第2話 覆面作家の名前は秘密!
生来が引っ込み思案の僕にとって合宿は必ずしも気のりするものではなかったが、編集者から離れて田舎で思い切り息をしてみたいという欲求が出不精の僕を動かしたのだった。
※
「じゃああなたも神谷先生のご指名で?」
「……ええ、まあそんなところです」
僕が『宵闇亭』に招待された小説家と知った女性は、自分も物書きなのだと口にした。
「良かった、駅に着いたのはいいけれど、さっぱり人影を見なくて途方に暮れていたの。ここで『お仲間』に会えたのはラッキーだったわ」
女性は目を輝かせてそう言うと、「なんていうお名前で書いてらっしゃるの?」と尋ねた。
「秋津俊介です。まだ二作しか世に出してませんが」
僕は女性に名乗ると、自作の題名を口にした。女性は一瞬、沈黙すると記憶を弄るように宙を見つめた。やはり知らないか――。僕は少なからずがっかりするとともに、無理もないなと思った。
「ええと……あっ、わかったわ。怪獣が出てくるお話ね?」
「そうです、それです。……良かった、自分で説明しなくちゃいけないのかとドキドキしました」
僕はそう返すと、興奮と安堵の混じった息を吐き出した。
「あの中に、大きな眼鏡をかけた女の子のお人形が出てくるでしょ?私、あの子が大好きなの」
僕は頷きつつ、内心では驚いていた。ここでもあの子は不思議な力を発揮している――。
「一応、実在のモデルがいるんですけどね。まあ、変わった子ですよ」
僕はジャージ姿の女の子を思い出しながら、そう言った。女性作家の心を捉えた少女、通称『ミドリ』は確かに人を惹きつける「なにか」を持った子だった。
「私、常葉みづきって言います。……と言ってもわからないと思うけど」
女性はそう言うと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……すみません、存じ上げなくて。どんな作品を書いてらっしゃるんですか?」
僕が尋ねると、女性は笑いを堪えながら「知らなくて当たり前だわ。……だって、小説を執筆するときは私、別の名前で書いているんですもの」と言った。
「あ、そうだったんですか。じゃあペンネームの方を教えていただけますか」
「私が物を作る時の名前はね、『迷谷彩人』っていうの」
女性がペンネームを口にした瞬間、僕ははっとした。迷谷彩人と言えばロボットのプラモデルや美少女フィギュアを写真に撮り、男性同士の恋愛やサイコホラーを描くマニアックな作家ではないか。作風から男性だとばかり思いこんでいたが、まさかこんな可愛らしい女性だったとは。
「驚いたなあ……迷谷彩人が女性だったとは」
「うふふ、必ずそう言われるのよね。でも私にしてみれば創作は本当の自分をさらけ出す行為。作品のイメージイコール私だと思ってくれればいいわ」
常葉みづきのあっけらかんとした明るさに気圧されながら、僕はこういう女性もいるのだな、と新鮮な驚きを覚えた。
「ところで『宵闇亭』にはどうやって行きます?僕も正直、手詰まりで途方に暮れてたところなんです」
「車がないならとりあず路線バスを利用するしかないわね。麓までは行くんでしょ?あとはついてから考えればいいわ。どうしても車の都合がつかなかったら歩けばいいのよ」
方法を決めあぐねて悶々としている僕を尻目に、みづきはけろりとした顔で言い放った。
※
「終点、月景山――」
アナウンスの言葉を何度も確かめた末に降り立った場所は、文字通り小高い山に抱かれたのどかな集落だった。
僕とみづきは古い家屋と小奇麗な二世帯住宅が両側にぽつぽつと並ぶ道路を、当てもなく歩き始めた。若い人の姿はなく、人影といえば畑の中で腰を折って何かの収穫をしている高齢者ぐらいのものだった。
「あのお、すみませーん」
農作業中の人影にみづきがガードレール越しに呼びかけると、手拭いで頬かむりをした女性が顔を上げてこちらを見た。
「ここから山の方へ行きたいんですけど、タクシーを拾えそうな場所ってありますかあ?」
唐突な問いに面喰ったのか、女性は僕とみづきを交互に見ると、鎌を携えたままゆっくりと近づいてきた。
「あんたたち、写真を撮りに来たのかい?」
女性の放った言葉に僕は一瞬、考えを巡らせた後、ははあと頷いた。ネットに上げるための写真を撮りに来る連中が少なからずいるのだろう。
「いえ、実は山の方にある『宵闇亭』という建物にある人から招待を受けていまして」
「招待……?」
怪訝そうな表情を浮かべる女性に、みづきが携帯の画面を見せた。おそらく招待メールに添付されていた目的地の写真だろう。
「――ああ、『ツモトの別荘』ね。あそこに行くのかい」
「ツモトの別荘?」
「元は阿古根さんっていう人の持ち物だったんだけど、一家で村を出ちゃったのさ。その後、ツモトっていう会社が保養地代わりに買い取ったって話だよ。今は村長の親戚が管理しているんじゃないかな……ちょっと待っててね。詳しい人を呼んでくるわ」
そういうと女性は僕たちに背を向け、奥まった場所に建っている家の方に移動した。女性がドア越しに大きな声で呼びかけると、住民らしい頭頂部の禿げ上がった男性が顔を見せた。女性が僕らの方を見ながら二言三言、話すと男性の口が「ああ」という形に開いた。
やがて男性はゆっくりと僕らの方にやってくると、ガードレール越しに「ツモトの別荘に行きなさる?車に乗らんと一時間はかかるで」と言った。
「一時間、ですか?」
僕らがにわかに不安げな顔をしたのを読み取ったのか、男性は「玄関までは無理だけど、近くまで送ってやろうか?」と言った。
「いいんですか?」
「ああ、二人なら何とかトラックに乗せられんこともないじゃろう……ちょっと待っとれ」
男性はそう言って手拭いで首の汗を拭うと、母屋の方に引き返していった。最初に声をかけた女性に礼を述べて待っていると、みづきがふいに耳元で囁いた。
「ね、知ってる?ツモトって多分、あのツモト製薬のことよ」
「どうしてわかるんだい」
みづきの自信たっぷりな物言いに、僕は思わず問いを放っていた。ツモト製薬といえば、漢方薬を用いた風邪薬や、スポーツドリンクなどで有名な製薬メーカーだ。
「神谷郷先生って、ツモト製薬の社長の息子さんなんだって」
僕は口をあんぐりとさせたまま、好奇心に目を輝かせている美月を見返した。
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