第14話   インプの決断①

「おはよう」


「おはようございます、師匠サマ」


 少年は洗顔したての濡れた顔を、タオルで拭きながら、場所を譲った。


 増築もされずに長く在るこの古城の、ちゃんと水が出る洗面台は一つしかなく、いつも早起きするインプ少年が先に使い、後から起きてくる魔女はのんびりと支度する。いつも通りの朝、だが窓の外は真っ暗だった。


「あらら、私ったら時間の流れを止めたままだったわね。侵入者が現れた時は、視界を悪くしてやるために、真っ暗にするの」


 魔女は洗面所の大きな窓を、両手で思いっきり押し上げる。


 その時だった。平穏を取り戻したはずの森から、あの男の雄叫びが聞こえたのは。


「なんですって……!?」


 魔女の顔に、険しさが差す。


「やっぱりあいつら、やられてなかったんですよ!」


「あの暗い森で、よく生き延びてたわね」


 ついさっきまで、侵入者の気配は途絶えていたというのに。雄叫びとともにいきなり再臨した。


 魔女はあごに手を添えしばし考え込む。あんなに大騒ぎする巨体の戦士が、気配を消して騒ぎも起こさず、森の中でじっと身を潜めるには、無理があった。


(まさかあの聖女、私の実力を超えてるの?)


 そんなまさかと、魔女は否定したい気持ちが湧いて出た。自分より上の者に会ったことがなく、初めての焦燥に、柄にもなく戸惑う。


「どうやら彼らは、暗闇でも目が利くみたいですね」


 インプ少年の震える声に、魔女は我に帰った。少年は窓の外を、不安そうだが真剣な面持ちで眺めている。魔女は彼を安心させるべく、慌てた素振りをおくびにも出さなかった。


「景色を夜空に変えたって、無駄ってことかしら。いいわ、どうせこの城に入ったって、上がっては来れないんだから」


 魔女は古くてガタガタ鳴る窓を、思いっきり下ろして窓を閉めた。


「この城には入らせないわ。罠を起動させるから、あなたは下の階に下りちゃダメよ」


「ええ〜、また……わかりました」


 戦いたがっているらしい、健気な少年の、がっかりした声色を背中で聞きながら、魔女はなんとしてでもこの城を守らねばと、決意を新たにしたのだった。


(もう二度と、あなたを失いたくないの……)



 魔女は一人、階段を上ってゆく。最上階に、緊急事態に備えて作った専用部屋があるのだ。


 聡いインプ少年が、こっそりと独断で行動する恐れもあるから、魔女は少年も一緒に連れて行こうかと迷ったのだが、今向かっているあの部屋は、本棚の多い教室よりも、ガラス製の器材が大量に保管してある研究室よりも、否、この城のどんな部屋よりも、危険に満ち満ちているから、少年には教室の窓からの見張りを勤めてもらっている。


(私一人で住んでいた頃は、なんでも簡単に即決できたのに。誰かと一緒に暮らすのって、思ってた以上に大変なことなのね)


 魔女が住むこの異世界に、侵入者が現れるのは初めての事ではなかった。魔女は異物の気配を察知するたび、たった一人で奮闘した。自分一人では手が回らないから、魔物たちを作ったり、魔法陣をたくさん設置して、城や森の中の罠とつなげて連動して動くようにしたり。魔女の工夫は止まることを知らず、城にある数個の魔法陣を起動するだけで数多の罠が同時に発動する仕組みを発案したり、ドミノ倒しのように次々と連鎖して爆発を発生させたりと、もはや魔女が城から出なくとも万事問題なく侵入者たちを撃破できるまでになっていた。


 今までは。


 数多いる魔物たちの正体は、再現できなかった少年たちの成れの果て。魔女は聖女だった頃に世話になった輩達を、仮初でもいいから復活させようと考えた時期があったのだ。


 長く生きてると、ときどき自分でもろくでもないと自覚するような事を考えつく。


 実験は、上手くいくわけがなかった。なぜなら、魔女は聖女だった頃から、彼らのことを知ろうとしていなかったから。神託が降りてこないことに卑屈になるあまり、ずっとうつむいて、自分の殻に閉じこもってきたからだ。


 すでに彼らの魂も肉体も、何も残っておらず、そっくりな見た目の生き物を作っても、彼らとはどこか似ておらず、あれこれと手を加えているうちに、誤作動ばかりの失敗作に。


(初めて上手くいったのは、インプくんだけだったわね)


 こんなことをしても、虚しいだけだとわかっていたけれど、それでも魔女は仲間たちの面影を追い求め、作ってしまっていた。


 神殿に閉じ込められていた自分にとって、周囲の人間は自分を苦しめる原因の一つとしか思っていなかったけれど、神殿が火だるまになったとき、彼らは追っ手から聖女を守ろうと戦ってくれた。いかに聖女が大事にされていたか。いかに彼らの生活と精神の支えになっていたか。


(だけど、聖女が代弁する女神の言葉は、偽物だった)


 ……あの国は、いったいどれほど昔から、森に住む隠者たちの操り人形となっていたのだろう。


 それももう、わからない。確認する前に、怒りに任せて魔女がばらばらにしてやったから。彼らの亡骸は目にするのも嫌だったから、魔女は魔物に命じて、この世界から外の川に、放り捨てさせたのだった。


(今の私の生き様は、ほんとに魔女そのものね。不気味な人形たちと、こうして暮らしているんですもの)


 たっぷり時間をかけて悠々と、最上階へ到着したのは、やはり自分より優れた者などいるはずがないという、何世紀もの間に培われてきた自信ゆえだった。不安になる日があったとしても、必ず、なんとかなってきた上に、あの少年を失った日よりも悪い事など、存在しないと断定していたから。


 頑丈な鉄格子が下りた、最上階の一部屋の手前には、玄関マットのように敷かれた、意味深な茶色いカーペットが一枚。


 魔女が尖ったヒールで踏みつけると、カーペットは瞬く間に燃え尽きて、色濃く彫られた魔法陣が、石材の廊下に現れた。魔女のヒールは円の中心を踏み抜いており、陣は真ん中からじわじわと発光して、鉄格子が耳障りな金属音を立てながら、引き上がった。



 その部屋の幅は、この世界を守るために作られたにしては物置のように狭く、魔女が両手を広げるだけで、両の壁に指がつくほどだった。だが、これが魔女にとっては都合が良い。


 壁という壁には、狭くて描き切れない魔法陣を、無理矢理重ねて掘っており、魔女のヒールの下にも、幾重にも重なって彫られた魔法陣が、眩く輝いていた。こんなにも大量の陣を、狭い部屋に集めているのは、魔女ががさつだからという理由ではない。重ねている箇所にも意味があり、それぞれ似たような系統の、相性の良いものたちばかりを選んで重ねて描いていた。


 さらに魔女は、壁や床に描き切れないものは、空中に浮かべていた。魔女は数多の魔法陣をフラフープのように自身に重ねて掛けていく。


「さーて、侵入者を撃退しましょうかね」


 ここは魔女お手製の、魔法陣の制御室なのだった。こんなに魔法陣が輝いていると、目がくらんでしまうので、まず初めに起動させる魔法陣を、魔女は指先に引っ掛けて、すぐ手元まで引き寄せた。


 手の平に乗るほどの、小さな魔法陣。彼女はその中央に、片手の平をぎゅっと押し当てた。


 城中に仕込まれた大きな鉄製の歯車が、轟きを上げて動きだし、落とし穴や、落下する天井、さらには床のスイッチを踏んでしまうだけで暴雨のごとく槍が降る小部屋などなど、はるか昔に人々がこの城に施した罠が今、魔女の力によって蘇る。


 さらに、この城全体が、魔法陣から放たれる火球による大砲を備えた、要塞に変化するはず……なのだが……


「……あら? どうしたのかしら。何の変化もないわ」


 魔女は何度も、ひたひたと片手を魔法陣の中央に押し当てる。


 その手が、指先からどんどん冷えてきた。魔女を迎えるように輝いていた魔法陣が、不安定に点滅し始め、やがて消し炭のように黒くなってしまった。


(おかしいわ……。体から溢れ出る魔力を感じない)


 どんなに意識を体の中心に集めても、そこから源泉のように溢れ出ていた魔力を感じない。自らの膨大な魔力に、溺れるようなあの感覚も、しない。


「どうしたっていうの。これじゃあ、お城もインプくんも守れないわ」


 魔女はふと、インプ少年が夢で何かをしたがっていたことを思い出した。魔女が起きると告げる前に、なぜだか、もう少しだけ、彼はあの夢の中にいたがっていた。


 あの少年であるインプを、疑いたくないけれども。


「インプくん、夢の中で私に何かしたかしら!?」


 天井から伸びている伝声管に向かって、魔女は声を荒らげた。城の各部屋に、このような伝声管が伸びている。インプ少年がいるはずの教室にも。


 だが、返事がなかった。


 魔女の茶色い眉毛がつり上がる。


「少しあなたを甘やかし過ぎたみたいね。どこにいるの、インプくん! お願いだから白状して! そうじゃないと、おしり叩きくらいじゃ済まないわよ!」


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