2月24日
いろいろ調子が悪いので春はまだだったのだなと思っている。春になったら少しはましになるという考えが間違っている可能性もあるが。
春になったと思っていたのに。
それが私のものであるとは限らない。私のものは存在するか?
私のものと呼ぶもの。私のものであるかどうかは関係ない。ただ、私が私のものと呼ぶものがある。それの実在はどちらでもいい。私のものと呼ぶときそれは私の中にある。私の中にと言うならば存在している。
丁寧に世界を作りたい。丁寧にこの世界とは全く違う世界を作りたい。そしてそこで暮らすということを描きたい。もしかしたらそれを描くとき、この世界とその世界は変わらないかもしれない。けれどそれでいい。きっと私の書き方では変わらないだろう。それでいい。それで面白い。
時速はせいぜい千文字。もう少し速く書けるのだろうか。いや、考えながら書くのならばその程度でもおかしくないだろう。そもそもその速度が必要な時は長くしようとしているとき。普段書くものは長い必要がない。長いものを書いてみたいと言うくせに。
人類はかわいい(中略)から絶滅させてあげようねえという気持ちはキュートアグレッションなのかどうか考えたが中略の部分を正確に思い出すことで多分違うなという結論が出てしまった。
隠されたものを全て見たいと思う。隠されたものの中身が気になる。どうして隠されたのか。そんなものだろう、誰でも。
好奇心は大事だと誰かが言った。それは無駄かもしれないけれど。
何もやりたくなくなった。大概こういうときは寝るべき状態なのだが大概寝ることまで嫌になっている。
日々は大概を積み重ねることができて、大概をいろんなところに置いていく日々が続くものが人生かもしれない。
面白いことはそこら辺に転がっていて、あとは私が面白いと思うかどうかにかかっている。
けれど面白いと思えるかどうかなんて部分は自分で決められるものではないから、結局は面白いと思えるものを探さなければいけない。けれどその要因はどこにでも転がっていることがわかっているだけでだいぶ違うだろう。
面白いと思えば何でも面白い。面白いと思えるかどうかはわからない。
体調が悪いのか。腹の調子は多分よくない。けれどなんとなく調子が悪い。いや、風呂に入る前まではそんなことなかった。むしろ調子がいいのかもしれないとまで思っていた。
結局一日の中にも調子のいい部分と悪い部分が混じり合って存在している。ならばその日の調子がどうだったかなんてどこを切り取るかによるのではないか。
なんだか指の動きがいい。今日の後半を書き始めた時はそこまでいいとは思えなかったのにいつの間にかよくなっている。
切り取る何かはどこにでもあって、けれどどこを切り取るかということが変わる。
こんにちは。誰もいません。
こんにちは。あなたと私はいます。
こんにちは。あなたはいたかもしれません。私はいません。
こんにちは。あなたにとってはあなたはいるでしょう。私がいるとは限りませんが。
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