第10話   勝利への慢心

「あ~よかった。どうやら奴らは、森の中でくたばっちゃったみたいね」


 騒がしかった森が静まり、狂戦士の雄叫びもまったく聞こえなくなった。戦士の進行度は、引き抜かれた木々の本数で目視でき、かなりの数が被害に遭ってしまった。


 またどこかのお店から、ちょうどいい樹木の苗木を購入しようと計画する魔女である。


「ガラにもなく緊張して疲れたわね。お風呂入って寝ましょうか」


 己の未来を考えられるほどの余裕を取り戻し、頭の中はお風呂のことでいっぱいになる――そのすっかり油断している魔女の横顔に、少年は銅板色の小さな眉毛を寄せた。


「師匠サマ、奴らは本当に、森でやられたんでしょうか。僕、心配です」


 少年には、森を破壊しながら突き進んでゆく侵入者が、魔女の従える魔物たちよりもはるかに強く見えていた。魔女のしもべたちを全員知っているわけではないけれど、体の大きさもぜんぜん違うし、さらには理性もないときた。体当たり以外に何かできることがあるのだろうかと懸念してしまう。


「僕が窓から飛んでいって、彼らの亡骸を見つけてきます」


「あら、まだ魔物たちの気が立ってるから、一人で行っちゃだめよ。死体の確認なんて、明日にでもできるでしょ?」


「それはそうですけど」


「インプくん、あなたが私のことをとても大事に思ってくれてるの嬉しいわ。でも今夜だけは、そばにいてくれないかしら。ずっと強がっていたけれど、本当はとても怖かったのよ」


 魔女は教室の窓から、少年に視線を移していた。不安そうに抱きしめている両腕に、どっぷりと乗っかった大きな胸。圧倒されて、後退する少年。


「あなたが行くのなら、私もついて行くわ」


 魔女は腕をのばして、少年の小さな手を握った。互いに小さく震えているのがわかった。


「緊張ですっかり体が冷えちゃってるわね」


「そうですね……」


「さ、あったかいお風呂に入りましょ。今日は干したオレンジの皮とラベンダーの香油で楽しみましょ」


 魔女がにこにこしたまま、手を放してくれない。


「え? あの」


「あら、一緒に入るのはイヤだった?」


「え!? い、いや、イヤだとか、そんなんじゃないんですけど、あの、僕、男だしっ、もう子供じゃないんですよ!?」


 キーキーと抗議する少年を引き寄せ、小脇に抱えると、魔女は広々とした浴室へと向かっていったのだった。


「お風呂の準備は誰がするんですか!? まだお湯を張っていませんよね!?」


「あら、素材の買い物から帰ったときに、蛇口をひねっておいたわ。溢れちゃってるかもね~」


「えええ~!?」


 今日は初めて魔女と一緒に、お風呂に入ったのであった。しかし、濃厚な湯気の向こうで鼻歌を口ずさむ魔女を直視できなかった少年は、浴室の隅っこで体の洗浄を済ますと、


「のぼせたんで、お先でーす!!」


 と言って、タオルも巻かずに脱出したのであった。



 久々の長風呂でのぼせたのは、魔女のほうだというのだから、少年はもうどこからツッコミを入れたらいいのやら、今日一日ずっと魔女に振り回されっぱなしである。


 自力で湯舟から出られないと言う魔女の手を引っぱって、タオルで拭いてあげて、ほぼ全裸の彼女を部屋まで導いた。


「あ~暑くてパジャマとか着てられないわ~」


 魔女は体の線がくっきりわかるほど透けている下着姿で、天蓋付きの豪華な寝台に横たわっている。


「師匠サマ、お水持ってきましたよ……って、まだ寝巻に着替えてなかったんですか?」


 お盆にコップを載せて、お尻で扉を押し開けた少年が、怠惰な魔女の姿に、驚きを通り越して呆れかえる。


「湯冷めして風邪ひいちゃいますよ? ほら、これ飲んで、体が冷めてきたら、着替えましょう」


「だめ~もう眠いわ~。着替えるの面倒だから、今夜はインプくんがあっためて~」


「ええ!?」


 少年がびくりと肩を跳ねあげる。


「そのあの、ぼ、僕、寝相がすごく悪くて、師匠サマを蹴ってしまうかもしれないですから、その、自分の部屋で寝ます!」


「あなたの小さな足だったら、なんの被害もないわよ。私太ってるし」


「いえ、あの、全然太ってないというか……って、たとえどのような体型であっても、師匠サマを足蹴にするなんて耐えられません!」


 少年はペコペコと頭を下げまくり、なんとか添い寝の誘いを断った。


「そう、残念だわ……」


 魔女が「はぁ……」と、ため息をついて枕にうなだれた。


「私、疲れたわ。今日はもう、お休みなさい」


「はい、おやすみなさい」


 本当に寂しそうにしている魔女を部屋に残して、少年は断腸の思いで自分の部屋に戻ってきた。



 少年の部屋には、鉄格子付きの大きな窓と、書き物机、それと小さな寝台に、着替えの入った箪笥たんす。そして少年が授業の詳細をいろいろと書き記した冊子が、本棚にたくさん収まっていた。


「ごめんなさい、師匠サマ。あなたと一緒に、眠るわけにはいかないんです」


 少年は、魔女が眠っている方角へ顔を向けた。


「僕は今から、この肉体から抜け出し、あなたの夢へ、入ろうと思います」



 夢魔は、夢を見ている者の記憶を探り、その者が最も理想とし、添い寝を所望する存在に化ける。


 その性質を応用すれば、夢を見ている者の過去を探ることができる。黙して秘し、だけど現在までその者の性格や行動に影響を与えているモノは何か、探ることができるのだ。


 しかし多くの夢魔は、そこまで相手に興味を抱かない。精を採取したり、自分の子供を産ませたり、その程度しか用がない。夢を見ている者を、都合の良い道具としか思っていないのだ。


 少年は夢魔だった頃から、他の夢魔とは違った理由で魔女に近づいていた。彼女の持っている数々の知識、そこに大変興味を惹かれて、彼女に近づいたのだ。


 少年は初めから、彼女の過去の記憶に興味があった。彼女が彼女として生きてゆくに至る経緯全てに、大変興味があった。出会った時から、否、彼女という存在を人づてに聞いた時から、少年は彼女を尊敬していたのだった。


 少年の中では、今も魔女は完璧な存在であり、憧れの女性だった。そんな彼女が、今日ほど弱り、疲労困憊し、早々にとこに就いてしまった日は無い。


「師匠サマ、あなたとこの容姿の本当の持ち主である少年との間に、何があったのか……無遠慮に探る僕を、お許し下さい」


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