第14話 ニューフェイスの正体は、秘密!
「わあ、このトマトとズッキーニ、味が濃いわ。やはり獲れたては違うわね」
ベーコンエッグに添られた野菜を頬張るなり、泉が大げさな賛辞を口にした。
「確かにおいしい朝食ですが、これからのことを思うといまひとつ食が進みませんな」
草野が明らかに寝不足とわかる顔でぼやくと、弓彦も「そうですよね」と同意した。
僕も実のところ同じ気分だった。なにしろ昨日まで一緒だった客の一人が、最初の朝食であるにもかかわらずテーブルにいないのだ。
「ねえ、昨日の「不審者」だけど……」
眠気覚ましに深煎りのコーヒーを啜っていると、みづきが耳元で囁いた。
「私、本当に寝る前に窓とドアに施錠したのよ。なのにあの人が部屋にいた。……秋津先生はどう考える?」
僕は一瞬、沈黙した。考えられることは一つだが、それを口にするのは気味が悪かった。
「……君が部屋に戻る前に侵入し、それから物陰で何時間も息をひそめていた……か?」
「でも、屋敷にはマーサさんもいたし、家主さんもいたわ。誰にも見つからずに侵入できたとは思えないのよ」
僕はううむ、と唸った。降参したわけではないが、そうなると答えは二つに一つだ。
「僕らや屋敷の住人に見つからずに部屋に潜む方法は、限られてる。一つはどこかに僕らの知らない侵入ルートがある。もう一つは……」
「私たちがこの御屋敷に来る前から中に隠れていた……でしょ?」
僕は頷いた。どちらにせよ、ホラーめいた話であまり想像したくはなかった。
「西方先生、無事でいるといいんだけど……」
みづきの言葉に僕は「そう祈るしかないよ」と短く返した。逃げだした賊を追ったはいいが、思わぬ反撃にあって負傷していないとも限らない。
本来なら呑気に朝食など摂っている場合ではないのだが……僕が憂鬱な気分でコーヒーを口にしかけた、その時だった。
「お食事中、失礼します」
突然、声と共に食堂のドアが開けられ、車いすに乗った富士子とマーサが姿を現した。
「お寛ぎのところすみませんが、奥様から皆さんに、お伝えしたいことがあるそうです」
マーサがそう告げると一斉に食事の手が止まり、全員の視線が富士子へと向けられた。
「実は角舘が昨日、不注意から怪我を負ってしまいました。勤務を続けることも検討しましたが、お世話が行き届かなくなっては困るので急遽、後任を据えることに決めました」
家主からの唐突な発表に食堂は一瞬、水を打ったように静まり返った。
「では当面の間、皆さんのお世話に従事する新しい方を紹介します。……マーサ、お願い」
「かしこまりました。……どうぞお入りください」
マーサがドア越しに声をかけると、細目に開けられたドアから小さな人影が姿を見せた。
「――ええっ?」
人物が僕らの前に姿を現した瞬間、食堂に会した面々から驚きの声が上がった。マーサに促されて食堂に入ってきたのは、どう見ても小学生としか思えない女の子だったのだ。
――やっぱりあの子か!……しかしなぜここに?
僕は他の招待客とは異なる驚きに打ちのめされていた。大きな眼鏡をかけたおかっぱの少女は、僕が良く知っている人物だったのだ。
「紹介します。今日から五日間、皆さんのお世話をする執事『ミス・ビリジアン』です」
「ミス・ビリジアン?」
僕は立て続けにもたらされたショッキングな情報に、めまいを覚えていた。僕が知っている少女――通称『ミドリ』は、いつも緑色のジャージ姿で過ごしていた。だが、目の前の『ミス・ビリジアン』は子供サイズのモーニングに蝶ネクタイというどうみても学芸会の執事役以上には見えない姿だったのだ。
「あのう……本当にその小さな子が執事なんですか?」
さすがに質さずにはいられなかったのだろう、泉が眼をしばたたきながら問いを放った。
「もちろんです。皆さんにはただの子供に見えるでしょうが、彼女の能力は大人以上です」
富士子は有無を言わせぬ口調でそう断ずると、少女に自己紹介するよう、促した。
「みなさん初めまして。今日から当館の執事役を仰せつかいました、ビリジアンです。何かお困りのことがございましたら、遠慮なく申しつけ下さい」
遠慮なくって……それは無理というものだろう。周囲を見回すと、全員が当惑の表情を浮かべていた。それにしてもなぜ、彼女はビリジアンなどという滑稽な通り名を使っているのだろう?
僕は試しにミス・ビリジアンを凝視してみた。彼女が僕の知っている『ミドリ』なら、何らかの反応があってしかるべきだ。
……しかしミス・ビリジアンは僕の視線にも一切、動じる様子はなかった。よもや他人の空似と思いかけた時、隣でみづきがぼそりと呟いた。
「あんな小さな子に執事を務めさせるなんて家主さん、一体何を考えているのかしら」
「さあ、何かきっと考えがあるんだろう。とにかくしばらく様子を見るしかなさそうだ」
みづきと無難なやり取りを交わしつつ、僕は彼女がもし『ミドリ』なら、執事くらいはやすやすと務めてしまうに違いないと思っていた。
「それでは、私はこれで。お食事の続きをお楽しみください」
そう言って踵を返そうとする少女の眼差しと、追いかける僕のそれとが一瞬、空中でぶつかった。大きな眼鏡の奥でわずかに揺れた瞳を見た僕は、なぜか安堵感を覚えていた。
――間違いない。あれは僕の知っている『ミドリ』と同一人物だ。
なぜこんな場所であのような酔狂な仕事をしているのか、そのことは別として――だ。
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