第13話 聖女だった魔女
誰かの記憶に強い関心を抱き、そしてここまで力をこめて記憶の中に侵入したのは、初めてだった。
(師匠サマが、聖女……)
どこの国の人かまでは、探れなかった。夢魔にとって驚愕することばかりで、気が付いたら、夢の中のしっとりとした腐葉土の香りに包まれながら、大森林の中に、独りで浮いていた。
「私は平民から選ばれたの」
どこからか、聖女の、否、魔女の声が。
「国で最も魔力の多い女として、女神様に生涯お仕えするために、神殿に閉じ込められたわ」
ガサリと音がしたと思ったら、夢魔の目の前の生い茂る獣道から、いつもの露出の高いドレスを着た魔女が現れた。
「師匠サマ!? あの、これは、その……」
「いいのよ、怒ってないわ。あなたは好奇心旺盛だもの、いつか、私についていろいろと調べる日が来るんだろうなぁって、予想はしてた」
魔女の目には、生き別れて何世紀も過ぎ去った、懐かしい少年の、慌てふためく、可愛らしい顔が映る。いつまでも、ずっと一緒にいられると……信じていた眩しい日々を、思い出す。
眩しすぎて、魔女はそっと目を伏せた。
「当時の私は、魔力は多くても、神託を授かる才能はからっきしでね。祈っても歌っても、神託が降りてこなくて、いつも不安で、消えてしまいたかった。朝ごはんを用意してもらうのも、苦痛になっていったわ。どうせ今日もダメダメなのに、どうしてみんな、私に優しくするの、ってね」
年若い夢魔にもわかりやすく端的に話してみせる。本当はもっと暗くて、ちっとも楽しくない過去を。
閉じ込められていた年月を。
「どんどん、卑屈になっていったわ。私以外の誰かがなるべきだと訴えたり、私に聖女の役割は重いと嘆いてみせたり。何年もそうしているうちに、どうして私がここにいるのかなって、生きる意味すら自問自答し始めたわ」
「うわあ……どなたか、気の合うお人はいなかったのですか? みんな師匠サマを聖女としてしか扱わなかったのでしょうか」
本気でドン引きしている夢魔少年に、魔女は、話すことにした。現在の彼の原形となった、とある少年の話を。
気の塞ぐ日々を過ごしていた聖女のもとに、柔らかな羽の如く現れたのは、騎士見習いの少年だった。聖女のいた国では、騎士は国王からの命令を受けて、国の主要な施設を率先して守る組織だった。
神殿を守る騎士を、神殿騎士団と呼び、少年を含め数多の見習いが、聖女のもとへ挨拶に参上した。
筋骨逞しい青年にまじり、小柄な少年は目を引いた。歳は十三、四、もしかしたら、もっと若かったのかもしれない。自信満々な顔で大人にまじっている彼に、歳を訊く勇気は、聖女にはなかった。
彼らが神殿の外で、鍛錬に励む時間になると、聖女は神殿の小さな窓から応援した。彼らは鍛錬が終わると、神殿の中まで入って聖女に挨拶した。
ある日、あの少年が変わったことを始めた。騎士見習い兼、聖女の世話役として、自ら立候補して聖女の傍にやってきた。
少年は言った。自分の存在が不快であれば、いつでも世話役から外してほしいと。
孤独で空虚な日々を送っていた聖女は、突如始まった新たな生活に、大変驚いた。石のように冷たく動かなくなっていた心が、再び転がり始めたのを感じたのだった。
初めの頃は、ちょこまかとよく動く変わった子供だなぁと思っていたが、なかなかどうして賢く優しく、そしていつも全力で聖女を励ましてくれた。
良家の御子息らしく教養があり、歳が離れているにもかかわらず聖女と話が合った。その一方、子供らしい一面があまりなく、同い年の友達の話も、年相応に遊びたがる素振りも、見たことがなかった。
大人とまじり、神殿で働いている彼を見ていると、本当は友達を作って外で遊びたいのかなぁと思ったりもした。
しかし少年と二人きりで話すとき、彼は外で遊ぶよりも、この神殿に誠心誠意仕えることを、何よりの喜びとしていると知ってしまう。
いいのかなぁと罪悪感を抱えつつ、聖女は少年とともに魔術の勉強をし、歌を習い、また神託の降臨術を身に付けようと努力した。
そして降りてきた天からのご神託。この国の第一王子は王の子ではなく、使用人との子供。王子自らも己の出生の秘密に気がつき、なんとしてでも次期王位を得ようとするあまり、弟たちの毒殺を企てていると。
『哀れなるかな。忠臣よ、悲劇の開演をやめさせたまえ』
聖女は神がかりを起こし、人ならざる者の力を、口を、言葉を借りて、神殿を守る大勢に告げた。
「それが私に降りてきた、最初で最後のご神託。そしてあの逃亡劇へと、繋がるの。神殿騎士団と、追っ手の鎧の型が似ていたのが、当時の私には不思議だったわ。けれど、追っ手も味方も同じ国の組織であるなら、別に不思議ではないわね……」
聖女の神託により、内乱が起きたらしい。彼女の些細な幸せは、皆から望まれていた聖女の役目を果たしたとたんに、奪われた。
「あの神託は、この国の神様がしゃべったものではないわ。だって私の故郷は今、廃墟になってしまったもの。神様なら、こんなひどい悲劇を私に起こさせるかしら? 私はもう二度と、神様もご神託も信じないことにしたの。自分のやりたいことは、自分で考えて行動するし、もしも何か大きな存在の力に惑わされそうになったら、私も生まれ持ったこの魔力で、対抗する。そのために、私は隠者たちから秘術を学んできたの」
隠者と聞いて、夢魔少年はようやく、頭部の無い隠者っぽい存在の話を切り出す機会を得られた。今まで魔女の勢いに押されてしまって、ぜんぜん話題にできないでいた。
「ええ? 頭部のない彼らに会ったの?」
魔女が険しい表情で驚いていた。
「あいつら、まだこの城にこびり付いてたのね」
「え? 師匠サマを助けてくれた人たちなのでは、ないのですか? ケンカしたんですか?」
「ケンカどころじゃないわね。彼らの頭をもぎ取って捨てたのは、この私だもの」
無言で混乱している夢魔少年に、魔女はにっこりと微笑んだ。
「あの時、神様のふりして私にご神託を下した彼らを、私は許さない」
「……」
「神がかりを起こしていた私は、意識が朦朧としていて、自分が何をしゃべったのかも全くわかってなかったの。他の誰に聞いても、私がしゃべった内容を何も教えてくれなかった。きっと大変失礼な、そして、変なことをしゃべったのだと思ったわ。私は恥ずかしくて、それ以上みんなに聞いて回ることをやめてしまったの。ご神託の内容を知ったのは、神殿が燃えカスになった後だったわ。全部、私のせいにされて、隠者たちの隠れ家以外に居場所はなかった。その彼らも、頻繁に夢に出てきては、神様のふりしていろいろ言ってきたから、私は神様の正体にも気づいちゃったのよね」
「師匠サマ……」
「私のことを魔女だって呼ぶ人がいると、むしろ、ありがとうってお礼を言いたくなるの。気持ちが楽になるから。私みたいなやつは、魔女呼ばわりが相応しいのよ」
「僕はあなたを蔑む意味で、魔女だと呼んだことは一度もありません。魔力に富み、知識に優れ、あなたは僕たち魔界の
「あら、真面目に返されちゃったわね」
魔女は嬉しそうに苦笑した。この少年の心からの励ましに、いつも苦しげに笑う魔女を、もう何度も、少年は見てきた。
(師匠サマは、夢で隠者たちに会ってきた、と言っていましたね)
夢魔少年は少し考えた。彼らはまだ、この夢の中にいるんじゃないかと。
「師匠サマ、もう少しだけ起きないでいてください」
「あら、私の記憶なんてこれ以上探っても、なにも楽しくないわよ? それとも、魔術のお勉強がしたいのかしら。それには少し反対だわ。寝るときはしっかりと寝て、勉強は起きてしましょうね」
魔女は起きると言い出した。
少年は、もっとこの夢の中を探索したかったのだが、起きられてしまうと不可能なので、あきらめて一緒に起きることにした。
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