第15話   インプの決断②

 魔女は夢魔という悪魔たちについて、よく知らなかった。


 だからその特性だけでも、本に載っている項目は全て調べるようにしていた。ゆっくり調べていけばいいと思っていたのだが、昨夜夢の中でばったり出会って以来、魔女は起床するや否や、読み残していた全ての項目を、一気に読破したのだった。


 子供扱いを嫌がるインプ少年だったが、いったいどの程度の年齢から成人なのかは、どこにも載っていなかったのだけど。


 資料によると、夢魔は、夢と現実を行き来し、夢で起きたことを現実に反映させたりと、夢を介させたら彼らの右に出るものはいないほど、何でもできる存在であった。その反面、体力も魔力も極端に少なく、討伐は意外にも容易らしい。


(弱いからって、あの勉強熱心なインプくんが、弱いままでいるとは思えないわ)


 むしろ、自らの欠点を嘆き、それらを穴埋めするために知識を蓄えるような性分だった。魔女ほどではないにしても、じつはすでに数多の魔術を会得していたとしても、不思議ではなかった。


(変なところが控えめな子だから、本当はいろいろ知ってても、一から学んじゃいそうねぇ……)


 魔女は教室に戻ってみた。


 少年はいない。魔女は顎に指を添えて、窓越しに外を見た。森では、相変わらず木々を吹き飛ばし、バーサーカーが雄叫びをこだまさせている。


(ほんとに困ったわね……魔力がないんじゃ魔術が使えないわ)


 魔女がこっそり少年の鎌に仕込んでいた、居場所が分かる魔方陣も、魔女の魔力がないのならば、なにも察知することができない。


「まさかあの子……戦いたがっていたし、あの雄叫び男のもとへ一人で行っちゃったんじゃ……」


 勝てる見込みがない相手に、不慣れな鎌一つ持って突撃する子ではないと、信じたいのだが。


「ん? こんな紙、置いてたかしら」


 魔女は教室の机に近づくと、一枚の紙を手に取った。それはあの少年の筆跡でつづられた、置き手紙だった。



『師匠サマへ。今頃あなたは大変お怒りのことと存じます。無理もありません。僕のせいで師匠サマは、魔力がなくなってしまったのですから』


 少年は真っ暗な森の中を、黒い蝙蝠のような翼で羽ばたきながら、下へ下へと続いていく獣道を進んでいた。やがて黒い口をぽっかりと開ける狭い隠し通路を見つけ、その中を、魔女からもらった鎌を両手に構えながら入っていった。現実世界でもらったものを、魔女の記憶からもう一度再構築して、夢の世界に登場させたのだ。


『師匠サマが夢から目覚めると言った時に、僕もそれに従って師匠サマの夢から出ようと考えましたが、そうしませんでした』


 通路は一本道だった。もしも道が複雑に枝分かれしていたら、少年は魔女が目覚めるまでに正しい出口へとたどり着けなかっただろう。


『夢の中とは不思議なものです。ほんの数分程度に感じる夢の中での出来事が、現実だと何時間も過ぎていて、朝日が昇っているのですから。師匠サマが目覚めると宣言してから、実際に目覚めるまでの間に、僕には自由に動ける時間があったのです』


 木の根に覆われた出口を、鎌を振り回して開拓した。月明かりもない真っ暗な空の下、夜の悪魔でなければ、夜目が効かなかったかもしれない。


『僕はあれから、師匠サマの根源に深く入り込み、そしてこのようなものを見つけました』


 ひらけた場所に出たが、広くはなかった。所狭しと、あの頭部がない隠者たちが、その数三十名ほど、まるで何かの集合体のように、そこに座っていたのだから。


『それは師匠サマが殺害したと言っていたはずの、隠者たちでした』


 よく見ると彼らは蛇のように黒々としたつたで、全身を形成していた。その蔦の端々は中央へと伸びていき、そこには黒い蔦で覆い尽くされた、女性の裸婦像が立っていた。


 女性の像は、両足の部位が木の根っこになっており、雑草まみれの大地に深く突き刺さっていた。枝葉こそ無いものの、どうやらこれは一本の大木らしい。


『彼らは師匠サマを大木に見立てて、そこに寄生していたのです』


 頭部がないはずの隠者たちが、一斉に顔を上げて少年を凝視した。空っぽのフードの奥から、ぽっかりと闇が覗いている。


『師匠サマの根源に根深く寄生していた彼らは、驚いたことに、大変無防備でした。きっと誰も入れるわけがないと思っていたのでしょう。僕の存在にひどく慌てふためいていました。大木に寄生することしかできないヤドリギめいた彼らを、炎の魔法で燃やし尽くすのは簡単なことでした。未だ師匠サマを利用する彼らのことを、僕はどうしても許せなかったのです』


『しかし僕は、彼らを師匠サマから引き剥がしてしまったら、どのようなことが起きるのか、そこまでは予想できていませんでした』


『師匠サマをかたどった大木から、みるみる魔力の気配が消えていきました。彼らはただ寄生していただけではなかったのです。自分たちの魔力を、師匠サマに注ぎ込んでいたのでした。あなたの膨大な魔力の正体は、何十人といる隠者たちが蓄えてきた力だったのです』


『師匠サマ、あなたは誰かに選ばれた聖女でも、魔女でもありませんでした。すべて最初から、あの隠者達に仕込まれていた事だったのです。だから師匠サマは何にも悪くありません。聖女に選ばれたことも、神託がうまく降りず困っていた時も、神託を受けた結果として神殿にいた皆さんを失ってしまったことも、全部あなたが悪かったわけではなかった』


『僕は尊敬するあなたから魔力を奪ってしまったことを生涯後悔するでしょう。ですが隠者たちを燃やさなきゃよかったとは絶対に考えないと思います。彼らからあなたを解放できてよかった。清々している身勝手な僕をお許しください』


『最後に。僕は師匠サマが愛したこの少年が、好きではありませんでした。この体がその少年を模したものだというのが、本音を言うと嫌でした。実は今も嫌なんです。だって、この顔だからこそ、師匠サマの笑顔が曇っているのだと気づいてしまったから。師匠サマはもう過去に縛られてはいけません。僕の顔を見て何度も苦しげに笑っていては、いけないと思うんです。過去から、そしてこの僕からも、解放されて自由になってください。追っ手は僕が引きつけます。今のうちに逃げてください』


 魔女の、手紙を持つ手が震えた。


 聖女のベールをかぶり、身代わりとなって追っ手の注意を惹き付けた、あの少年と、インプ少年が今、同じことをしようとしている。


「全く! どこまであの子と似ているの!?」


 魔女は手にしていた手紙をクシャクシャに丸めて、床に投げ捨てた。そして少年を捜すために、急いで一階へと下った。きっと彼は、バーサーカーと戦うために外に出てしまったのだと思ったから。


『大丈夫、この肉の器は、あなたからのただの頂き物ですから、肉体を失ったとしても、僕は死にません。僕には最初から、肉体なんてなかったのですから。またもとの実態のない夢魔に戻るだけです』


 バーサーカーの雄叫びが近い。魔女はインプ少年に何かあったらと思うと鼓動が早鳴り、履いていたハイヒールはとっくにどこかに吹き飛び、急ぐ足は止まらなかった。


『現実世界で僕が傷つく事はありません。ですから、安心して逃げてください。そして僕を、待たないでください。あなたの夢に出てしまったら、またあの少年の姿になってしまいますから、それは嫌です』


 足の踏み場もないほど設置されていた罠は全く起動せず、魔女が城中を駆け抜けても、歯車一つ動かさない。


『身勝手で性格の悪い、不出来な弟子をお許しください。それでは、お元気で』


 魔女は一階の玄関へと降りてきた。ここへ到着するまでに、どれほどの時間を有しただろう。インプ少年は飛べるので、魔女のように階段を駆け降りなくても、窓からいつでも外に出られる。魔女は少年とどれほど距離が開いてしまったかと、焦燥していた。


「今度は置いていかないわ! あなたも私と一緒に、逃げるのよ!」


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