第5話   浄化の旅路

 玉座の男は、顔の形が変わって見えるほど口いっぱいにサンドイッチを頬張りながら、ふと思い出したように大臣に尋ねた。


「間食にサンドイッチは重いと思うか?」


「いいえ、理にかなった栄養補給ではないかと」


「そうか。ついさっき、連続してカラコロと奇妙な音が鳴らなかったか?」


 今頃それを訊くのかと、大臣はちょっとびっくりしたが、顔には出さなかった。


「はい王様。先ほど鳴っておりましたね。ダイスの聖女が働くと、そのような不可思議な音があたりに鳴り響くのだと、聞いたことがございます」


 玉座の男は、不愉快そうにフンと鼻を鳴らした。


「迷惑な話だ。騒音騒ぎで心身が不調をきたして太ってしまったら、どうしてくれるんだ」


「全くもって、その通りですね」


 ズシン、ズシン、と地響きが鳴る。


 宮殿の外がにわかに騒がしくなり、玉座の男は何事かと片眉を上げた。


 鉄製の鎧を身にまとった兵士が、蒼白した顔で謁見の間に飛び込んできた。


「申し上げます! ダイスの聖女が、棺の中の化け物を起こしてしまいました! 現在この宮殿に向かっています! 王よ、戦いの許可を!」


「あの棺の中には、かさかさのミイラが入っているのではないのか?」


「と、とんでもない! 生きてます! 動いてるんです! しかも人間とは思えぬほど高身長なんです! 私の三倍はありました!」


 くちゃくちゃと咀嚼音を鳴らしていた男の動きがピタッと止まった。


「儂がチビデブだと申したいのか」


「い、いえ! そんなつもりは」


「もうよい、下がれ」


 魚のように口をパクパクしている兵士の後ろで、謁見の間の扉が開いた。振り向いた兵士が「うわあ!」と尻餅をつきかけるのを、刺々しい装飾のついた黒い手甲が押しのける。


「謁見の許可を拝することなく参上しました御無礼を、お許し下さいませ、王よ」


 この声は。ダイスの聖女だった。


 狭くて扉につっかえている大きな甲冑男の脇の下をすり抜けて、細身の少女が王の前に現れる。


 王は食べていたサンドイッチを、ひとまず膝の上の皿に置いた。


「その男をここに連れてきて、どうするのだ」


「許可をいただきに参りました」


「許可、なんのだ」


「旅立ちの許可です。私はこれから彼を浄化する旅に出たいと思います。彼の記憶の断片を、読み取ることに成功しました。彼は隣国やこの国に恨みがあって、このような姿になったわけではないそうです。何か別のことに未練があり、現世に留まっています。私はその未練を解消し、彼の魂を浄化したいのです」


「ほーん……」


 まだ小腹が空いている男は、視線が膝にある皿の上に移っていた。


「では聖女よ、その男の全権をお前に任せる。旅支度は好きなようにせい。こちらで資金を用立ててやろう」


「ありがとうございます」



 傍らで一連のやりとりを聞いていた大臣は、恐る恐る玉座の主を見上げた。


「王様、ずいぶんとあっさりと見送られましたな」


「なーに、端金はしたがねで厄介事を運び去ってくれると言うのだ、安いもんではないか」


「は、はぁ……」


 したたかなのか、いい加減なのか、たまに判断しかねる一面を見せる主人に、言葉を失う大臣。


「畑の不作も解消され、本日からこの国は、また平和に戻る」


 くちゃくちゃと頬張りながら、男は美女ばかりの侍女たちに命じて、二個目のサンドイッチを持って来させる。


(こんないい加減な政治のやり方をしてるというのに、国がまとまっているんだもんな……)


 大臣含め、皆呆れつつも、今後とも王に従っていたら、先行きは安定しているような気も、しないでもなかった。


(まぁいいか。あの石の棺もダイスの聖女も、うちの出身じゃないしな)


 この大臣にして、この王ありなのだった。



 固形の食料と水筒が入った、ずしりと重たい革袋。少女がそれを背負おうとしたそのとき、暗黒の甲冑男が、片腕を伸ばしてきた。重たい革袋を二人分、ひょいと背負ってくれる。


 少女の紫の瞳が、驚きに開かれた。


「ありがとうございます……あなたは、本当は優しい人なのですね」


 その優しい人が、なぜこのような姿になってしまったのか。読み解こうにも、破損した記憶と人格をつなぎ合わせることは、現段階ではできなかった。


 少女の旅路を見送るものは、誰もいない。皆それぞれの生活に忙しいからという理由もあるが、少女とともに市場を右往左往する、あの甲冑姿の怪しい巨体に、近づける者が、誰もいなかったからだった。


「では、参りましょう。あなたの旅が成功するよう、ダイスの女神が微笑んでくださいますように」


 少女は白い外套の胸の前で両手を組み、彼のために祈ったのだった。



 草木の生えない乾燥地帯、無人の荒野を歩いていく少女と、ときおり雄叫びをあげて突っ走ってはまた戻ってくるを繰り返す黒い甲冑男。


 甲冑の作りからして、この辺の国の物ではないようだった。装飾を全て殺意へと換えた呪いの防具に、全身をすっぽりと閉じ込めた戦士を、いったいどこの国が作るのか。少女には心当たりがなかった。


 少女は振り向き、あの王の視野の届かない距離まで歩いたことを確認し、そして王が派遣した兵士二人が、旅人を装って遠くから歩いて来るのを眺めた。


「彼らが私たちの旅路の、生き証人となることを願います。私たちに、危害を加える人たちでなければいいですね」


 少女が話しかけても、甲冑の男は正常な反応を見せない。


 少女は前を向き、歩き続けながら、天を仰ぎ見た。


 賽が鳴る。


「記憶領域、再、クリティカル。きみの砕け散った記憶の鱗片が、寄せ集まり、過去の景色がそのまぶたに甦る」


 聖女は一日に同じ能力スキルを使えないのだが、大量に与えられた賽子を振る回数を、半分にすることで、もう一度同じ能力を賽子に託すことができた。


 どうやら彼は、記憶をかなり取り戻したようだ。それがわかって、少女の紫色の瞳が、彼を見上げた、その時、黒々とした鎧が、メキメキと音を立てて、つののような突起物を生えやし始めた。


 少女は息を飲んだ。良い兆候に思えなかったからだ。


「きみよ、どうしたのか」


 荒野に雄叫びが響き渡った。遠くを歩く兵士二人が、槍を片手に構えた音がする。だが少女を守りに走っては来ない。


 黒い甲冑が禍々しい棘を無数に生やし始め、棘同士は絡まり合い、ぶつかり合い、融合し、あっという間に男の背丈は元の背丈の五倍ほどに到達してしまった。


 その両腕は不自然に太く長くなり、乾いた大地を狂ったように叩き始めた。


 付かず離れずそばにいた少女も、さすがに距離を取った。甲冑の棘の隙間に挟まった砂利や石が、飛んでくるからだ。


 少女は再び空を見上げ、賽が振られることを祈った。だが、音は鳴らなかった。


 巨大化した怒れる戦士の、咆哮が響く。潰れた喉から放たれる大絶叫は、どんな獣の咆哮よりも唸りに満ちていた。


「ウンガアアアアア!! マジョオオオオォオォォ!!」


 両手で耳を塞ぎながら、少女は眉をしかめた。


「魔女……?」


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