第2話 なぐさめるならパリで。2

薄暗い木製の階段を上がったところに陸のフラットはあった。陸が扉を開けようとすると、長くゆるいパーマのかかったボサボサ頭の金髪女が出て来て、すごい剣幕でフランス語でまくしたてた。陸は面倒臭そうに、そっぽを向きながら早口で一言二言返事をすると、彼女を押しのけるようにして部屋に入った。千紗はドタドタと大きな音を立てて階段を降りていく女を横目で見た。

「あれ、同居人なんだ。気が合わないから、マシな部屋を見つけたら引っ越そうと思ってる。」

ドライフラワーやパスタが雑然と並べられた小さなキッチンを通り過ぎて、陸は逃げこむように自分の部屋に千紗を誘導した。陸の部屋は薄暗く、机もベッドも何一つ無い。ただ、古びたフローリングの床に雑然と鉛筆、カメラ、パソコン、丸く切り出された木の板、巨大な発砲スチロール、撮影用ライト、段ボール箱、三脚などが散らばっている。千紗はキョロキョロと生活感が皆無な物置のような部屋を眺めた。

「陸君、どこで寝てるの?」

カーテンの無い窓から、薄暗い曇り空を覗きながら千紗は言った。

「んー。その辺?」

陸は窓際の帽子掛けに古びたマフラーとニット帽を引っ掛けた。髪の毛をボサボサといじりながら、陸はクローゼットからヨレヨレのパンフレットを取り出すと、

「これ、僕、子供の頃は洋服のモデルとかやってたんだよね。」

と言って、ポイと床に投げ捨てて深いため息をついた。

「先週、電話があったんだ。私、結婚したから、もう会えないからね、って。」

千紗は窓辺に腰掛けて腕組みをした。

「いつも、あの人は街で一番高いホテルとかに泊まっていて、パリに来ると僕が会いに行ってた。だから、この部屋は女の子とか連れて来た事無くて。10ヶ国語くらい喋れてさ、すごい良い所のお嬢様で、大学時代から僕はずっと彼女のボーイフレンドだと思っていたんだけどな。突然、どこかの社長だか外交官だかと結婚しました、だって。」

陸は背中を丸めて薄暗い壁際に体育座りをしている。長い前髪がうつむいた顔を隠している。泣いてるのかな、千紗は思い、陸の前に屈み込むと前髪を持ち上げて覗き込んだ。

「大丈夫?」

千紗は両手で、下を向いたままの陸のほっぺたを包むようにした。

「手、冷たいよ、千紗。」

そう言うと、陸は千紗の細い手首を掴んで、そのまま覆いかぶさるように床に押し倒した。

「なぐさめてくれるんでしょ?」

皮のコート越しに、固いフローリングが冷んやりと背中に当たる。陸の髪とセーターからシナモンのきついコロンの香りと埃臭いような、古ぼけたウールの臭いがする。

千紗は表情を変えずにジッと陸の顔を見つめると言った。

「タバコ臭い。こういう慰め方はあんまり得意じゃないかな。」

「あー、そういえばもう一週間くらい風呂入ってないかも。」

陸は自分の腕に鼻を当てて嗅いだ。

「じゃあ、やめた。」

陸は千紗の腕を引っ張って、背中を支えるように抱き起こした。そして、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、台所に消えた。ちょっと、ビックリしたなあ、千紗は立ち上がるとスカートについた木屑を払い落とした。

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