第48話 すれ違いの特効薬は秘密!
――あっ
監督だろうか、明らかにほかのスタッフとは雰囲気の異なる年配男性と談笑しているのは、正木亮と雪江だった。僕はそそくさとその場を離れると、薬草畑の方に逃げ込んだ。
「やあ、またお会いしましたね、先生」
屋敷の壁に凭れて息を整えていた僕に、いきなり声をかけてきたのはライターの槇田だった。
「またあんたか……悪いけど僕はもうここを離れるんだ」
僕がそれとなく払いのけると、槇田は「おや、それは残念」と茶化すように言った。
「せっかく正木亮と神妙寺雪江のラブシーンが見られるかもしれないのに、チャンスをふいにするんですか?もったいない」
「ラブシーンだって?」
「まあ、それは僕の予想ですがね。なんでもシナリオだとここで二シーン撮影した後、麓でクライマックスを撮るそうですが、その前にいい雰囲気の場面がないとも限らない。今日は半日、徹底的に密着ですよ」
「やれやれ君たちの執念には到底、つき合いきれないよ。それより小学生くらいの……」
僕がそう、言いかけた時だった。
「秋津先生!」
ふいに名を呼ばれて振り返ると、中庭の方から一人の女性が姿を現すのが見えた。
「迷谷さん……」
みづきは俯き加減のまま近づいてくると、いきなり僕に「お願いがあります」と告げた。
「お願い?」
「はい。あと一日、当初の予定通り明日までこの『虹神村』にいてくれませんか?」
「それは……まあ構わないけど、どうしてだい?合宿はご破算になっちまったし、ドラマのシナリオは君の作品に決まったんだろう」
僕が若干の皮肉を込めて言うと、みづきは「やはり怒ってらっしゃるんですね。当然です」と言った。
「いや、別に怒ってはいないさ。ここを去る前に、僕を騙した理由を君の口から直接聞ければそれでいい。そうでないともやもやが残るからね」
「そのお気持ちはごもっともです。……ですがその説明も含めて、明日まで待ってはいただけませんか?もちろん、勝手なお願いなのは承知しています」
突然の訴えに戸惑いを覚えたその時、ふとどこからか視線が向けられていることに僕は気づいた。なんだろう、そう思って頭を動かすと、離れた場所から向けられたまなざしと僕のそれとがぶつかった。
――雪江。
困惑している僕と、泣かんばかりに顔を強張らせているみづきは、数十センチしか離れていなかった。僕が思わず口を開くと、何かを察したように雪江がついと顔を逸らした。
「……話はわかった。ここか麓かは決めていないが、とにかく明日までいることにするよ」
僕はみづきにそう告げると、その場を離れた。言い訳をしに行くつもりはないが、これ以上、みづきの近くにいればさらにややこしい事態になる気がしたのだ。
僕が屋敷を離れ、私道の途中で足を止めて再びミドリの姿を探し始めた、その時だった。
「――秋津先生」
僕を呼ぶ声と共に突き当りの岩陰から姿を現したのは、西方だった。
「西方先生、どうかしたんですか」
「たった今、僕宛てに神谷からメールが来た。ある種の脅迫文ともとれる内容だ」
「脅迫?」
「上の材木小屋で待っている。君か彼女が三十分以内に来なければ、『小さな執事』が『しかばね』になるだろう」
「なんですって?」
僕は絶句した。『小さな執事』とはミドリのことに違いない。
「僕も行きます。急がないとミドリが『しかばね』にされてしまう」
「ミドリ?」
「僕の……もっとも信頼している友人です」
僕はそう言うと、西方と共にリフトの乗り口を目指して駆けだした。
「秋津先生はここで待っていて下さい。二十分経って僕から連絡が来なかったら探しに来てください」
西方はそういうと、リフトの軌道スイッチを入れた。
「せめて上までご一緒します」
僕が申し出ると、西方は苦渋に満ちた表情で頭を振った。
「元はと言えば今の事態は僕と神谷の確執が招いたものです。秋津先生を巻きこむわけにはいきません。……僕が必ずミス・ビリジアンを救出します」
西方はそう言い残すと、材木運搬用のリフトで上にある小屋へと去っていった。
はやる気持ちを押し留められ、僕がやきもきしているとふいに背後で草を踏む音が聞こえた。
「…………?」
振りかった僕の目に映ったのは、薄着で息を切らせて立っている女性――雪江だった。
「雪江……」
「ごめんなさい、あなたの後を追って歩いていたらお話が聞こえて……」
「雪江、君は大事な仕事の最中だろう?ミドリのことは大丈夫だ、僕に任せてくれ」
僕がやんわり言い諭すと、雪江はまなじりを決して大きく頭を振った。
「あの子は私にとっても大事な人。恩人です。放っておくなんてできません」
「そうか……途中で抜けたりしてロケは大丈夫なのか?」
「撮影まで少しだけどフリーの時間があるの。監督にはちょっと気分がすぐれないと言ってきたわ」
「……わかった。だけど今は西方先生が先に現場に行っているんだ。少し待ってくれ」
僕が宥めると、雪江は辛そうな表情のまま、頷いた。ただ待つだけの時間は、たとえわずかでもひどく長く感じられた。やがて沈黙に耐え切れなくなった僕は、気がつくと胸につかえていた言葉を口にしていた。
「あの人とは……」
雪江がびくんと反応し、僕は慌てて言葉を継いだ。
「なんでもないんだ」
「なんでもないの」
「えっ」
僕が驚いて顔を覗きこむと、雪江は目を瞬かせながら言葉を発した。
「あの人……正木さんはただの共演者です」
「いや、僕が言いたかったのは、作家仲間の……」
僕らは互いに言葉を失い、それからどちらからともなく表情を緩めた。
「ごめん、どうかしてた。今の僕らにはどうでもいいことだった」
僕はそう言うと、時計を見た。西方と別れてからちょうど二十分が経過していた。
「……行こう。西方さんが罠に落ちていたら、ミドリを助けられるのは僕らしかいない」
僕はそう言うと、リフトを呼び戻した。小鳥のさえずりの中、不穏な音を響かせてリフトが戻ってくると、僕は雪江に「ごめん、助手席がないんだ」と言って前の方に立った。
雪江が資材を積むコンテナに身体を収め、僕は山頂部を見据えながらスイッチを入れた。
――待ってろ、ミドリ。今助けに行くからな。
僕はがたがたと揺れながら上り始めたリフトの上で、小さな執事の無事を一心に祈った。
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