第18話 特例討伐依頼
グレミーの助言を受けて、私は森での狩りのやり方を変えた。
草木に隠れるよう身を屈めて、なるべく足音を立てずに森を巡回する。本職の狩人のように獣の歩いた痕跡を見つけて追跡したりはできないが、少なくとも向こうに先に発見されて逃げられる確率はこれだけでも減らせるはずだ。ただ、どうしても速くは動けないので、探索範囲はひどく限られてしまう。探索の効率は悪いかもしれないが、獣から確実に逃げられてしまうよりはましだ。
仕方なく慣れない狩りを続けていたが、狩りに成功するのは五日から十日も粘って一回くらいだった。その一回で大物が狩れればいいが、いつもそんな都合のよい相手が狩られてくれるとは限らない。
森猪あたりを仕留められればいいのだが、灰色狼なんかだと可食部は少なくて毛皮の状態が良ければ引き取ってもらえる程度だ。しかし狼だと毛皮が状態のいい完品で金貨一枚くらいの価値。狩りにかけた時間が五日以上に及べば赤字になってしまう。
グレミーに助言を受けてから、私は静かに身を潜めながら森を探索するよう心掛けていたのだが、それでも匂いか何かで察知されるのか、獣との遭遇率は依然として低いままだった。それでも忍耐強く森を歩き回って二刻ほど経過したころ、ようやく私は獣の姿を見つけることができた。
枝分かれした長く雄々しい角が特徴の
牙獣の森でも数の多い種類で、仕留めれば立派な角と肉それに皮が手に入る。肉は高タンパク質で低脂肪、栄養価の高いものだ。皮もうまく加工してやれば水に強い生地になる。角は薬に使ったり、矢の
しかも武闘術士で弓を使う人などは鹿角の鏃に魔導回路を彫り込んで、強力な魔導武器として使用する。この魔導素材としての価値が剛槍鹿の角の特徴かもしれない。矢を放つ直前に回路に魔導因子を流すことで、様々な効果を矢に付与することができるらしい。遠くまでよく飛ぶように風の魔力をまとわせたり、矢が刺さった相手を麻痺させる呪詛を込めたりすることもあるそうだ。
消耗品になるので需要は尽きることがないらしい。
剛槍鹿を見つけられて私はひとまずほっとしていた。視認さえしてしまえば、かなりの高確率で仕留める自信があるからだ。
初めて森猪を狩ったときは力任せに叩き潰してしまったため、半分くらいの肉を無駄にしてしまった。その反省を活かして、奇襲がかけられる状況であれば術式で上手に仕留める手段を私は考え出した。
意識を集中して、脳から発生させた魔導因子を右腕に刻まれた魔導回路へと流し込む。術式発動の前準備が整って、岩の腕に描かれた魔導回路の紋様に仄かな光が灯る。僅かな光だったが、剛槍鹿が異変を察知してこちらへ視線を向けた。だが、もう遅い。
『
剛槍鹿の頭部を狙って攻勢術式を撃ち放つ。地面の
眉間を狙った石弾はしかし、首を捻った剛槍鹿の角に激突して砕け散る。角の片方が折れ飛び、受けた衝撃で剛槍鹿がふらつく。
「外した!?」
ゴーレムの半身になってからというもの、術式の威力や運動方向の制御が難しい。動かない的にならどうにか狙った場所に当てられるようにはなってきたが、こちらに気が付いて全力で逃走を始められたら狙い通りの場所に当てるのは難しい。
ただ殺すだけなら威力に任せて吹き飛ばしてしまえるのだが、なるべく綺麗な状態で獲物を仕留めるには攻勢術式は向いていない。少なくとも今の私には綺麗に仕留めるのは無理だ。そうなったら残る手段は一つしかない。
直接、とっ捕まえて首の骨を折る。
一ヶ月前では考えられないような野蛮な行為。けれどそれが今の私にできる最善の手段なのだ。
剛槍鹿がふらふらした足取りで逃げ出そうとするのを、私は隠れていた木陰から飛び出し全速力で追いかけた。剛槍鹿が速度を上げて逃げるより早く、飛びかかった私は剛槍鹿の角を掴み、思い切り空中に向けて捻り上げた。勢いで剛槍鹿の体が宙を舞い、その巨体の重量を首が支えきれずに折れ曲がる。
ぶちぶち、ぼきり! と、首の筋と骨が折れる音が聞こえた。
かなり乱暴な仕留め方だったが、体にはほとんど傷をつけずに剛槍鹿を絶命させるに至る。
どうにか仕留められた。
その後はすぐに血抜きなどの処理に入り、最後は肉を『氷結』の術式で凍らせて袋に詰める。
「これでまた当面の生活費は稼げた……けど……」
とても疲れた。
この剛槍鹿を一匹仕留めるまでに、今回は十日もかかった。なんにしろ獲物を見つけて、こちらの射程圏内に捉える状況を作り出すのにそれだけの期間がかかってしまったのだ。どうにか大物を仕留められたので、この十日間の努力は無駄ではなかったと思いたい。
森都に戻り、冒険者ギルドの素材換金所で剛槍鹿の肉と角、皮などを査定してもらって、十日間をかけた狩りの報酬が渡される。
「剛槍鹿が丸々一頭で、査定額は金貨二枚になります」
「金貨二枚……」
悪くはないが十分とも言えない金額だった。剛槍鹿一頭ではこれが限界か。十日間の労働と引き換えに考えると、生活費を差し引いて少し余りが出るかなといった程度だ。常にその日暮らしの現状を考えると、もう少し余裕を持った収入が欲しいところである。
「レムリカさん、猛獣相手でも戦うのは不安がないのに、獲物を見つけるのに時間がかかるっていうのは難儀なものね。仕留めた後の処理も上手だから、レムリカさんにはどんどん獣を狩ってきてほしいんだけど……」
最近になって私の事情をよく知るようになった素材換金所のお姉さんが苦笑いをしている。
私の狩りの効率が悪いのは、冒険者ギルドではもはや周知の事実だ。本当は誰か獲物を見つけるのが得意な人と組んだりできればいいのだが、当然のことながら素性の怪しい私と組んでくれそうな人はいなかった。
大体、この森都で長く活動を続けている冒険者や狩人は、既に固定の仲間で組んでいたり独自の手法で狩猟を行っているため、私が手を貸せるような人達がいないのだ。これから人数を集めて狩りをしようというのは駆け出しの冒険者くらいなのだが、そういう新人はまず私の異様な姿を見て避けるので話し合いの機会すらない。
「う~ん、そうねぇ。レムリカさん試しに特例討伐依頼を受けてみてはどう?」
「特例討伐依頼?」
「詳しくはギルドの受付で聞いてみるといいわよ」
何故かいたずらっぽく片目を閉じて笑顔を見せるお姉さん。何か裏がありそうだが仕方ない。この際、多少の危険は目をつぶろう。
素材換金所のお姉さんに言われた通り、ギルドの受付嬢に聞きに行ってみると少し眉を潜めながらも説明をしてくれた。
「特例討伐依頼というのは、ある程度の確証をもって既に存在が確認されている猛獣の駆除を目的としたものです。その時々で価値の変わる素材持ち込みよりも、特定の猛獣個体を狩ることで特別報酬が付いてくるので、一回の依頼で大きく稼ぎたい人に向いています。狩るべき獣のおおまかな位置なども狩人組合で下調べされていることが多いですから、探す手間も省けますね。ただ、並みの狩人では対処できないほどの危険案件である場合がほとんどで、冒険者でもよほど腕が立つ人でないと引き受けることはないですよ?」
言外に本気で受けるのか、と言われているようだ。
「森猪や剛槍鹿くらいなら、正面から挑んでも問題ないんですけど……」
「……レムリカさんの格闘能力の高さは相当なものと理解はしています。ただ、特例討伐依頼は冒険者階級Cランクでレベル40以上の冒険者に頼むのが通例です。ただレムリカさんは冒険者ギルドに入って日が浅いですから、まだDランクのレベル20です。危険な仕事になりますから、本来ならお勧めしないのですが……」
「あ……ランクとかレベルなんてあったんですね」
「ギルドでの報酬換金額で自動的に計算されています。一ヶ月程度でレベル20に上がるのは珍しいです。完全な初心者というわけでなく、戦闘経験がありますよね? そうした人であればランクもすぐに上がっていくわけです。レムリカさんも今のペースで焦らずに昇格してから、特例討伐依頼を受けるようにしてはどうですか?」
受付嬢の言うことはもっともだ。普通に牙獣の森で活動して冒険者としてのレベルやランクを上げていけるなら、その方がいいに決まっている。
「だけど私の場合、獣と遭遇すること自体が難しいので。できれば初めから場所がわかっている獣とか、逃げ出さない猛獣の方が助かるんですけど……。正直、今の獣の発見率だと街での生活は苦しくて……」
「そこまでやりたいのであれば、わかりました。特殊な事情もありますし、
「……! お願いします!」
命の危険など今更だ。既に死線をくぐった先、自分が本来の真っ当な命を持っているかさえ怪しいのだから。
受付嬢がカウンターの裏へと引っ込み、数分後に戻ってきたときには一枚の依頼書を手に持っていた。
「ギルドマスターの許可が出ました。まずは特例討伐依頼でも比較的、難易度の低い案件に挑戦してください。それで失敗するようなら、地道に冒険者階級の昇格を目指してくださいね」
こうして私に与えられた初めての特例討伐依頼は――。
『Cランク依頼』
依頼内容:牙獣の森に出現した
出現情報:森都の周囲を長期間に渡り徘徊中。街の周りを日に何度も回っている様子が目撃されている
特記事項:木の棍棒を手に持っており、人が近づくと振り回して威嚇してくる。逃げずに向かってくる好戦的な性格で非常に危険
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