第4話   ダイスの聖女

「王様、ダイスの聖女が到着いたしました」


 とんがり帽子風に形作ったターバン頭の大臣が、一礼しながら報告した。


「ふーむ、連れて参れ」


 玉座から立ち上がれないのではないかと疑ってしまうほどの立派なお腹を、呼吸で上下させながら、王と呼ばれた半裸の男は、大臣に命じた。


 さして興味なさそうに。


 はたして、謁見えっけんに現れたのは、薄物の白い外套がいとう一枚をまとった、細身の美少女だった。白いフードからこぼれる明るい金糸は緩やかに波打ち、色白の頬に影を落とす毛ぶるような金色のまつげと、それに縁取られた紫色の瞳が、神秘的に輝いていた。


 興味なさげだった玉座の男が、肘掛に乗せていた腕をおろす。


「これはこれは、珍しい目の色だな。さすがは世界に選ばれし聖女だ」


 男は彼女に添い寝を命じようとしたが、それどころではないことを思い出し、しぶしぶこらえた。傍らに控える騎士団長に命じて、鍛え抜かれた騎士十二名がかりで大きな石のひつぎを担いで運びこませると、少女の前にどっかりと置いて見せた。


「ダイスの聖女よ、これが何かわかるか」


 少女の紫色の瞳が、石の棺越しに中身を眺めた。


 どこからか、カランコロンと耳障りな音が、数発鳴り響く。その変わった物音に、何事かと辺りがざわついた。


 聖女のみ、一人納得し、大きくうなずいた。


「封印されし人心を読み、その未練を探り、解きほぐし、穢れに濁った魂を浄化して解き放つ……それが我々、ダイスの聖女です。この封印されしいかれる殿方も、必ずや私が浄化してみせましょう」


 少女は白い外套の前で両手を組み、丁寧に一礼した。


 玉座の男は、小難しいことを言う少女の、貞節そうな容姿を眺めながら「ほーん、では頼んだぞ」と生返事。


 石の棺には、重々しい鉄の輪で形成された鎖で、幾重にも巻かれて封印されていた。もう二度と誰にも蓋が開けられないかのように見えるが、この程度の処置では、棺の隙間から溢れ出る瘴気しょうきを抑えられないのを、少女は見抜く。


 常人の目には見えない恐怖は、日に日に強まるばかりであった。



 初めのうちは玉座の男も、この見た目がかっこいい棺を買い取り、どのように安置し、新たな観光名所にしようかと企んでいた。しかし、周辺の畑が長期の不作に陥り、この地を管理していた大勢が病気になってしまったため、慌てて国内の教会に棺を移した。


 だが、怪しい物体を隣国から勝手に購入し、それを教会に押し付けられても困るとの苦情が寄せられた。


 これは教会関連の者ではなく、専門の聖職者に頼るべきだと神官たちに説得され、しぶしぶ招いたのが、このダイスの聖女と呼ばれる少女だった。


(聖女と言うより、死霊使いネクロマンサーに近い気がするがな)


 玉座の男は、この少女が任務を失敗して元気をなくしているところを励まし、いろいろと仲良くなる展開も考え始めた。


 そしてそのよこしまな考えは、全てこのダイスの聖女に見抜かれていた。


(なるほど。この棺の中で眠る人物は、この国の人たちによってひどい目に遭わされたわけではないのですね。棺の中の人物と、この国の歴史は無関係のようです。ただ、安置されているだけでここまでの瘴気を放つのが、気になります……何かの、強力な呪詛の器にされた可能性がありますね)


 ダイスの聖女は、棺の中の人物を哀れみ、そして早急に救わねばならぬと自負した。


「王様、私に作業部屋をお与えくださいませ。この棺の中の人物と、ゆっくり語り合えるような、広くて頑丈で、防音性に優れた部屋がいいです」


「語り合う? ほーん……わかった、用意しよう。ちょうど使わなくなった酒蔵がある。少々肌寒いが、長居をせんのなら問題ないだろう」


「ありがとうございます」



 しかし、玉座の男が聖女の信憑性に不信感を抱いているのは、変わらなかった。


 酒蔵の扉前には、槍を持った兵士が、聖女の脱走防止のために立っている。


 地下深くの酒蔵には、当然、窓がない。ダイスの聖女は、このような扱われ方にも慣れていた。ときには土砂降りの中、気味悪がられるあまりに外での作業を命じられた日もあった。


 聖女自身、全く気にしないわけではなかったが、ここへ来たのは仕事のためと割り切って、目の前の大きな棺と向き合った。


 この幅広な石の箱は、夜な夜な動きだすわけでもなく、溢れる瘴気は目には見えない。


 にも関わらず、怪しい専門家を国の代表が呼び出すとは、それほど甚大な被害が出ているという事。


 たとえ仕事を全うしたとしても、証拠となるものは、何も残らないだろう。であれば、あの不忠実な雇い主から、どのような揚げ足を取られるか、わからない。


 ここは仕事を全うした時点で、この国には戻らずに逃亡したほうが得策であると判断した。


 彼女が本当に用事があるのは、この棺の中にいるいにしえの人物。彼がどのような過去を背負っているのか、それを知り、おのが糧とし、おのが導きとしてその運命を受け入れ、進んでいく。それがダイスの聖女なのだと、教わってきた。


 彼女が目を閉じると、どこからともなくダイスの振られる音がする。その音は大変けたたましく、彼女が立っているこの国の、大半の者に聞こえた。


 複雑な計算により導き出された結果、そして彼女の耳に降りてくる天啓に従い、


「記憶領域クリティカル」


 彼女がつぶやくと、石の棺がゴトゴトと振動し始めた。


「きみは失われていた過去の記憶の鱗片を、取り戻すことに成功した。それはきみを、いてもたってもいられない衝動に駆り立て、おのれに掛けられた理不尽な封印すらも打ち破り、その身の自由を取り戻した」


 まるで興味のない物語を朗読するかのごとく、聖女が口にすると、


「グオオオォオオォオオ!!」


 雄叫びとともに棺がメキメキと音を立てる。鎖が耐えきれず弾け飛び、大変ぶ厚く重たい石の蓋が、黒い手甲に覆われた大きな両手に、思いきり押し上げられた。


 弾け飛んだ鎖の輪が部屋中に飛び散ったが、聖女にはどれ一つ命中しなかった。


「何事だ!」


 愛人の部屋へお菓子をつまみに席をはずしていた兵士が、槍を携え、入ってきた。ちょうど鎖の輪が兵士の眉間に当たり、頭部の覆いが吹き飛ぶ。


 ついでに意識も吹っ飛んでいった。


 脱皮し、恐ろしい毒虫が世に解き放たれる瞬間のような、禍々しく刺々しい甲冑に身を包んだ大きな男が、棺の蓋を蹴り上げ、あっという間に全身を現した。


 男は意味不明な雄叫びを上げながら、広くない酒蔵を暴走した。ダイスの聖女は、冷静に目を細め、天を仰いだ。


 賽の振られる音が鳴る。


「目視失敗。きみはここがどこかわからず、また状況も何一つわからなかった。目の前に静かにたたずむ少女が一人、いることに気がつく」


 さらに賽が振られる。


「心理学失敗。きみはこの少女の全てに見覚えがなく、どのような役割を持ってここに立っているのかを何一つ把握することはできなかった。ただ、どことなく興味が惹かれる……きみはそう思った」


 賽が振られ続ける。


「直感成功。君はこれから、怒りに任せてこの国を滅ぼしてもいいし、この少女に同行して自らの目的を思い出しても良い。前者は、溢れる怒りを一時いっときは落ち着けてくれるだろう。後者は、心と体を一つに結びつけてくれるかもしれない。きみは直感的に、そう判断し、そして今迷っている。果たしてこの少女を、信用して良いものかと」


 部屋中をあんなに走り回って奇声を発していた男は今、静かに少女と向き合っていた。その肩は荒い呼吸で上下し、今にも少女に襲いかかりそうである。


 少女は頭部を覆っていた白のフードを、ぱさりと取った。その紫の瞳に、恐怖の色は見えない。無感情に、男を見上げている。


「お初にお目に掛かります、いかれる戦士よ。私はダイスの聖女。天啓に見放され、悲劇的な運命を強要され、それでもなお戦い抗おうとする戦士たちの下に現れ、導き、支える者。道中に得られた全ての見聞を、己が糧とし、前に進み続ける者、それが――ダイスの聖女でございます」


 勢いよく賽が鳴った。


 少女の口角が、わずかに上がった。


「運命打破クリティカル。きみはこの怒りと混乱から逃れるために、この少女について行くことに決めた」


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