4月2日

 例えば基本的には、一般的には避けて通れないことがあるとして、それに向いていない故に避けたいと思う。避けることができる例外を知らないわけではなくて、けれど割けないということと同じくらいかそれ以上難しいこと。避けることができる例外の例外というものだってなくはないが多分それは別の系統で難しいこと。けれど全てを並べた時に私にとって最後の一つが最も簡単だと思える時にはそれを選び手を伸ばすことが一番良いのだろうか。

 その避けては通れないことというものは社会が作り出して社会適合者が発展させてきたものなのだから合わない人は一定数いて当たり前だというのに。社会というものはないのにあることにしておいた方が都合がいいからあることになっているし、作りだした人々と同じ系統の人々が生きやすいようになっているから同じ系統の人が上に立つという再生産のもと動いている。

 一般的には避けては通れないそれの中にはちゃんと種類はいくつかあるのだろう。けれどその中であるかどうかもわからない向いているかもしれない部分はどう探せばいいのだろうね。

 例えばレールはなくても川の流れのようなものはあって、真ん中にずっといることができれば遠くまで行ける。けれど一度端の方に寄せられてしまえば真ん中に行こうと思っても難しい。端に行くことは運もあれば間違いもある。多分向き不向きは運みたいなもの。船の丈夫さとか、そもそもあるなしとかそれも。漕ぐ向きを間違えたならきっと変な方向に行ってしまう。川の上流の方に行くことは多分真ん中以外では難しい特殊な川。けれどその難しいことをこなせるのであれば川の流れの向きだって作れる。

 そういえば避けては通れないことを避けることができる例外の例外には想定したもの以外にもう一つあるのかもしれない。けれどどれを選んでもその先にあるものが向いているとは限らない。今思いついたものはその先にあるものが多分一番向いていないもの。


 誰か一人を選んでください。みんな同じことができます。

 みんな同じようにやるのですか。

 いいえ。ですが誰がどのようにやるかということは判断材料にできません。

 では何で選びましょう。

 それはあなたが決めてください。

 勘でもあみだくじでも、それこそみんなを争わせても良いのですか。

 良いですがそれらはどれも同じでしょう。


 知識は何から得ても良い。その知識をどう使えるかが一番重要なのだろう。次に重要なのが何からその知識を得たのかということ。出典の把握。


 何も浮かばないならインプットを増やした方がいい。そう思っていても何もできない。何ならできるのか。

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