第21話 庵の女主人は秘密!


「もう一度聞くけど、本当にこれに乗る気かい?」


 僕はみづきに問うと、鬱蒼とした木立の中に向かって伸びているレールに目を遣った。


「大いに本気よ。この前も言ったけど、無理につき合わなくてもいいのよ」


 ここまで付き合わせておいてよく言うよ、そう言いたいのを我慢して僕は「わかったよ、行こう」と言った。


「たぶんこれ、一人乗りよね。悪いけど、荷台の方に乗ってくれる?」


 手摺のついた前部に早々と陣取ったみづきは、後部のコンテナを目で示しながら言った。


「やれやれ、僕は木材扱いか。安全運転で頼むよ」


 僕が資材運搬用のコンテナに手足を縮めて収まると、みづきは「行くわよ」と言ってリフトの作動ボタンを押した。不愛想な警告ブザーに続いて聞こえてきたのは、周囲の緑とは対照的なモーターの駆動音だった。

 がたがたと揺れるコンテナはものの二、三分で止まり、僕らは終点と思しきトタン小屋の前でリフトを降りた。


「やっぱり切った丸太を運ぶためのリフトだったみたいだね。この小屋も炭焼き小屋の跡かなんかじゃないのかな」


「たしかに子供がわざわざやってきて遊ぶような場所には見えないわね。拍子抜けだわ」


 何を期待していたのか、トタン小屋とコンテナを交互に見てみづきはため息をついた。


「冒険は空振りってわけだ。どうりでミドリが「なにもない」と言うはずだよ」


「……ミドリ?」


「あ、いや。ちょっと間違えた。ミス・ビリジアンが……」


 そう言いかけてふと、木立の奥に奇妙なものが見えた気がして僕は押し黙った。


「ミス・ビリジアンがどうかしたの?」


「待ってくれ、小屋の脇から伸びてる獣道の先に何か見えないか」


「何かって……あっ、あの『柵』のこと?」


 細い踏み付け道の奥に目をやったみづきはそう叫ぶと、同意を求めるように僕を見た。


「うん。よく見ると建物の一部みたいなものも見えるよ。行ってみよう」


 僕らは意を決すると、うっそうと茂った樹木の間からのぞく門扉のようなものに近づいていった。手前まで近づくと僕らが見たものは果たして鉄柵に囲まれたアトリウムのような建物だった。僕がおそるおそる鉄の門を押し開くと、錆びたような軋み音と共に門が開き、ビニールハウスほどの小さな庵が姿を現した。


「なんだこれ……温室かな」


「そうね。きのこかなんかを作ってるハウスじゃないかしら」


 すっかり警戒心の麻痺した僕らは、建物に取り付けられたアルミ製の扉に手をかけた。


「お邪魔……あっ」


 中に一歩足を踏み入れた僕は、予想外の光景に一瞬、言葉を失った。

 てっきり朽ち果てているものとばかり思っていた内部は整然と片付いており、巨大な天窓から降り注ぐ日差しを浴びて、観葉植物がみずみずしい輝きを放っていた。


「ここは……」


 さらに奥へ進みかけた僕は、奥の暗がりから現れた人影に目を奪われた。杖をつき、片方の足を引きずりながら近づいてきたのは品のよさそうな初老の女性だった。


「おや、新しいお客様ね。『夏草宮』へようこそ」


 女性は眼鏡の奥の目を細めると、小柄な体にも関わらず威厳に満ちた口調で言った。


「あの、すみません。てっきり無人だと思ったもので。僕らはこの下の『宵闇亭』に泊まっている者なんですが、放置されているリフトで登ってみたらここが目に入って……」


「そうなの。ここは私一人だから、中を見に来る方は大歓迎。今、お茶を入れるからその辺の椅子に腰かけててくださいな」


 予想外の歓迎を受け、僕とみづきはあっけにとられつつ、言われるまま腰を落ち着けた。


「なんだろう『夏草宮』って。家主さんもマーサさんもこんな場所があるなんて言わなかったけど、あの人もやっぱりお屋敷の関係者なのかな」


「家主さんの妹さんかしらね。だとすれば、家主さんのお孫さんが遊びに来ても不思議はないわ」


 僕はうなった。水道などがどうなっているのか一見不明だが、ここで生活しているとしたらよほどの変わり者に違いない。


「花くらいしか見るものはないけど、ゆっくりしていってくださいな」


 女性はそう言うと、僕らに紅茶を振る舞った。どうやら奥の方に煮炊きをするスペースがあるようだ。


「実は昨日、ここに子供が上がってくるのを見かけたんですが、ご存知ですか」


「ええ、ヒーちゃんとミイちゃんが来ましたよ。すぐ角舘さんが迎えにきましたけど」


 僕ははっとした。ヒーちゃんは日名子、そしてミイちゃんはおそらくミドリのことだ。


「あなたはここで何をされてるんですか?」


「花を育てたり、奥の工房で染め物をしたりしてるわ。あとは日向ぼっこかしらね」


「染め物……ですか。素敵ですね」


 みづきが周囲の花を眺めながらうっとりした表情で言うと、女性は「私が身につけている物は、みんな自分で染めてるの」と言って青いショールの端をつまんでみせた。


「そうだ、染めたばかりの布があるから、見せてあげましょうか、どうぞこちらへ……」


 そう言って立ちあがった途端、女性の動きがスイッチを切られたかのように止まった。


「……どうかしましたか?」


 僕が尋ねると女性はゆっくりと頭を巡らせ、それから僕らを見て怪訝そうに眉を顰めた。


「……あなたたち、いつの間にお入りになったの?」


「えっ」


「お花を盗みに来たのかしら。まだお若いのに、油断がならないこと。出てお行きなさい」


 まるで別人のような女性の変貌ぶりに、僕らは一言も返すことなく建物を飛び出した。逃げるようにリフト小屋まで戻った僕らは、肩を喘がせながら互いに顔を見あわせた。


「いったいどうしたんだろう。まるで違う人になったみたいだ」


「もしかしたら、頭に何か障害があるのかもしれないわ。あそこで暮らしているのも、そのことと何か関係があるのかも」


「つまり『夏草宮』はあの女の人のために造られた建物だって事?」


「そう言う可能性も捨てきれないわね」


「……とにかくいったん戻ろう。これ以上留まっていてもいいことはなさそうだ」


 僕がそう言い放つと、みづきは頷いてリフトの方に移動を始めた。


「あの女の人にあったことは、当分、みんなには言わない方がいいわね」


 僕がコンテナに乗り込んだのを確かめたみづきが、重い口調で言った。


「僕もそう思う。僕らに『夏草宮』のことを言わなかったのは、きっと何かあるからだ」


 みづきは「でしょうね」と短く返すと、リフトを動かすためのボタンに指をかけた。

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