第2話 今日の授業は教材がいっぱい
「今日使う物は、まだまだあるのよ。取ってくるから、ちょっと待っててね」
「あ、僕も手伝います」
「大丈夫大丈夫、フラスコ三つだけだから」
そう言って、少年のいる教室から隣の準備室へと消えていく魔女。後ろが大きく開いた黒のドレスは、彼女の背中を、脱皮する
隣室から戻ってきた魔女の腕の中には、三匹のスライムがそれぞれ入った三つの巨大なフラスコ、それと魔法陣を描くためのクレヨンセット一箱。
テーブルに並べられたたくさんの教材に、少年はちょっと自信を失う。
「今日はいっぱい道具を使うんですね……」
自分が失敗して醜態をさらさないかと、さっそく心配になる少年。緊張して身を硬くするのが悪い癖だと、いつも魔女から指摘され、その都度体を緩めようと努力するのだが、また無意識に石のように
「ではインプくん、壁の本棚からスライム辞典を、二人分取ってきてくださーい」
「はい!」
一面の壁を覆いつくす、木製の本棚には、魔女が揃えてくれた二人分の魔道書の数々。
少年は自分のと魔女の分を二冊、両手に抱えて羽ばたいた。テーブルに丁寧に並べる。
魔女は窓を背にして立ち、少年は魔女と向き合う形で、テーブルを挟んで羽ばたいた。彼にとってはどんな家具にも、飛ばないと届かない。授業中は常時、滞空していた。
「はい、それでは、このイチゴ味ちゃんが入っているフラスコを見てください」
魔女はスライムが入っている三つのフラスコのうち、赤色をしたスライムが入っているフラスコを傾けた。テーブルの上にぷるんと乗っかる、赤色のスライム。
「では次に、スライム辞典を開きましょうね」
「はい!」
「このイチゴ味ちゃんの
「師匠サマ、スライムの種類は膨大です。このスライムを、いろいろと測ってみても良いでしょうか」
「ええ、いいわよ」
「薬品なども使っても良いでしょうか」
「あら、それは却下ね。もしも間違った薬品を使ったら、イチゴ味ちゃんが溶けて消えちゃうから」
「わかりました。目視と測定値のみで、判断します!」
少年は机の上でプルプルしているイチゴ味を凝視し、定規で全長を、つまんで伸び具合を、痛覚はあるか、弾力はどれほどか、匂いの有無に、体重も計る。
最後に、これと似た特徴を持つスライムの載った頁を探した。
「あ、あった! ありました。このスライムは、金属を溶かす粘液を持つ大型のスライムの末裔であり、体の構造、生み出す粘液の成分が先祖と酷似している。小型に進化した彼らは、小さな釘などを丁寧に溶かしてしまい、旅人用に用意した看板やテントの器具などを破損させてしまう。人間の暮らしに害を及ぼす等の理由で、積極的に討伐されてしまい、現在ではその数を減らしている。今後彼らは人間から身を隠すために、ますます小さく進化してしまうのではないかと危惧されている」
人間の手により、絶滅危惧種に認定されているスライムだった。
少年は小刻みに震えているスライムのつぶらな瞳を見て、つられて両眼を潤ませた。スライムもグミのような透明感のある両眼で少年を見上げて、プルプルしている。粘液で濡れたその瞳は、泣いているようであった。
本日の教材イチゴ味を、両手でぶにゅっと抱きしめる少年。その微笑ましい姿に、魔女も癒される。
「このスライムちゃんは、もともとは魔王様の配下だったけれど、勇者に細切れにされてしまったという説もあるわ。こっちの場合だと、小型に進化した説を否定することになるわね」
「うーん、学会で揉めてそうな内容ですね。魔王様に直接うかがおうにも、封印されて久しいそうですし……僕くらいの年代層の悪魔にとって、魔王様はもはや噂や伝説上のお方になってるんですよね……」
魔女も魔王には会ったことがないと言う。はるかな昔、勇者に封印されたままどこかの山深くに眠っていると云う伝説上の悪魔。魔に服する皆が復活させようと奔走しているが、未だにその方法には辿り着けないでいる。
「さあインプくん、実験を始めましょう」
「はい師匠サマ、でもあまりこの子にひどいことをしないであげて欲しいです」
「ふふふ、大丈夫よ。金属を溶かすイチゴ味ちゃんにふさわしく、この山賊の刀を溶かしてもらいましょうね」
そう言って魔女は、イチゴ味の体に山賊の刀をぶにゅっとぶちこむと、みるみる刀が錆びてゆき、柄を残してイチゴ味の中にサビの粉として残ってしまった。もぐもぐしているイチゴ味。やがてプッと吐き出されたのは、金属でできた卵だった。錆はすべてイチゴ味が食べてしまったのか、卵はつるぴかに輝いていた。
「わー、こんなに早くやっちゃうんですね。うっかり金属を食べられたら、もう元通りには返ってきませんね……」
「本当はね、小型のスライムはもっと時間をかけて金属を溶かすものなんだけど、この子は教材用と警備用を兼ねて、特別に強化してあるの」
「そうなんですか」
「スライムちゃんたちは、フラスコにあと二匹いるわね。今度はこのレモン味ちゃんの特徴を調べて、スライム図鑑で頁を探してみましょう」
イチゴ味とレモン味。魔女は彼らの見た目でスライムに名前を付けていた。
傾けられたフラスコ、テーブルの上にぷにゅんと着地する、黄色いスライム。
少年はイチゴ味の時と同じように黄色いスライムの特徴を測り、スライム図鑑であたりをつけた。
「近年より発見された新種。森林などの茂みに潜み、突如人間に覆い被さる、粘液質感の強いスライム。多く一般の人間をずぶ濡れにするほどの体積を持つ。その特徴は極めて興味深く、人間が身に付けている衣類や、布製の道具類等を、粘液に含まれる成分で溶かして、分解してしまう。それ以外に害が確認されていないため、人間同士の悪質ないたずらに利用されたり、刑罰の一つとして取り入れている国もある。国名の参照は概要欄に……」
「ああ、そこまででいいわよ。今日のお勉強の範囲外だから」
魔女は持っていたスライム図鑑を閉じると、テーブルに置いてある聖女の遺物を、箱から取り出すなり片手でひょいとつまんだ。
「じゃーん、本日レモン味ちゃんに分解してもらうのは、この聖女のハンカチよ」
「ええ!? あ、あの、師匠サマ、聖女の聖遺物なんて触って、平気なんですか!? 手とか焼け
「あら〜、平気よ。そのための手袋なんだから」
魔女は二の腕まで濃紺の革手袋で覆っていた。
「それに、この世の聖女のほとんどなんて、周囲の大人にでっち上げられた、ただの小娘なんだから。私たちの敵じゃないわ」
魔女が冷笑しながら両手でつまんで広げてみせたのは……なんと白のパンツ。
麻製の。
色気とは無縁の、お腹とお尻をしっかりと温める、ぶ厚いパンツだった。
シーンとなる師弟。
「あ、あらら〜? ハンカチじゃなかったみたい。せっかく用意したのに」
「いえ、あの、僕、パンツでも構いませんから!」
「そーお? あなたが気にしないのなら、今日の授業にはこれが使えるわ」
魔女は洗濯物を任せるかのように、レモン味に麻のパンツを放り込んだ。
レモン味は体内の分泌液で瞬く間に繊維を溶かし、さらさらの粉状にして、そのぷるぷるの下部から一まとめに排出した。大匙一杯ほどの白い粉が、きらきらと輝いている。
「それじゃあ、最後のフラスコから、この子を解放するわね」
そう言って、魔女は残りのフラスコを、テーブルに向けて勢いよく傾けた。フラスコの容積を遥かに超えた量の、透明な粘液が、だばだばとこぼれ出す。
あっという間に、バケツプリンみたいな大きさのスライムが、どどーんと出現した。顔は渋いおっさんみたいで、なんだかふんぞり返っているような、謎の角度でのけぞっている。
その可愛げのない雰囲気に、少年は固い首の動きで、魔女を見上げた。
「なんですか、これ」
「この子は私が造ったスライムなの」
「造った?」
「そう。道具類や生物を、合体させたり、連結させたり、さらに新しい道具へと錬成してくれるのよ。たまに失敗して、骨粉のようになっちゃうときもあるんだけど、今のところ、その確率は1%未満ね」
「師匠サマ、もしかして今日の授業って、錬金術なのですか?」
「え? うーん、まあ、そんな感じ? 本当はスライムちゃんで横着せずに、基礎から学んでほしいんだけど、それだと日付けが変わっちゃうから……」
「え?」
「な、なんでもないの!! うふふ〜、気にしないで〜」
魔女は濃紺色の革手袋に覆われた両手をぶんぶん振って、ごまかし笑い。
(師匠サマが何か隠しています)
負けず嫌いな少年は、魔女が何を隠しているのかと、もんもんと思案するのだった。
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