第22話 動く箱の仕掛けは秘密!
僕とみづきが母屋に戻ると、リビングの宿泊客は平坂泉一人になっていた。
「お帰りなさい。何かネタになりそうな物は見つかりました?」
泉は膝のタブレットから顔を上げると、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「さっぱりです。平坂先生は、課題にもう手をつけられているんですか?」
僕が問うと泉は眉を上下させ、ふふんと鼻を鳴らした。
「当然でしょ……って言いたいところだけど、あなた方と同じでさっぱりだわ」
「そうですか。まあ、まだ二日目ですしね。……ところで村長さん、大丈夫ですかね」
「麓の病院で診てもらってるみたい。マーサさんもついていることだし、きっと大丈夫よ」
「だといいんですけど……いくらお医者さんがいるとはいえ、ここじゃあ心もとないですもんね」
僕が辺鄙な場所であることを匂わせると、泉が「そうだわ」と身を乗り出した。
「まだ日も高いし、せっかくだから麓に降りてみません?私が車を呼びますから」
「えっ、でも……」
「山を降りちゃいけないっていう決まりはなかったわよね、確か。夕食までに戻って来ればいいのよ」
泉はまるで共犯をそそのかすかのように、僕らに囁いた。おそらくマーサも角館もいないという状況に悪戯の虫が騒いだのだろう。小説家というのはそういうものだ。
「……どうする?」
僕はみづきに訊いた。正直なところ、もう自分で何かを判断するのが面倒になっていたのだ。
「私は止めておくわ。ここで見聞きした物の中に使える物がないか、振り返ってみたいの」
「……そうか、わかった。じゃあちょっとだけ行ってくるよ」
僕がそう告げると、あれだけ僕を振り回したみづきがあっさりと頷いた。
「いろいろ付き合わせてごめんなさい。麓でのんびり羽を伸ばしてきてね」
みづきは他人事のような口調で言うと、リビングを出ていった。
「車代は私が払いますから、心配しないで。到着したらここに集合して出発しましょう」
「わかりました。じゃあ、自分の部屋で待機してます」
僕はタクシー会社に電話を始めた泉を残し、リビングを出た。
僕の足が止まったのは、廊下の途中にあるエレベーターホールに差し掛かった時だった。がたんという音と、何かが駆動する機械音が続けざまに聞こえ、僕は反射的に奥のエレベーターに目を向けた。
――家主さんか?でもマーサさんはいないし、一人で降りて来るつもりだろうか?
僕があれこれ思いを巡らせていると、二階を示すランプがふっと消えた。だが、箱が止まる気配はなく、僕は思わず首をひねった。一階のランプが灯って箱が止まるに違いないと思っていたからだ。そのまま耳を澄ませていると、やがてがたんという音がなぜか足元から聞こえた。
――床下?……地下か。
僕は思わず床とエレベーターを交互に見やった。ランプは二階と一階の二つしかない。
しかしエレベーターはランプが消えても動きつづけ、表示のない階で止まった。つまり、この建物には地下一階が存在するのだ。
僕は鼓動が知らず早まるのを意識した。このエレベーターを主に使用しているのは家主だ。しかし今は角館もマーサもいない。つき添いもなく一人で地下に行ったというのか?
音が消えて数秒が経ち、気が付くと僕は箱を一階に呼ぶボタンを押していた。もし箱を呼びだすことができるなら、そのまま地下に行くことも可能なのではないか?
そう思っていると、はたして重いモーター音と共に箱がせりあがってくるのが見えた。僕は左右を見回し、人目がないことを確かめると思い切って箱の中に足を踏み入れた。
この壁のどこかに地下へ行くボタンがあるはずだ、そう思って内部をあらためていると、やがて腰ほどの高さに花の形をした突起が見つかった。
身を屈めて突起に手をかけ、静かに回すと、かちりという手ごたえと共にいきなり箱が降下を始めた。
――動いた……やはり地下室が存在するんだ。
箱は十秒ほど下降し、重々しい音と共に停止した。エレベーターには扉がなく、蛇腹状の柵の向こうに薄暗いホールが透けて見えた。ハンドルを回して柵を開けると、殺風景なホールの様子が露わになった。
コンクリートで塗り固められた狭い空間はいかにも地下室という造りだったが、僕の目を引いたのはホールの左右に設けられた二つの扉だった。
扉は一つが木製、もう一つが金属製だった。僕はとりあえず木でできた方の扉を開け、中の様子をうかがった。驚いたことに、狭いながらもそこにはまともな居住空間があり、椅子や本棚、小さな食事テーブルまでが置かれていた。
部屋の奥にはさらに扉があり、僕が近づくと突然、ドア越しに人のいびきのような音が響き始めた。思わず飛び退った僕はそのまま部屋の中央まで下がり、物音に耳を澄ませた。
――この部屋には人がいたんだ。……しかし、いったい誰が?
僕は緊張を保ったまま、あたりを見回した。するとテーブルの上に置かれた写真立てが目に入った。収められた写真はかなり古いものらしく、退色して全体が滲んだようになっていた。写っているのは父子と思しき二人の人物で、僕は父親の顔を見た瞬間、思わず唸っていた。同じ顔をどこかで見た、そんな気がしたからだった。
――どこで見たんだろう、ええと……
僕が記憶を弄っていると、再びドア越しに大きないびきが聞こえ始めた。まずい、僕は探索を中止すると、慌ててエレベーターホールに引き返した。
いったい、あの扉の向こうには誰がいるのだろう。訝しみつつ、僕はもう一方のドアを開けた。金属がきしむ音と共に現れた風景に、僕は思わず息を呑んだ。何と目の前にはモルタルで覆われた十メートルほどの通路が伸びていたのだった。
――なんだこりゃ。秘密の通路?シェルター?
僕が蛍光灯に照らされた薄暗い通路に足を踏みだしかけた、その時だった。突き当りの扉に据えられた取っ手が僅かに動くのが見えた。僕は弾かれたように身を翻すと、ホールに飛び込み後ろ手でドアを閉めた。僕は間髪を入れず柵の前に戻ると、ハンドルを回して箱の中に飛びこんだ。
ドアの向こうで足音のような物が聞こえ始め、僕は慌てて花型の突起を回そうと手を伸ばした。その瞬間、操作をしていないにも関わらず突然、重い音と共に箱が上昇を始めた。
――なんだ?
僕が狼狽えている間に箱は一階を過ぎ、二階に到着した。柵越しに僕を出迎えたのは、驚いたことに平坂泉だった。
「あー、驚いた。……さすがは秋津先生ね。家主さんたちがいない間にエレベーターを動かすなんて。まさか同じことを考えていたとは思わなかったわ」
泉は笑いながら柵を開けると、僕のいる箱の中にずかずかと乗りこんできた。
「運転手付きの車に乗ってる私でも、さすがに自宅にエレベーターまではなかったわね」
泉はからからと笑いながら、花型の突起には目もくれず一階へ降りるボタンを押した。
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