第3話 二枚目作家の企みは秘密!


 軽トラックが停まったのは、山肌を切り崩した平地の入り口だった。


 蛇のようにうねる未舗装の道を十分ほど登ると、鬱蒼とした木立に覆われていた視界が嘘のように開けて地上と変わらぬ宅地がいきなり現れたのだった。


「すごい、こんな山の中腹に家が……」


 広大な畑地とその奥に見える巨大な古民家に僕が思わず声を上げると、ハンドルを握っていた男性が「隠れ家みたいだろ?だから『別荘』って呼ばれてるのさ」と言った。


 僕らは男性に礼を述べると、トラックを降りて畦道を民家の方へ歩き始めた。


「ここってもう、私有地の中なのかな」


 僕が懸念を口にすると、みづきは「だとしても仕方ないわ。柵で囲っていないんですもの」と鼻歌でも歌うように言った。


 両側の畑に整然と植わっている植物はところどころに小さな花をつけていて美しかったが、何なのかは皆目わからなかった。


「見て、端から端まで全部繋がってるわ。どんな人が住んでるのかしら」


 畑が途切れたところで僕らは足を止め、アプローチを挟んで奥に立つ巨大民家を眺めた。


「真ん中の母屋を中心に、何かの思惑でどんどん「離れ」を継ぎ足していったみたいだね」


 年月を経た洋風のモルタル住宅と、そこから渡り廊下で繋がれたいくつもの別棟が醸し出すシルエットに、僕は何ともいえない威圧感を覚えた。


「誰も外に出てないし、このまま玄関まで行きましょう」


 みづきがそう言い、僕らは「別荘」としては質素な正面玄関に足を運んだ。みづきがカバーの退色したインターフォンを鳴らすと、しばらくして「はい」と女性の声が応じた。


「すみません、神谷郷先生のお招きで参上した迷谷と申しますが」


 みづきはマイクに向かって、招待されたことを強調するかのように声を張り上げた。


「――ああ、はい、承知いたしました。しばしお待ちください」


 声が引っ込むと、しばらくして引き戸を解錠する音と共に一人の女性が顔を出した。


「遠いところをようこそおいで下さいました。迷谷様と、ええと……」


「秋津俊介といいます。童話作家です」


「秋津様ですね。どうぞ中へお入りください」


 薦められるまま屋内へ足を踏み入れた僕らは、女性が背を向けた途端、顔を見あわせた。


 古民家という先入観から和装姿の人物が現れるのかと思っていたら、案に相違して現れた女性はなんと、西洋風のメイドの装いだった。


「驚いたな。この家じゃ代々、使用人は西洋風なのか、それとも……」


 上がり框に立ったまま僕が口ごもると、靴をそろえたみづきが「主の趣味か、でしょ?」と楽しくてたまらないといった表情で言った。


「どうぞこちらにいらしてください」


 メイドはそう言うと、僕らを細く長い廊下の突き当りへと導いた。


「こういっては失礼だけど、なんだか怪しい雰囲気よね」


 みづきは廊下がきしむ音に紛れさせ、そっと囁いた。確かにメイドが醸し出す奇妙な印象は、服装にとどまらなかった。外国人のようにも見える風貌も妙に人工物めいていて、年齢がいくつなのかもわからなかった。


「他のお客様がおいでになるまで、こちらでお寛ぎ下さい」


 事務的な言葉と共に通されたのは、外観からは想像もつかない本格的な洋間だった。


「なんだか映画のセットみたい」


 みづきが日本の住宅としては高い天井と、ビロード張りのクラシックな調度を見て声を上げた。確かに不自然さも含め、推理ドラマによく出来るような間取りだ。黒ずんだ板張りの床には年代物のアラビア絨毯が敷かれ、応接セットの背後には本物かどうか疑わしい巨大な暖炉が控えていた。


「申し遅れましたが、私はこの屋敷のメイドでマーサと言います。どうぞよろしく」


 マーサは名乗り終えると、三つある扉の一つから外へと姿を消した。僕らは重厚な手摺がついたソファーの上で顔を見あわせ、盛大に息を吐き出した。


「やれやれ、単なる合宿にしては雰囲気出し過ぎじゃないかな。この調子だと着物姿の名探偵が出てきかねないぞ」


「ただの保養所じゃないことは確かね。……でもこのくらいはやってもらわないと、一週間で神谷先生を唸らせる短編は書けないわ」


 そうだった、と僕は頭から追い出しかけていた本来の目的をあらためて反芻した。


「それにしても不思議な建物だよ。ツモト製薬が買い取る前は地元の人が住んでいたって言うけど、こんなにたくさんの別棟をつないで何の意味があるんだろう」


「もしかしたらある種の『ウィンチェスター屋敷』なのかもね」


「なんだい、それ」


「銃の製造で財を成した一族の御屋敷よ。銃で犠牲になった人の霊が出るっていうんで、主のお婆さんが幽霊を中で迷わせるために増築し続けたそうよ」


「脅かすのはやめてくれよ、ホラーは得意じゃないんだ」


 僕がソファーの上で両腕を掻き抱いた、その時だった。ふいに玄関側の扉が開いて、一人の男性が姿を現した。


「――なんだ、先客がいたのか。てっきり一番乗りだと思っていたのに」


 良く通る声でそう言い放ったのは背の高い、目鼻立ちのすっきりした男性だった。


「あの……ええと」


 自己紹介をすべきか僕が逡巡していると、みづきが突然「マーサさん、お客様がいらしてますよ。……作家の神楽弓彦先生!」と叫んだ。僕ははっとして、改めて目の前の男性を見やった。


 僕と同世代と思しきその男性は、不敵な笑みを浮かべたまま、勝手知ったる我が家のように手近な椅子を引き寄せると、どっかと腰を下ろした。


「あなたが神楽弓彦……」


 僕がそう漏らすと、男性は「そうですが、あなたは?」と探るような眼差しをこちらに向けた。


「あ、失礼しました。僕は秋津俊介っていう童話作家で、神谷先生の御誘いでこちらにうかがいました」


「私は常葉みづきって言います。秋津さんと同じく物書きで、ペンネームは迷谷彩人です」


 僕に続けてみづきが名乗ると、弓彦は「ほう」と叫んで目を丸くした。


「あなたがあの、迷谷彩人……そうか、女性だったとはね。なるほど、これは愉快な合宿になりそうだ」


 弓彦が含み笑いをすると、マーサが再び姿を現した。マーサは我が物顔でくつろいでいる弓彦を目の当たりにすると「まあ、呼び鈴も鳴らさずに……お行儀が悪いですわ先生」と言った。


「ごめんごめん、あまりに不用心だったんで、ちょいとばかし驚かせてやろうと思ったのさ。先生が来たら改めてお詫びするよ」


 弓彦は悪びれる様子もなくそう言い放つと、椅子の背にもたれかかった。僕は新たな招待客の登場に内心、穏やかならぬものを感じていた。この神楽弓彦という作家は、僕が狙っていたある賞を、僕の自信作を佳作に追いやって見事にかっさらっていった心のライバルなのだ。


「……で?あと何人くらい来ればご挨拶が始まるんだい、今日の催しは」


 弓彦のぶしつけな問いに、マーサは端正な顔を崩すことなく「三名でございます」と言った。


「全部で六人か……なるほど、こいつは面白い。ただの合宿じゃあなさそうだ」


 弓彦の意味ありげな呟きに、僕は胸中に渦巻く怪しい予感が再び波立つのを感じた。


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