第35話 留守中の自由行動は秘密!


「なんてことだ、そんな千載一遇のチャンスを逃すとは」


 翌朝、朝食後にリビングに現れた百目鬼は、昨夜の草野を巡る顛末を聞くと大げさに天を仰いだ。


「一人宿泊客が減ったんですよ。そんな呑気な話じゃないんです」


 僕が呆れて諫めると、百目鬼は「ですがねえ」と恨みがましい目線を寄越した。


「僕がここに残ったのは、何かあったら神谷先生に報告するためでもあるんです。それなのに僕ときたらいぎたなく眠りこけて……ああ、大失態だ」


 自分の目で見なくとも、聞いた話を伝えればいいではないか、そう思いながら腰を浮かせかけたその時だった。リビングにみづきと弓彦が相次いで姿を現した。


「秋津先生、僕らはこれから車を呼んで麓に行こうと思っているんですが……先生はいかがです?」


「麓に?ネタ探しですか」


「ええ、僕も迷谷先生もあらかた仕上がってはいるんですが、最後のひと捻りが欲しいってところで筆が止まってるんです。よかったら秋津先生もご一緒に」


「私、秋津先生が言っていた神社の宮司さんに会ってみたいの」


 あまり寝ていないのか、みづきが疲れの滲んだ表情で言った。


「うーん、そうだなあ……いや、僕は遠慮しとくよ。一度、降りた時にずいぶんと色々な人から話を仕入れたし」


「そうですか。……ではまた午後にでも」


 弓彦がそう言って背を向けようとした途端、百目鬼が「あっ、何なら僕がご一緒しましょう」と呼び留めた。


「ちょうど神谷先生に昨夜の話をお聞かせしようと思っていたところですし、よかったら車も僕が呼びますよ」


 畳みかけるような申し出に弓彦が目を瞬いていると、百目鬼は同意を得たと思ったのか、携帯でタクシーを呼び始めた。


「じゃあ、僕は一人で散歩でもしてきます。麓の話はまた、昼食の時にでも」


 僕は所在なさげにたたずむ二人と百目鬼をリビングに残し、玄関へと向かった。


 外に出た僕は、以前にもそうしたように屋敷の壁際に置かれたベンチに腰を下ろした。玄関の方ではタクシーが到着する気配があり、僕は背もたれに身体を預けて唯一の宿泊客になった気楽さを味わっていた。


 暖かい日差しを浴びながらぼんやりしていると、ふいにあらぬ想像が首をもたげ始めた。


 昨夜、草野がへたりこんでいた地下通路は確か『魔女の家』に通じているはずだ。僕とみづきを地下室に閉じ込め、草野を『しかばね』にしたのはマダム・ベラドンナではないか?そう考えれば、村長の息子が頻繁に屋敷と外を行き来していたことにも説明がつく。


 だが、と僕は思った。それを直接マダムに問い質したところで、真実を語ってくれるとは思えない。一体誰が敵で誰が味方なのか、もはや皆目わからないというのが本音だった。


 ――ミドリ。執事なんかやめて、僕に知恵を貸してくれないか。正直もうお手上げだ。


 僕が胸の内でそうぼやいた時だった。ふいに玄関の方から車が停まる音が聞こえてきた。


 おかしいな、みづきたちが戻ってくるには早すぎる。何か忘れものでもしたのだろうか。


 そんなことを思いつつ玄関前に目を向けると、停まっているミニバンから一人の男性が降りてくるところが見えた。人物が顔を動かした瞬間、僕ははっと目を逸らし、そそくさとベンチの前から離れた。


 ミニバンでやってきたのは、槇田とかいう芸能ウォッチャーだった。またネットのコラムに書くネタを探しにきたのだろうか。面倒はごめんだと感じた僕は、槇田から離れるべく屋敷前の私道へと足を向けた。



 ――参ったな。避難できそうな場所といったら、笹薮の奥にある『離れ』しかないぞ。


 あっという間に途切れた私道の端で途方に暮れかけた、その時だった。ふと奇抜な発想が僕の中で頭をもたげた。


 ――もう一度、リフトで山の上にある『夏草宮』に行ってみようか。


 珍しく一人になったせいだろうか、僕はそのあまりも突飛な発想になぜか惹かれる物を感じていた。


 ――あの女性は今もあそこで暮らしているのだろうか?


 前回、訪ねた時の不可解な反応に気後れしながらも、僕は気が付くとリフトの乗り口に向かって歩き始めていた。

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