仲間内で、足の不自由な者はいなかったはず。誰一人立ち上がれないでいる状況に、司祭ドルイドは、あの聖女を見上げた。


 聖女は、皆の前に静かに立っていた。何もモノを言わないけれど、この現象は彼女が起こしたのだと、全員が察した。


「これは……ついに儂らを顕現できる力を、得たということかのう。これほどまでに、儂らと波長が合うとは思わなんだわい」


「これで我々は魔法陣やダイスの力がなくても、聖女様を見つけることができます。そう、いつでも、聖女様が願うだけで、我々がそのお側に現れることができます。やがては我々も、聖女様同様に、この世界に足をつけて歩きまわることもできるようになるでしょう」


「そうなれば、聖女様の一人旅をもっと補佐することができる。いずれ我らと、女神様復活のための巡礼の旅に出発いたそう!」


 聖女は司祭ドルイドたちの期待に、存分に応える素質を持っていた。彼らにとって、まさに奇跡。これほどまでに優秀な聖女には出会ったことがなかった。


「聖女様が、女神様と一つになられる日が待ち遠しいのう」


 わいわいと語らう司祭ドルイドたち。やがてその姿は霧のようにかすみ始め、声も姿も、消えてしまった。


 残ったのは聖女と、目が覚めるなり飛び起きて咆哮を上げる黒き戦士。


 その戦士が、首をあらぬ方向にねじ曲げて一点を凝視した。魔女の城がそびえている方角だった。


「どうしたのですか?」


 聖女が聞いても、戦士は答えない。会話できる言葉を、持ち合わせていないのかもしれない。


 こういう時は、聖女が直感で動くしかなかった。きっと何かが接近してきているのだと思い、用心した。


 どこからともなく、耳障りな賽の音が響く。


「目視成功。きみは羽の生えた小さな少年を見つけた。その小さな両手に鎌を持ち、どこかおぼつかない軌道で飛んでいる。どうやら、鎌が重いようだ。または扱いに不慣れと見受けられる」


 鎌を持った少年は、こっそりと気配を消して接近できたと思い込んでいただけに、草間の陰から出られなくなってしまった。


(なんでしょうか、この人たち。人間? ……にしては、なんとなく違うような……なんでしょうか、この人たち)


 短い堂々巡りの末に、少年が出した結論は、


(なんにせよ、彼らの注意を引き付けることに、躊躇ためらいはありません!)


 魔女が逃げ延びる間、囮になることだった。


 魔法が使えなくなった彼女が、それでも彼らに戦いを挑むとは、思えなかった。裏切った自分を助けに来るとも思えない。もしかしたら、永久に自分のことを許さないかもしれない。


 それでも良いと、少年は思っていた。どうせ、もう会うことはないのだから。それこそ、永遠に。


「グオオオオ!!」


 戦士が雄叫びを上げながらのけぞり、もはや後ろに向かって叫んでいる。その驚異的な腹筋は戦士を転倒させることなく、また引き戻すと、草間に隠れている小さな少年に向かって突進した。長い腕を振り上げ、地面をドラムのように叩きながら。


 少年は実戦どころか練習にも使っていない鎌を両手でぎゅっと握り締めて、戦士の猪突猛進ぶりをかわすついでに、その腕に一撃を入れた。ガキンッと跳ね返され、反動で少年がくるくると回転しながら明後日の方角へ飛んでいく。


「マジョオオオ! マジョオオオオ!!」


 戦士は狂ったように腕を大地に叩きつけながら、魔女の居る城に接近。その灰褐色の壁に、黒く刺々しい指先を突き立てて、よじ登ってゆく。


 そこへ城の大きな玄関扉を、必死で押し開けて外に出てきた女性が一人。なんと、魔女であった。


 魔女は壁をよじ登っていく大きな戦士に、びっくりして声も上げなかった。上げなくて良かったと、少年はひどく安堵した。もしもあの戦士が気づいて魔女に飛びかかったら、非力な自分では助けることができない。


 幸か不幸か、戦士は魔女に気づかずにどんどん上へ上と登っていく。不自然に長い腕を制御するのが難しいのか、愚鈍な動きであった。


 ぽつんと残された聖女が一人。武器を構えるでもなく、それどころか逃げも隠れもせずその場に立っている聖女に、少年は鎌を構えつつも、必要以上に接近はしなかった。


 得体の知れない、表情のない少女に、少年は薄気味の悪いものを感じる。


「あなたたちは、この城に住む魔女に何の用があるんですか!?」


 少年の問いに、聖女がゆっくりと顔を上げて、少年と魔女を眺めた。


「私は、あの戦士の魂を浄化するために参りました。あの戦士は魔女魔女と連呼し、魔女が支配するこの森に潜む魔物と、同じ鎧をまとっております。彼と魔女には、何かしらの繋がりがあるかと予想しております」


「繋がり? 私と?」


 魔女が会話に参加できるほど、聖女と距離を縮めていた。その顔は険しく、今にも聖女の頬を片手の平でひっぱたいてしまいそうなほどピリピリとした空気が漂う。


 聖女は特に動じている様子はなかった。そのような視線を向けられることにも、慣れているような感じだった。


「あの戦士は、貴女に用事があるようなのですが、彼と貴女を会わせることにより、彼の魂が浄化するかどうかは、分かりかねます」


「浄化って、具体的に何をどうするんですか?」


「彼を満足させることですかね。彼をここまで狂わせているのは、強い未練ですから、ほんの少しでも、強い感情を軽減させてあげられれば、きっとすぐにでも……彼をこの地に縛り付けている呪縛を、解くことができると思います」


 なんとも曖昧な。何一つ具体的な説明ではなかった。


 少年は思わず魔女に振り向いたが、視線は合わなかった。魔女は少年よりも魔力よりも、まず目の前の聖女をなんとかしたい様子であった。


 ここでまともに聖女と会話できるのは自分しかいないと、少年は自負して、うーん、と頭を掻いた。


「えっとー、では、あなたの言うことを信じるならば、魔女様に会って、その戦士が満足してくれればいいってことですか?」


「はい」


「しかし、その戦士が魔女様に会えても、本当に満足してくれるかどうかは、断定しかねると」


「はい。魔女魔女と連呼しているから、連れてきました」


「それだけが理由なんですか?」


「はい。それだけが理由なのです」


 聖女はそれきり黙ってしまった。聞かれた事しかしゃべらないのかと、少年は疑問視する。あの戦士を助けることで、この少女に何の利益があるのかとか、あの戦士とどのような関係性を持っているのかとか、いろいろ気になっていたのだが、なんだか彼女を眺めているうちに、目的も欲も、損得を考える頭も無いのではないかという、あきらめが湧いてきた。


「迷惑な話ですね。僕たちがどれだけびっくりしたか、わかってますか?」


「そこまでは、考えが及びませんでした。ご迷惑をおかけしております」


 無表情のまま、一礼する聖女。


 夢魔少年はますます聖女に気味の悪いものを感じたが、わりかし聖女の物腰が柔らかいことには救いを感じた。武力で敵わないのは明白、ならば交渉の余地がないものか、そんなものあるわけが、と半ば絶望視していたから、尚更だった。


「じゃあ、あなたも連れてる戦士の事は、よくわからないんですね」


「はい」


「魔女様に会って、ちゃんと満足してくれるのかどうか、僕なら確かめることができるかもしれません」


「どうやってですか?」


「彼が眠った時に、僕を呼んでください。僕は夢の中で、その人の記憶を探ることができるんです」


 あの城にしがみついて登っている変な化け物の夢に入るのかと、魔女が目を剥いた。


「インプくん、いくらなんでも危ないわ。夢の中でひどい目にあったり、夢から出てこられなくなったら、どうするの」


「師匠サマ……ごめんなさい! 僕も狂ってる人の夢の中に入るのは恐ろしいですが、やらせてください! 僕は師匠サマに償いきれないほどの大罪を犯したのです、そのせめてもの償いとなれば。師匠サマにつきまとうあの化け物を、僕になんとかさせてください! 絶対に対処してみせますから」


 お願いします! と少年が頭を下げる。その必死な姿に、どうにも弱い魔女である。


「別に、あなたのことを怒ってはいないわ。償いなんて、考えなくていいのよ」


「それだと僕の気が済みません。罪の意識で死にそうです」


「もう、本当に真面目なんだから」


 魔女が呆れて肩をすくめた。そりゃあ最初は怒っていたけれど、この少年にどうこう言ったって、魔力は戻ってこないし、自分の夢の中で隠者たちが未だ自分を縛っていたと知ってしまっては、またその状態に戻りたいなどとは絶対に思いたくないのだった。


「魔力のない今の私では、あなたを止めることはできないわね。じゃあ、くれぐれも無理はしないでね。危なくなったら、私の事はいいから逃げるのよ。これだけは約束してね」


「善処します!」


 本当に逃げてくれるのかしらと疑問に思う魔女だった。


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