第49話 人造人間レムリカの討伐

 音もなく、箒に腰かけたメディシアスが空高く舞い上がる。

 前触れもなく空へ消えた魔女を、私はただ茫然と見送った。


 ──何が始まったの?


 わかっている。メディシアスが語った話から、彼女が自分を討伐しに来たのだと。

 でも、おかしくはないか。討伐というのは盗賊とか魔獣とか人類に仇成す存在に使われる言葉だ。そんな恐ろしい言葉を私に使うのか。


 人造人間レムリカの討伐。

 その答えが空から降ってきた。


 半球同士を貼り合わせた巨大なガラス球。青い液体と透明な液体の入ったガラス球が視界の端に高速で落下し、地面に激突して砕け散る。

 一瞬で液体が蒸発し、辺り一帯に白い冷気を撒き散らした。

(……急激に温度が下がっていく。氷結系の攻撃!?)

 冷気は空気中の水分を一瞬で凍り付かせながら、石切り場の荒野を広範囲に白い雲で覆い尽くした。


 チィン……。と、どこかで小さな破砕音が響いた。

 音のした方向に視線を走らせると白い雲の向こうに小さな火の粉がちらりと見える。と思った瞬間には、猛烈な勢いで真っ赤な爆炎が迫ってきて私は為す術もなく吹き飛ばされていた。

「――――っぁが!!」

 全方位から爆発的に炎が立ち昇り、一瞬遅れて頭蓋骨を揺らすような爆音が轟く。音速を超えた爆風が、岩の両腕を持った私を木の葉のように舞い上げたのだった。


 地面に仰向けに倒れた私は、上空で旋回しながら次の攻撃を投下しようとしているメディシアスの声を聞いた。

『……魔女の薬棚より我が手元へ来たれ、爆鳴ばくめい水鉢みずばちよ……!』

 召喚術によって呼び出された巨大なガラス球。先程と同じ二色半球を貼り合わせたものだ。先程まで広範囲に渡って冷気を撒き散らす攻撃、と私は思っていたが、その考えは甘かった。

 相手は一級術士、妙薬の魔女メディシアスである。そんな単純で生易しい攻撃手段のはずがない。

 巨大なガラス球に混じって、小さな小瓶も複数落ちてくる。それらは地面に衝突すると砕け散り、小さな火炎を生じた。これが着火源だ。


 二度、三度と避けようもない広範囲で真っ赤な爆炎が膨張する。その度に衝撃波で吹き飛ばされて私は燃え盛る炎の中を上下もわからないほどに転がされていた。

 辺り一面、火の海である。爆発を起こしたガラス球の中身は可燃性の薬品なのだろう。ガラス球が割れた瞬間に周囲の熱を奪いながら急速な気化を起こし、逃げる間もなく標的を爆発範囲に包み込む。


 さらに凶悪なのは、魔女メディシアス本人は飛行術式で上空の安全圏に陣取っており、対空手段がなければ一方的な爆撃を受けるしかないという絶望的な状況であろう。

(……これがメディの、一級術士の力……!?)

 飛行術式はかなり特殊な訓練が必要な術式で、術士でも自在に扱える人間は少ない。加えて、妙薬の魔女メディシアスの本領は爆薬、劇薬、毒薬、ありとあらゆる薬品を使いこなすというもの。

 『魔女の薬棚』と呼ばれる、尽きることを知らない薬品の保管庫から、大量の薬品を召喚するのだ。

 幾度も爆風に吹き飛ばされて、体中に火傷と衝撃波による打撲が増えていく。それでも普通の人間なら即死している爆炎に耐えられているのは、皮肉にも怪物扱いされる原因であるゴーレムの体のおかげか。


『……魔女の薬棚より我が手元へ来たれ、黄緑空気きみどりくうきの呪いばこよ……!』

 外傷が重く、地面を這いつくばっていたところに、上空から聞きなれない術式詠唱が聞こえてくる。

 爆炎では止めを刺しきれないと見て、別の術式を放ってきたようだ。

 私はなんとか立ち上がって森の方角へ逃げようとするが、ちょうどその向かう先に金属製の筒が落下してくる。

 鈍い銀色をした金属製の筒は、地面に強く打ち付けられると仕込まれた動作機構が働いたのか、蓋がぽんっと弾け飛んで筒の中から黄緑色をしたガスが噴き出した。


 ――あの色は危ない。


 本能的にあの黄緑色をした空気が良くないものだと察する。

 しかし、逃げる間もなく黄緑空気は私の周辺に拡散してしまった。

「――っげほぉ!? かっ――」

 日常生活ではまず嗅ぐことのない異様な腐敗臭の刺激で咳が止まらなくなり、涙がとめどなく溢れてくる。

 綺麗な空気を求めて喘いでも、周囲には黄緑空気が漂っていてさらに濃い毒気を吸い込んでしまう悪循環だ。

 とにかく、この毒の空気を散らさないとどうにもならない!


『……旋風トゥールボ!!』

 あまり得意ではないが、共有呪術シャレ・マギカの『旋風』を発動して、黄緑空気を吹き散らした。

 ようやくまともに息ができるようになって上空を見上げると、メディシアスは変わらず箒に腰かけて旋回しながらこちらを見下ろしていた。


「……あれだけの爆炎と……毒気にてられても死なないのね……やはり人間ではない……」

 メディシアスの独り言が、耳の良い私には聞こえてしまった。

 肌を焼く炎より、喉を侵す毒よりも、親しかった人の冷たい一言が耐え難い痛みとなって突き刺さる。

 彼女は確実に私を殺しに来ている。そこにかつての友情を感じさせる温情はない。


(……戦うしか、ないのかな……)

 対話を拒絶するかのように空高く飛ぶメディシアス。声をかけたくてもその距離は遠く、先ほどの毒気で喉も傷めてしまったので大きな声が出せない。

 態度で示そうにも無抵抗でいれば一方的に爆撃されてしまう。逃げようにもあちらの方が移動速度は断然速くて追いつかれてしまう。

「なら……! 戦うしか、ない!!」

 戦って、どうにかメディシアスを捕まえて、話を聞いてもらうしかない。その為には彼女を力づくで押さえ込むほかないのだろう。


 だが、上空を飛ぶメディシアスにどうやって対抗すればいいのか。

 悩んでいるうちにメディシアスは次々と爆薬を放り投げてくる。

(――そうか。あれを……!!)

 咄嗟に閃いた私は迷わず術式を行使する。戦闘が開始してから、初めての反撃である。


石弾ストォヌ・ブレット!!』

 意識を集中して、共有呪術シャレ・マギカの『石弾』を発動する。

 岩の両腕に刻まれた魔導刻印が橙色に光り輝き、小さな握り石程度の『石弾』が数百発。威力は低いが散弾の如く空に向かって撃ち出される。

 礫の嵐が落下途中の『爆鳴ばくめい水鉢みずばち』を撃ち抜き、空中に白い雲が漂って霧散した。


 不発に終わった爆撃を見て、メディシアスがやや困惑したように上空を旋回している。

「……対空迎撃を……?」

 ぼそり、とメディシアスの呟き声が聞こえてくる。

 攻撃が止まった今が声をかける機会と判断して、私は喉が裂けるような痛みに耐えて大きく声を上げた。長々とした台詞を吐く余裕はない。だから、ただ一言の呼びかけだけで想いを伝えよう。

「メディーっ!!」

 両手を開いて空にかざし、抵抗の意思がないことを示す。


 上空を旋回していたメディシアスの動きがぴたりと止まる。

 ちょうど私の真上に静止すると、メディシアスは細長い腕をすっと伸ばし、私にも見えるように小さなガラス瓶を落下させる。

「……やめなさいよ」

 メディシアスが私の耳でぎりぎり聞き取れるかどうかという小声の独り言を口にした。

 その言葉に気を取られ、メディシアスの表情をもっとしっかり見ようと上を向いた私の額に落ちてきたガラス瓶が当たって割れ、中の薬液をぶちまける。

 かぁっ、と薬液に濡れた部分が熱くなり、ひりついた痛みが後から襲ってくる。

「……ぅあっ!?」

 たまらず膝を着いて、薬液の付いた顔を拭う。強力な酸だろうか。すぐに『小水流アクア・フルクス』の術式を発動して顔を洗い流した。

 悲しいけれどこれが、魔女メディシアスの返答だった。


 大きく旋回をした魔女メディシアスは飛行術式の速度を増して攻撃を再開してくる。

『……魔女の薬棚より我が手元へ来たれ、爆鳴ばくめい水鉢みずばちよ……!』

石弾ストォヌ・ブレット!!』

 私も先程と同じように『石弾』による礫の嵐で迎撃する。

 だが、石弾が水鉢を打ち壊すより前に水鉢が破裂して、前方に爆炎を撒き散らした。


「うっ……!? 熱波がっ!?」

 一瞬にして爆炎が身を包み、周囲一帯が煙で何も見えなくなる。

 今の攻撃、私の予想以上に速く飛んできた『爆鳴の水鉢』が、砕けると同時に爆発した。飛行術式で加速した状態から放ったせいか水鉢の飛来速度が速かったというのはある。だがそれだけではなく、先程とは何かが違っていた。

 立て続けに空気を引き裂く爆裂音が発生し、左右前後上とあらゆる方向から爆圧が襲ってきて吹き飛ばされる。

 真っ赤な炎で埋め尽くされる地獄のような光景の中、視界をかすめて飛んでいく『爆鳴の水鉢』。それを後方から追ってきた『炎弾イグニス・ブレット』が撃ち抜いた。

 私のすぐ横で強烈な爆風が生まれる。

「これ、メディが撃ってきている!? 『炎弾』による直接点火……!」


 苛烈なまでの連続爆撃が続く。

 既に周囲の視界は煙で遮られ、『爆鳴の水鉢』がどこから飛んでくるかもわからない。迎撃しようにも水鉢の飛来速度は速く、『石弾』で撃ち落とすときには間近まで迫っており、即座に『炎弾』で着火されるので広範囲に拡散する爆風は防ぎようもなかった。


「終わりよ……」

 不意に耳元でメディシアスの声が聞こえた。

 実際にはそこまで至近距離で囁かれたわけではなかったのだろうが、いつの間にか低空飛行で近づいてきていたメディシアスは私の足元に『爆鳴の水鉢』を四個、着火用の火炎瓶と共に放り捨てると、飛行軌道を直角に折り曲げて上空へと離脱していく。


 ――きゅぅぼぉおっ!!


 閃光が走り、爆鳴が轟く。

 これまでで一番の大規模な爆発が巻き起こり、信じられないくらい軽々と私の体は空高く舞い上げられていた。

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