第8話 魔女の大切なモノ
一匹の蝙蝠が、体当たりで窓を叩いた。
「魔女様! 大変です!」
蝙蝠の声は、少年とよく似ていた。
魔女が窓を開け、蝙蝠を室内に迎え入れる。
「どうしたの?」
「侵入者です! 我々の結界をかい潜って、何者かが魔法陣を張っています!」
「なんですって? もう侵入されちゃってたの?」
遥か彼方から、狼の遠吠えのような声と、木々がなぎ倒されていく音が、こだまして聞こえた。
魔女が困り顔で、うろたえている。
(師匠サマが怖がっている。僕が絶対に守らないと!)
少年は再び鎌を両手に構えた。しかし戦々恐々、身が震える。
「インプくん、双眼鏡を取ってきて」
「あ、はい!」
少年は戸棚から、どこまでもよく見えるという魔女お手製の黒い双眼鏡を持って、必死に羽ばたいて魔女の手に渡した。
魔女は素早く両目に当てて、怒号の聞こえる箇所を注視した。
この世界の
「
双眼鏡をあちこち動かし、よくよく探すと、視界の端で動き回る、小柄な少女がいた。
先走る戦士に置いていかれまいと走っているようだ。
「あの女の子の格好……」
白いフードをベールのようにかぶっており、質素倹約を美とする花嫁衣装のような、薄く清らかな衣は、スカートが揺れるたびサンダルを履いた華奢な足首を露出させた。
「聖女……?」
素朴で愛らしかった魔女の顔立ちが、みるみる豹変してゆく。表情は凍りつき、目尻は釣り上がり、何者をも許さぬ狭量かつ凶暴な顔つきに変わる。
「ただでさえ許可なく侵入されて不愉快なのに、よりにもよって、この世で最も嫌いな部類の人間が近づいてきたわね!」
「師匠サマ?」
「あなたは絶対にこの城から出てはダメよ。彼らは、私の従える魔物たちで迎え討つわ」
魔女は双眼鏡を少年に返すと、長い髪を掻き上げながら、窓のそばを離れた。
「マジョオオオオ!」
はるか遠くで、戦士の雄叫びが聞こえる。
「フン、大きな異形だこと。魔物の戦士を従えるなんて、聖なる淑女が聞いて呆れるわ」
この世界での破壊活動を、断固として許すわけにはいかない。
魔女は片手を上げると、軽く指を鳴らした。
魔物の眉間に彫られた小さな魔法陣が輝きだす。遠吠え、うなり声を上あげるケモノ達。
空は黄昏れ、黒い森は枝葉を打ちつけ、侵入者を威嚇する。
魔女の
「さてと、今日は授業なんてやってる場合じゃないわね。あなたは自由に過ごしててね。私は隣の研究室にこもって、ちょっとした作業をしてるわ」
「僕に手伝えることはないですか?」
魔女は「うーん」と、顎に手を当てて思案した。
「まぁ、あるにはあるんだけど、まだ先って言うか、でも、そうね、どのみち手伝ってもらうことになるんだし、それじゃあ一緒に来てくれる?」
「はい、ぜひ!」
無邪気に喜んでみせる少年だが、本当はこんな状況で研究に没頭する魔女のことを心配していた。集中すると周りが見えなくなる彼女だから、なおさら心配だった。
研究室へは、この教室にある扉からでないといけない。
一見すると、用途不明の不潔な水槽だらけという、不潔極まりない光景だが、どれも魔女にとっては意味のある液体。水槽の中には何も住んでいないが、絶えずゴボゴボと毒のある泡が沸き立っていて、換気がめんどくさいからという理由により、常に窓が開いていた。
「師匠サマ、どんな研究をするんですか」
「あなたを、今よりもっと大きな体にしてあげたいのよね。まだまだ小さくてもいいかなぁって思ってたんだけど、こんなふうに緊急事態が起きたときに、小さなあなたが心配でね。本当は緊急事態が起きる前に、鎌じゃなくて新しい体をプレゼントしたかったんだけど、素材の仕入れが間に合わなくてね」
「師匠サマ……」
「今、魔物たちが隣の研究室に赤ちゃんの遺体を運んでくれてるはずなんだけど、どうしたのかしら、遅いわね……」
本当だったら、とっくにこの部屋に届けられているらしい。
「僕が、見てきますよ」
「あら、危ないわ! 今、魔物たちは気が立ってるの」
「大丈夫です。用心して、身を隠して進みますから。それに、鎌だって持ってますし。ちょっと様子を見に行くだけです」
何でもないふうに少年は言うが、魔女はすごく狼狽していた。
「それじゃあ私も行くわ! 一緒にいきましょう」
「師匠サマ……?」
魔女は少年が少しでも危険な目に遭うのを、とても嫌がる節があった。否、怖がっていると言ったほうが適切かもしれない。
城の中をちょっと移動するだけなのに。しかも鎌まで持って武装しているというのに。これはもう、子供扱いとか過保護とか、極端な未熟者扱いとか、そういった類では無いのだと、少年は確信した。
少年は魔女を不安にさせたくなくて、うなずくことにした。
「わかりました。一緒に行きましょう」
しかし少年は守ってもらうのではなく、彼女をしっかりと護衛するつもりでいたのだった。
はたして、遅延の原因は。
二人は寒々しい石材の床の廊下を渡り、明らかに侵入者を惑わせるための不自然に多い階段のうちの一つを、正確に選んで、下っていった。
少年が初めて廊下の有り様を見たとき、階段が多すぎて、これはもう一種の落とし穴であると思ったものである。
なぜ魔物たちが、魔女の命令を破って配達を遅らせるのか。その理由は、すぐに判明した。
ひたいの魔法陣により、理性と優しさを失った魔物たちは、配達途中で荷物をむしゃむしゃと食べてしまっていた。現在進行形で、布袋から引っ張り出しては、次々と。
「あらら、これは困ったわねぇ。魔法でいろいろ強化させたら、私の言うことを聞かなくなっちゃったわ」
「師匠サマ、あんな状況の彼らに近づいたらいけません。僕らも食べられてしまいます」
「でしょうね。まぁいいわ、素材はまた手に入れればいいとして、戦闘は彼らに任せておきましょうか」
戦士の雄叫びが、またまた聞こえる。
「あらあら、なんだか近くなったわね」
「確実にこちらに向かっていますよ。魔女って叫んでますし、きっと師匠サマの事です」
少年は鎌の柄を握り締めた。
緊張する少年を見下ろし、魔女の表情が柔らかさを取り戻した。
「怖がらなくても大丈夫よ」
「怖がってなんかいません」
「ふふ、はいはい。でもきっと、彼らは私たちの元にはたどり着けないわ。森の中だけで、消耗するはず。城の中に入れたとしても、罠が避けきれずに、自滅していくでしょうね」
森の中にも城の中にも、魔女が作った魔物たちがうじゃうじゃいる。侵入者を消耗させるには充分な数だが、だからこそ少年は、心配していた。
(こんなことになっている魔物たちが、ちゃんと師匠サマを守ってくれるのかな。だって、命令を聞かないって事は、師匠サマを大事に思ってないってことですよ? いつ僕らにも襲いかかってくるか、わかったもんじゃないですよ! やっぱり僕がしっかりしないと)
少年はこっそりと下の階に降りる計画を立てた。ちゃんと魔物たちが働いてくれるか、その様子だけでも、確認するために。
「さ、教室に戻りましょうか。ここよりは居心地がいいわ」
「あ、はい……」
まずは、魔女の目を盗んで行動するところから始めなければならない。
「お茶でも淹れましょう。今日は私がお湯を沸かすわ」
「え、いいんですか? あ、でも、それぐらい僕にもできますから、僕がやります」
すぐに自分でやりたがる少年。魔女の隙を突いての移動は、無理そうだった。
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