第2話
八並修は身体の震えを懸命に抑えようとした。しかし、震えは段々激しくなり、修はしゃがみ込み、膝を着いた。
冷たい、病室の床がである。
(あいつは・・・死んだのか!)
修は顔を窓に向けた。
(いたい!)
朝の陽光は、彼の目に差し込んで来た。修は目を押さえた。
「あいつは・・・死んでいい。生きている価値はない。その方が、あいつにとっても幸せにちがいない。だが・・・」
だが、修には、その確信がなかった。ずっと心の奥底にこびりつき、消え去ることはなかった。
秀雄の死んだ姿を、彼自身確認したわけではない。
あいつは、俺の鎌から逃げた。
俺は追わなかった。
(あの顔の傷なら・・・)
多量の血が顔から噴き出て、その血は顔中を覆っていた。しかし、目だけは、俺を睨み付けていた。今にも俺に突っ掛かって来そうな目だった。
その男・・・秀雄は生きていた。
名を、亀屋秀雄。
「俺は死ななかった。絶対に死ぬものか・・・死ななかったのだ」
秀雄は両手で顔を恐る恐るゆっくりと撫でた。ゴツゴツとしていて、不快だった。撫でた手を見ると、真っ赤な血が、ぬるっ、と粘り付いていた。
「ああ・・・」
痛い。もはや、快感に近い痛みだった。
彼は鏡の前に立った。彼は自分の顔を、ここ何年見たことがなかった。
その瞬間
秀雄は、奇声を上げた。言葉にならない悲鳴だった。裂けた肉片の中に真っ白いものが光って見える。骨・・・か。
「ふふっ!」
彼は苦笑した。骨が、こんなに美しい輝きを呈するものなのか。
だが、その後、彼は意外と冷静だった。
「何とかしなくてはいけない。でないと、俺は道を歩けない。それは・・・いやだ。こんな嫌われ者だが、いやだ。だが・・・」
秀雄はすぐに現実を認識するしかない。このような体になってしまった現実を。
「この顔中の深い傷は消えるのか・・・」
彼は言葉に詰まった。
「直るのか、この傷・・・」
「誰なら直せる・・・」
「誰だ?」
「い・・・医者しかない」
この結論に達するのに、そんなに時間は掛からなかった。
しかし、何処の医者に行ったらいいのか・・・秀雄は必死に考えた。一刻も早く医者に行かなければ、出血が酷く・・・場合によっては本当に死んでしまう可能性があつた。
秀雄は自分の家に帰って来ていて、押し入れの中でひっそりと横たわった。
血はまだ止まらない。時間の経過が分からない。
「医者・・・か」
どうすればいい。
その前に・・・やっておかなければならないことがある。かれの眼光が鋭く光った。
ここは、彼の家だが、このままずっとここに隠れているわけにはいかない。
「俺の身代わりを見つけなければならない。でないと、俺は医者を探しに行けない。このままでは俺は死んでしまう。何処へも行けない」
それは・・・いやだ。ここの奴らに復讐してやる,俺を馬鹿にした奴らに、俺が味わった苦しみ以上の屈辱を与えてやる。
「そうだ。あいつがいい。あいつを呼び出し、俺の身代わりにしてやる。俺は死なない。死んで堪るか」
秀雄は口を歪めた。顔中の傷がヒリヒリ痛む。
「そうだ。あの医者がいい。俺とは相性が悪いが、俺はあいつの弱点を握っている。そうだ、あいつがいい。すぐに、行かなくては。だが、その前に。この顔では外を歩けない」
どうしたらいい・・・考えた。町内にある本里神社で、毎年夏まつりがあり、その時に秀雄はウサギの面を買ったことを思い出した。
「これでいい」
顔の出血は止まっていた。暖かくない程度に湯を沸かし、タオルでゆっくりと拭いた。
(夜・・・それでは遅い。もう少し暗くなってから、このウサギの面をつけて行けばいい)
「慌てなくていい、こうなったら、じっくり作戦を練るとしよう」
秀雄は笑おうとしたが、思うように顔の肉が動かなかった。
その一か月後、本里の入り口にある寄合橋の下で、一人の遺体が見つかった。すぐに警察に知らせられた。
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