4月9日

 コミュニケーションをすることには興味がないがそれを俯瞰してどういったものであるのかを探るような行為には興味がある。多分そういうものは多い。人間もそうだ。人間というものにはできるだけ関わりたくないが人間がどういったものでどういった行動を起こすのかということには興味がある。


 嫌いなことはたくさんある。けれど嫌いだと知るためには関わらなければいけなかった。関わらないものに好き嫌いは発生しない、関わっても好き嫌いが発生しないことはあっても。

 嫌いなことは関わってきたこと。それならそれが多いのは大変だったねと自分に言う。これを人に言われたならまっすぐ受け取れないのだろう。

 嫌いなことを把握した後は関わらないという選択肢が発生すればいいのに。


 同じものしか読んでいない。ずっと同じものをローテーションで読んでいる。この間読んだばかりであろうとも関係がない。

 けれど同じものしか読んでいないと出てくるものまで同じものになってしまう。インプットが一つならアウトプットも一つだろう。一つではなくても同じことだ。


 大人になったらもっと物知りになれるのだと思っていた。けれど学習指導要領の全く違う親と比べたら学んでくることが違うのは当たり前。筆記体なんていまだにかけないしものによっては読めない。

 一番近くの大人である親とは違う育ち方をするだろう。違う育ち方しかできないだろう。社会は違う。親は自分がどう育ったかというところから改善して育てようとする。その時点で違う育ち方になってしまう。

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