2月23日
面白いことはないだろうかと思ったところで双子座の言葉を思い出した。
昔一時期面白いことない? と友人に聞き続けていたことを思い出した。
欲しいものがある。その中の一番高額なものを欲しいという気持ちが強くなっている。
欲しいものは多い。それは変わらないだろう。我慢ができなければあのキャラと同じだったのだろうと思う。それはきっと不名誉なことで、ああはなりたくないと思うためのもの。
寝ることが面倒くさい。多分横になればすぐに眠れるだろう。けれど横になるまでが面倒くさい。いや、ここで横になることもできる。けれどそれは寒い。ただベッドまでの道のりが長く感じるというだけだ。隣の部屋でしかないその距離がどうして面倒くさいのか。
どうもこれを書いていると余計にほかのことが面倒くさく感じるようだ。けれど今はこれを書くことが楽しい時期なのでこれを書くことを簡単にはやめられない。
ブチッ。ブチブチッ。意外と力がいる。
ブチッ。一つずつなんて効率が悪い。けれどあまり持つと一回に必要な力も大きくなる。
ブチブチッ。音がする。楽しい音が。音を楽しむ。
ブチブチッ。ブチッ。ブチブチッ。
皿が割れる。がしゃん。
二枚割れる。がしゃ、ぱき、がしゃん。
たくさん割れた皿はどこへ行く。
何が楽しいことか。何を楽しめるのか。何を楽しみたいのか。何なら楽しめるのか。
何が楽しかったのか。
切り取るところは毎日発生して、それを取捨選択しながら開陳して。そうまでして何を得られるのか。結局のところ何も得られないじゃないか。何かを得るためにしているのか。そうなのだろう。
目的のないものを続けられるものか。それが自分からの報酬であっても、何かを得られるから続けられるのだろう。そうだ、自分からの報酬で十分なんだ。
もうそろそろ一か月が経つらしい。二十五日に始めているから一か月と言うなら明日だろうか。それとも三十日間ということで今日だろうか。続くものだとは思っていなかった。明日まで、それが続いたらまた明日までを繰り返してきたのだろう。私は飽きっぽいから。
たったこれだけの日数でもこれだけの文字数を書けることを知った。毎日続けることの重要性を知った。けれどほかに活かせるほど私は続けられない。ほかのことを続けるのは難しい。いや。これを続けることだって難しいはずなのに。なぜかできているというだけでほかもできるだろうというのは乱暴な話だ。なぜ続けられているのかがわからないことにはほかのことに応用することはできないだろう。
何ができるのか。
例えば今がずっと続くとして、その今がどこまで物語に反映されるものだろうか。今書かれるものはほとんどが過ぎ去ったものを懐かしむかのように同じものだ。けれど現実とは全く合わなくなっている。それが後世にどこまで伝えられるものか。どこまで残るものか。
なんだか急に読まれるようになった。
最初に読まれたのがいつ頃なのかわからない。だから最初にお礼を書いたのがいつかもわからない。今回は十日分以上読んでくれた人がいたように見えるがその人にお礼は見えたのだろうか。いや、その人に向けたものではないのだから見えようが見えなかろうが関係ないのだが。
まあ読んでくれる人がいることはありがたいことだ。だんだんこれを書くことも楽しくなってきたことだし、楽しんで書く文章に読んでくれる人がいることは本当にいいことだろう。
例えばこんな夢を見た。どこかを歩いている。歩いている。先は全く見えなくて、なぜか振り返れなくて。結局どこから来てどこへ行くのかはわからない。それなのにこれは必要なことなのだと思っている。
夢が覚めた今ならそんなことはないと思うのに。
夢の話は大好きだ。定期的に二次創作で夢十夜パロをするくらいには。夢十夜が好きなのだろう。ただ人の夢の話も大好きだ。私はあまり夢を覚えていられないから。長編の夢の話とかまず覚えてられることがすごいと思う。
読みたいものが多い。ツイッターの広告で出てくる漫画をよく読みたいと思う。思うだけのことが多い。タイミングが合わないというのが一番近いだろう。
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