第49話 女主人のアドバイスは、秘密!


「妙だな。こんな小さい小屋だったら、人がいれば物音が聞こえるはずだ」


 リフトを降り、材木小屋の前に立った僕は背後で控えている雪江に言った。


「中に入れそうなら、ミドリちゃんがいるかどうかだけでも確かめなくちゃ」


 僕は頷くと、アルミの扉に手を伸ばした。取っ手を手前に引くと、軋み音と共に扉が動き、中の様子が露わになった。


「……あっ」


 がらんとした小屋の真ん中に、西方が仰向けで倒れていた。腰のあたりに注射器が転がっており、ミドリの姿も神谷の姿もなかった。


「西方先生!」


 僕は駆け出すと、ぐったりとしている西方に向かって呼びかけた。僕と雪江は西方の傍らに屈みこむと「大丈夫ですか、聞こえますか」と耳元で繰り返した。

 

 ――また薬物を盛られたのだろうか?……ミドリは?


 僕が焦りを覚えた、その時だった。靴の上を指がなぞる気配があった。はっとして目線を下げると意識がないはずの西方が、指を動かして文字のような物を示そうとしていた。


 ――だ・い・じょう・ぶ・いき・てる・かんし・かめら・たなの・うえ


 僕ははっとした。この小屋のどこかにカメラがあり、西方の様子を監視しているのだ。


 つまり神谷はここにはおらず、西方に自分で自分に注射するよう指示したのに違いない。


 ――しつじ・ここに・いない・じぶんで・ちゅうしゃ・めいじ・られた


 やはり。では西方は注射を打ったふりをしただけ、ということなのだろうか。


 ――いちど・そせい・すると・もう・しなない・かみや・それ・しらない


 そうだったのか。僕はさりげなく西方の傍を離れると、目だけでカメラを探し始めた。


 ふと棚の上に置かれているバッグに目を遣ると、ファスナーからレンズらしきものがのぞいているのがみえた。


 ……あれか。


 僕はカメラの死角になるように慎重に移動すると、レンズを中に押し込むようにバッグのファスナーをしめた。ばれているかもしれないが、そうなったらなったでやむを得ない。


「西方さん、ミドリは……ミドリはどこです?」


 僕が尋ねると西方はゆっくりと体を起こし、無念そうに頭を振った。


「わかりません。神谷は僕が『しかばね』になりさえすれば、取引などどうでもいいのかもしれません」


 僕の背を戦慄が駆け抜けた。だとすれば、ミドリの命も保証されていないことになる。


「西方さん、すみませんが僕はこれからミドリを探しに行きます。万が一、僕が戻らなかったら後をよろしく頼みます」


 僕はそう言い置くと、小屋の外に向かって身を翻した。


「――待って。私も行くわ。二人で探しましょう」


 僕が振り向くと、雪江が西方に「ごめんなさい」とささやくのが見えた。


「危険だ。君はここに残るかリフトで下に戻った方がいい」


 僕がたしなめると、雪江はまたしても頭を振った。どうやら頑として聞き入れる気はないようだ。


「お願い。ここでなにせずにいるのは耐えられないの。それにもし、ミドリちゃんになにかあったら私、悔やんでも悔やみきれない」


「……わかった、行こう」


 僕は頷くと西方をその場に残し、雪江を伴って小屋の外に出た。


「この辺りに身を隠せそうな場所は……まさか」


 僕が何度か訪れた場所へ続く獣道に目を遣ると、雪江が「まさか?」と問いを発した。


「この先に『夏草宮』という小さな建物があって、老婦人が一人で住んでいるんだ」


「そこにミドリちゃんがいるの?」


「わからない。行くだけ行ってみよう」


 僕はそう言い放つと、藪を掻き分け始めた。やがて見覚えのある柵が現れ、僕らは足を止めた。


「こんなところに建物があるなんて」


「なんでも昔、色々あって下界が嫌になったらしい。……協力してくれるといいんだけど」


 僕は希望含みの言葉を口にすると、ドアをノックした。


「すみません……以前、お訪ねした者ですが、いらっしゃいますか?」


 ドア越しに声をかけると、ほどなくドアが開いて女主人が姿を現した。


「あら、この前の方ね?……ところでそちらのお嬢さんは?」


 僕は雪江の方を一瞥した後、きっぱりと「妻です」と女主人に告げた」


「まあ、そうなの。今日はまた、何の御用?あいにくとお茶を切らしているの」


「そうじゃないんです。実は僕らにとって大切な人……恩人と言ってもいい人が危機に直面しているんです。この辺りで大人と小学生くらいの女の子が隠れられそうな場所を知りませんか」


 僕が畳みかけると、それまでにこにこと穏やかな笑みを浮かべていた女主人の表情が一変した。


「まあ、それは大変ね。……ごめんなさい、私にはよくわからないけど、小屋だったらあっちとこっちに二つ、あるわ」


「あっちとこっち?」


「ええ。昔、材木を運んでたリフトが山のこっち側とあっちがわの二つの斜面にあって、その終点が小さな小屋になってるわ。人が隠れる場所と言ったらこことその小屋くらいね」


 僕は思わず唸った。まさか同じような小屋が、もう一つあったとは。


「わかりました、行ってみます」


 僕がそう言って頭を下げると、女主人は「待って。もし助けがいるのなら下に連絡して人を呼ぶわ。角舘でいい?それともマーサさん?」


「どちらでも構いません。ありがとうございました」


 僕らは女主人に礼を述べると、『夏草宮』を後にした。おそらくこの鬱蒼とした木立の向こうにもう一つの斜面があるに違いない。


「雪江、無理するな」


 藪を掻き分けながら時折振り返ると、驚いたことに雪江は僕の背に貼りつくように後を追い続けていた。


「こんなの、ひとつも苦じゃないわ」


 雪江の力強い言葉を励みに進むとやがて唐突に目の前が開け、小屋が姿を現した。


「これか……」


 僕が歩調を緩め、リフト側に回ろうとしかけた、その時だった。


「来るな!」


 空気を切り裂くような少女の声が、建物の死角から飛んできた。

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