第13話 鍵穴の向こう側は秘密!


「秋津先生、お休みのところすみません。ちょっといいですか」


 性急なノックの音に続いて聞こえてきたのは、西方の声だった。


「どうかしましたか、西方先生」


 慌てて部屋着をひっかけ、ドアを開けると緊張した面持ちの西方が目の前に立っていた。


「こんな時間にすみません、実は先ほど、自分の部屋で休んでいたら真上から女性の悲鳴のような物が聞こえたのです。気のせいかなとも思ったのですが、万が一、事件だったらと思うとじっとしていられなくなって……秋津先生、一緒に二階に行ってもらえませんか」


 真顔で訴える西方に、僕は一も二もなく頷いた。本当なら放ってはおけない。


「本来なら角舘さんにお願いするところですが何分、いらっしゃらないので……」


「わかりました。僕で良ければ」


 僕は部屋のドアを施錠すると、西方と共に階段を上がっていった。ホールに足を踏み入れたところで、ドアを続けてノックする音とマーサの物らしい声とが聞こえてきた。


「もしもし迷谷さん、大丈夫ですか?」


 マーサがノックしているのは、どうやらみづきの部屋のドアらしかった。一体何があったのだろう。僕らが近づくと、マーサはノックをやめて訝し気な顔をこちらに向けた。


「どうかしましたか、マーサさん」


「……あ、すみません。こんな時間にお騒がせしてしまって」


「いえ、僕らこそ勝手に二階に上がってしまってすみません。ちょうど僕の部屋の真上から悲鳴のような音が聞こえてきたもので」


 西方はそう言うと、自分の足元に目線を落とした。もしかすると西方の部屋はこの真下なのかもしれない。


「私も隣の部屋から叫び後のような物が聞こえた気がして、先ほどからお呼びしているのですが、いっこうにお返事をされる気配がなくて……」


 困惑顔のままドアを見つめているマーサに、西方は「合鍵はないのですか」と尋ねた。


「ないことはないのですが、角舘の部屋なのでわざわざ取りに行くのは大げさかと……」


「持ってきてください。失礼する形にはなりますが、万が一、迷谷さんの身に何か起きていたらそれこそ大事になります」


「――わかりました。……少々、お待ちください」


 マーサはそう言い置くと、僕らを残して階下へと去っていった。マーサがマスターキーを持って戻ってきたのは、西方がドアに向かって二度目の呼びかけを行った直後だった。


「……迷谷さん、お返事がないようですから開けますよ、よろしいですか」


 呼びかけに反応がないことを確かめると、マーサは意を決したようにドアを解錠した。


「……あっ」


 開け放たれたドアの奥で僕らを待ち受けていたのは、異様な風景だった。


 部屋の真ん中にパジャマ姿のみづきが俯せで倒れており、開いた窓から吹き込む風でカーテンがはためいていた。


「迷谷さん……」


 僕と西方が駆け寄って抱き起こすと、みづきはううんと唸って目をうっすらと開けた。


「人が……」


「人が?人がどうしたんだ迷谷さん。まさかあの窓から誰かが入ってきたとでも?」


 西方はそう言うとみづきを僕に任せ、窓に歩み寄った。しばらく外の様子を見つめていた西方は、無言で戻ってくると「駄目だ、良く見えない」と頭を振った。


「秋津さん、あなたの目で見てみてくれませんか。僕はあまり夜目が効かないんです」


「わかりました。迷谷さんをお願いします」


 僕は西方と役割を交代すると、窓の前に立った。外の闇に目を凝らすと、月明かりに照らされた周囲の風景がぼんやりと見えた。そのまま見続けていると、やがて畑の向こうの小道に小さな影が動いていることに気づいた。


 ――まさか、こんな時間に子供?


 僕が正体を見極めようと窓から身を乗り出すと、影は闇に溶けるようにふっと視界から姿を消した。何かの見間違いだろうか、そんな風に思いかけた、その時だった。


「――誰だっ」


 ふいに背後で西方の声がした。振り返った僕の目に一瞬、ドアから外へと飛びだしてゆく人影らしきものが見えた。


「……西方さん、今のは?」


「わかりません。追いかけてみます。……秋津先生、迷谷さんをお願いします」


 西方は早口でそう告げると、身を翻してドアの外へ飛びだしていった。


「……僕も様子を見てくる。窓を閉めて、何かあったら大声でマーサさんを呼ぶんだ、いいね?」


 僕が柔らかく釘を刺すと、みづきは「大丈夫、私も行くわ。ちょっと待ってて」と返した。僕がドアの外で待っていると、やがて部屋着にカーディガンを引っ掛けたみづきが姿を現した。


「お待たせ。とりあえずリビングに降りてみましょう」


 階段を降りてリビングに移動すると、この騒動で起きてきたのか草野と弓彦が緊張した面持ちで僕らを出迎えた。


「西方さんは?」


 僕が尋ねると、弓彦が玄関に通じるドアを一瞥して「外に出て行ったきりだ」と言った。


「みなさんは、侵入者の姿を見たんですか?」


 僕が尋ねると、二人は代わる代わる首を横に振った。


「僕が玄関ホールを覗くのと、西方先生が出ていくのがほぼ同時だった。……いったい、なにがあったんです?」


 弓彦の問いに、僕はみづきの部屋で侵入者らしき人影を見たことをかいつまんで話した。


「私、窓にちゃんと鍵をかけたはずなんだけど、目が覚めたら部屋に誰かがいて……」


 みづきは恐怖の瞬間が甦ったのか、両腕を掻き抱くと身体をぶるっと震わせた。


「……みなさん、どうかしましたか」


 僕らが顔を突き合わせて思案しているところへ、都竹と安藤が相次いで姿を見せた。


 僕らが事情を説明すると安藤は「侵入者……」と言ったきり絶句した。


「わかりました。我々が外の様子を見てきます。みなさんは一旦、お部屋にお戻り下さい」


 都竹が言うと草野が「いや、我々もここで待っています。このまま部屋に戻っても首尾が気になって眠れませんからね」と言って同意を促すかのように僕らの方を見た。


「そうですか。ではしばらくここでお待ちください」


 都竹と安藤は、僕らをリビングに残すと玄関から外へ出ていった。三十分ほど経って僕らが代わる代わる時計に目をやり始めた頃、目に憔悴の色を浮かべた二人が姿を現した。


「駄目です。敷地の中にはいないようです……このまま朝になっても戻られないようなら、警察の手を借りましょう」


「でも、戻ってきた場合に備えて玄関の鍵を開けておくとしたら、奥に下がっているのは不用心じゃないですか」


 僕が言うと、草野が「私がここで起きてますよ」と言った。


「ちょうど目がさえてしまったところだ。小説のアイディアでも練ることにします」


「僕もお付き合いしますよ。仕事柄、夜更かしには慣れてますからね」


 草野の提案に、弓彦も調子を合わせた。


「私も起きてるわ。部屋に戻っても怖くて眠れそうにないもの」


 みづきがそう言い、僕も流れに呑まれるように「僕も皆さんと起きています」と言った。


「わかりました。何かあったらすぐ我々を起こしてください。では」


 安藤たちが部屋に下がった後、僕らは交代で仮眠を取りながら朝までの時間を過ごした。


 やがて空が明るみ始め、リビングに姿を現したマーサに最後まで起きていた弓彦がこう切りだした。


「――残念ながら見てのとおりです。一晩中、ここで待っていましたが、西方さんは戻ってこられませんでした」


「――まあ、何てことでしょう」


「明るくなったことですし、朝食が済んだらみんなで手分けして探してみることにしましょう。それで見つからないようなら――残念ですが、警察の力を借りるしかありません」


 弓彦の言葉にマーサは絶句し、僕らもそれ以上、できそうなことは思いつかなかった。


 僕は予想外の展開に、目を閉じて天を仰いだ。頭がくらくらするのは寝不足のせいばかりではなかった。一日目にして、早くも一人の招待客がどこかに消え失せてしまったのだ。


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