第2章  聖女たちが捧げるモノ

第11話   少女の信仰と世界観

 先ほどまでの喧騒が、嘘のように静まり返っている。少女は星もない空を眺め、しばし昔を思い出していた。


 自分がまだ、聖女ではなかった頃のことを。


『我らの声が聞こえるか』


 本当の親ではない両親と、父親がバラバラの子供たち。荒みきった家庭環境に、荒れ果てた心。自分より小さな子供を殴りつける年長者から、少女だけは、必死に幼子を守っていた。弱い者たちが一方的に虐げられているのが、とても嫌だったから。


 やがて少女が代わりに暴力を受ける日が増えてきた。いつまでも変わらぬ日常に疲れ果てた少女は、いっそ家族全員を、殺害しようと考えた。


 みんなが飲む井戸水に、ネズミを殺すための薬品を撒いて、そして自分も飲んで息絶えようと思った。


 そんなときだった。頭の中で、声が聞こえたのは。


『我らの声が聞こえるか。聞こえるなら外に出てみなさい』


 月と星から見限られたような、真っ暗な空の下、少女は言われるまま外に出た。


 誰かのおさがりの、そのまたおさがりの、ぼろぼろに擦り切れた子供服を、不気味なほど強い風になぶられながら。


 そして彼らに出会った。彼らは柔らかに、まばゆく光っていた。あんなに優しい光に包まれたのは、初めてだった。

 まだ何も始めていない自分を、無条件に受け入れてくれたのも、産まれて初めてのことだった。


 初めて、感動し、そして悲しくて涙が出た。今までの自分の境遇を嘆き、自分自身を、かわいそうだと思った。


 そして、今まで感じたこともない激しい怒りが沸いた。自分があの境遇を耐え続けているのは、おかしいのだと。自分は、誰よりも幸せになるべきなのだと。そうでなければ、おかしいのだと。


 少女は何もかも捨てて、彼らについて行く道を選んだ。



 しかし、初対面の発光体を信じてついて行くのは、よくよく考えたら、おかしな状況だった。彼らは自分を、聖女様と呼んで、家から遠ざけたいのか、ひたすら荒野を歩き続けてゆく。


 怖くなって戻ってきた少女は、家の中がやけに静かなことに、違和感を覚えた。


 怒号と泣き声しか聞こえない、あの家に、静かになるひと時があるなんて。何かがおかしいと思い、扉からではなく、窓から入った。


 ガラスなど買えず、ただの木枠だけの窓を開けて、部屋にしのびこんだ少女が見たのは、乾いて何年も経過した甲虫のように、白くかさかさになった大勢だった。


 どれが誰だか、わからない。顔の形も、崩れてしまっていた。着衣と、なんとなく把握できる体格から、確信は持てないが、名前がわかった。けれど、本当に、彼らなのかと自問自答すれば、どれが誰だか、わからない。


 彼らの乾いた口が、魚のように動きだした。


「聖女様は悪くありません。彼らの汚れきった魂を、ダイスの女神様が浄化しようと試みた結果、不可能だっただけです。きっと彼らは、救われるべき存在ではなかったのでしょう。気にする事はありません。女神様に選ばれなかったと言う事は、どのみちこの世界から破棄される定めだったでしょうから」


 ダイスの女神というモノがいるらしい。彼女に選ばれなかった者は、生きる価値がないそうだ。


 その女神とは、きっと善くない存在だろうと少女は思った。


 それでも良いと、思ってしまった。


 大事なのは、女神が自分の願いを叶えたということだけだった。自分が一人で自由に生きていくことを、そして自由に選択できる環境を、女神は作ってくれた。


 自分より弱い存在は、もういない。もう誰も庇わなくていい。誰の世話もしなくていい。誰かの代わりに殴られることもない。これからは、なんの気兼ねなく、自分のために生きられる。それはとても嬉しいことだった。


 しかし、すぐに冷静になるのが、この少女だった。


 こんな家族だったけれど、少女なりに愛していた部分もあった。どこが良いのかと言われたら、なんにも挙げることができないけれど。


 そんな家族が、こんなことになって、いっときでも嬉しいと思ってしまった自分を、どうしたらことができるか、少女は考えた。


 家族を殺したのは、自分だから――自分が願わなかったら、家族はまだ生きていたはずだから。


 少女の出した答えは、彼らの望む仕事に就くことだった。



 どこかに眠る、穢れた魂たちを、浄化する。そうすることで、聖女と女神への知名度と、信頼が上がる。そして、女神の信者が増える。最終的に女神への神格が強固なものになり、女神は多くの信仰心を糧に復活し、世を統べる。


 それが何を意味するのか、誰に訊いても教えてはくれなかったけれど、自分を罰しながら、自分を救ってくれた彼らに、恩返しができる、この旅路に、少女は生きる意味を見出していた。


 安堵と贖罪の狭間に、静かに生き続けることができる。


 幸せなことだと思った。




 猫のように丸くなり、木陰に身を寄せて眠っている。その少女の金色のまつげの一つ一つが、紫色に染まってゆく。


 栄養不足による、艶のない小さな爪。ささくれだったその指先も、じわりと、染まってゆく。


 深い眠りに浸る少女の周囲に、濃霧がたちこめ、やがて白い外套の司祭ドルイドたちが輪郭を濃くしていき、はっきりと姿を現した。


 互いに互いを確認し、「おお」と感嘆の声を上げる。


「なんと。ダイスの女神の支配に頼らずとも、顕現することができたぞ」


「あと少しですね。彼女が完全に女神と同化し、ルールブックとダイスをも扱えるようになるまでに、そう時間はかからないでしょう」


「儂らが育てた聖女が、世を治める時代がくるのだと思うと、興奮が止まらんのう」


 他、次々と似たような感想を述べる、大量の司祭ドルイド。個がつながり、融合し、同じような思考回路となっていて長いせいだった。


 少女のまぶたがかすかに痙攣し、目覚めの兆候を見せる。


 その瞳が、未だ明けぬ夜空を映し出したとき、彼らの姿は消えていた。


「……」


 少女はゆっくりと、身を起こす。


 傍らに、苦しげな寝息を立ててうつぶせに倒れている少年がいた。


「え……?」


 少女は思わず、走って木の幹に隠れた。


 恐る恐る、顔だけ出して、少年の様子を観察する。


 黒い甲冑には、まばらに棘が生えていたが、この程度ではちょっとした飾り程度にしか思われないだろう。辺りが薄暗くてわからないが、火の消えかかった焚火に照らされた髪の色は、この辺りの人間には多くない、銅のような茶色だった。


 顔は青白く不健康そうだったが、その顔立ちは美しく整い、どことなく高貴な雰囲気がただよっていた。


「……これが、穢れに染まる前の、あなたなのですね」


 少女は司祭ドルイドたちから、こんなことを教わっていた。

 ダイスが振れるのは、女神だけではないのだと。


 悪しき存在の中には、素質のある人間に、ダイスの力で奇妙な能力や呪いを付与し、女神を害する手駒として操る者がいると言う。


(私と、似ている)


 元々はなんの能力もなかった自分に、ダイスの女神と司祭ドルイドたちは、大量の特殊な能力を付与した。『この聖女は成功した』と喜ばれたのを、今でもはっきりと覚えている。


「あなたも、きっとどなたかに……。元のあなたに、出会える日がくるといいですね」


 少女が胸の前で手を組み、祈る。


 少年の目が開いて、それと同時に、瞬く間に瘴気が彼を包んだ。人並みだった背丈は再び巨人と化し、その巨体を長い腕で支えて起こした。


 空に向かって、遠吠えを上げる。女神が付与した隠密ステルス機能を、戦士自らが無効化してしまった。


 戦いの舞台が、再演される。


「私にできることは、魂の浄化だけ。私の旅には、意味があると信じています……」


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