第17話 恐れられし者

 昨晩、久々にまともな寝床で眠れた私は朝の起床も気分よく、宿の食堂で食事を取っていた。昨日は夜も遅かったので他の宿泊客はあまり見なかったが、朝は食堂に多くの獣人が集まっていた。ここでも私は注目の的となってしまったが、街に着いてから奇異の目で見られるのに慣れてしまい、彼らの好奇の視線も平常心で受け流すことができた。


 そんなことより私は朝食のスープを飲むため、小さな木匙を掴んで口に運ぶ作業の方に細心の注意を払う必要があった。スープの入った器ごと持ち上げて飲んでしまうのもありだが、それをしてしまうと人としての最低限の作法さえ、いつか忘れてしまうのではないかという不安に駆られる。これはいわゆる訓練でもあるのだ。思うように力加減のできない岩の腕を使いこなすための。


 私が自らの岩の腕を持て余しながらスープを飲むのに必死になっていると、誰かが目の前の席に座った。他にも空いている席はあるのに、周囲から距離を置かれている私の対面にわざわざ座るのは何でだろう。そう思って顔を上げてみると、目の前にいたのは銀色の毛並みが美しい狼の顔をした獣人だった。

(……ふわふわもこもこの、わんこ……!?)

 ふわふわの毛並みが、村にいた人懐っこい犬を思い出させる。私がゴーレムの半身になる前は向こうから飛びついてきたものだが、今ではもう恐れられて近づいてきてはくれない。私の岩の両腕では優しく撫でてやることも……。

 そんな郷愁を思い出させるような狼人の容姿に、思わずスープを掬う匙の手を止めて見入ってしまった。


 狼人は気軽な口調で話しかけてきて、私としては久しぶりに他の人と仕事以外の世間話をした。どうってことのない会話だったが、私にとっては物怖じせずに接してくれるその狼人の態度に心が温まった。村にいた頃は長い世間話に付き合わされるのが面倒に感じていたというのに、今ではそれも得難い日常だった。

 狼人の名はグレミーというらしい。同じ宿に泊まっているようなのでお友達になれないかと握手を求めてみたのだが……。グレミーは一瞬だけ迷ったような表情をしてから、私の手を軽く叩いた。拒絶されたというよりは軽い挨拶といった感じだった。

 さすがにこの大岩の腕と気楽に握手してくれるほどの信頼関係はまだ築けていない。初対面でこれならむしろ友好的だと見るべきだろう。それでも、世の中の全ての人が自分を恐れて嫌うわけではないのだと、素材換金所のお姉さんのことも思い出しながら、森都シルヴァーナでの生活に微かな希望を抱いた。



 森猪の狩猟で一ヶ月程度の生活費は稼げていたが、継続的に安定した収入が得られるかどうかはまだわからない。

 なので私は早速、牙獣の森へと再び出向いて、二度目の狩りに挑戦しようとしていた。

(……大丈夫、この前はうまくいった。同じようにやればいいだけ……)

 森猪の狩りがまぐれではないと証明したかった。何より、自分自身の力を信じるためにも。


 そう思って――その日、私は牙獣の森を丸一日走り回り、ついに日が沈んでも一匹の獣も狩ることができなかった。

「な、なんで……?」

 その日は偶々、運が悪かっただけかもしれない。

 そんな淡い希望は次の日、また次の日と裏切られて、とうとう私は五日間も一匹の獣にも会わずに無駄な時間を過ごしてしまった。

 半刻も森を歩けば獣に出くわす、とは森都シルヴァーナの常識だ。遭遇する獣はどれもこれも凶暴な種類ばかりで、狩人や冒険者が苦労するのはいかに自分の身を守りながら効率よく獣を狩れるかという点に尽きる。これほど獣に遭遇しないことはあるのか、とギルドの受付嬢に仕事を探すついでに聞いてみたら、私のように獣を見つけるところから苦戦するのは駆け出しの冒険者でもまずないことらしい。

 なにしろ突っ立っていても肉食の獣が向こうから獲物とみなして寄ってくるというのだから、私が困っているこの状況は誰にも理解されないことのようだった。


「困った……。どうしよう……。このままだと、収入がなくなる……」

 また、薬草採取の仕事に挑戦するべきか? だがそれはこの前、盛大に失敗をやらかしている。同じ失敗はできない。少なくとも確実に薬草を綺麗に採取できる手段がなければだめだ。

 宿の食堂で大きな腕を頭に乗せて悩んでいる私を、宿の主人ティガが迷惑そうに見ていたが、私は周囲に気を配る余裕もなかった。

「よーお! しけた面してんなぁ、レムリカぁ! 仕事で失敗でもしたかぁ?」

 ちょうど外から帰ってきた狼人のグレミーが、彼の仲間らしき獣人達を後ろに引き連れて声をかけてきた。軽薄そうな態度とは裏腹に、的確に私の状況を言い当ててくるあたりグレミーは本当に勘がいい。いや、人の心境を読み取ることがうまいのかもしれない。なんにしろ他の獣人達に慕われるわけだ。彼の周りにはいつも色んな獣人が入れ替わり立ち替わり囲んでいる。


「狩りが……うまくいってなくて……」

「あぁん? 狩りだぁ? んなもん、森をうろついている獣を適当に絞め殺してくりゃいいだろ。お前さんの腕は飾りかよ?」

 遠慮のない言い方だ。だけど、今の私にはそれくらい軽く言い放ってもらった方が気は楽だ。少なくともグレミーにとって私の岩の腕は、狩りに便利そうな道具くらいにしか思われていないのだろう。

「いや、それが……獣に避けられているのか、いくら探し回ってもここ五日間、一匹も獣と遭遇しなくて」

「はぁ~……? なんだそりゃ。どんだけ派手な音出して暴れ回れば、牙獣の森の猛獣どもが逃げ出すんだ? 意味わかんねぇーぜ」

「暴れ回る……? 私はそんな──」

 グレミーに指摘されて始めて気が付いた。そういえば私は獣を探すとき、どういうふうに動いていただろうか。

 獣を探して森の広範囲を捜索するため、邪魔な木の枝は折り払いながら全速力で木々の間を走り抜けていた。重い体で地面を揺らし、大きな足音も立てて。


「もしかして、狩りって静かに獣を探すもの……?」

「あったりめーだろ。お前みたいな怪獣がどかどか突撃してきたら、さすがに血の気が多い猛獣でも逃げ出すわなぁ」

 か、怪獣……!? グレミーの怪獣呼ばわりに軽く傷つくが、それよりも重要な気付きを得ることができた。闇雲に森で獣を探し回ってもだめなのだ。獲物に察知されないように静かに動き、相手より先に姿を見つけ出す。そこからもう狩りは始まっていたのである。

「わかった! グレミーありがとう!」

「おう? 本当にわかったのかよ? まあいいけどよ。狩りに成功したら、少し肉を寄越せよな。ティガの奴に切り分けてやれば宿の飯で出してくれるぜ」

 べろりと舌なめずりするグレミーにもう一度お礼を言って私は狩りの準備に取り掛かった。

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