第16話 狼の鼻

(……あん? なんだ、この気に障る臭いは?)


 その日、獣人の傭兵達を率いる頭領、狼人のグレミーは馴染みの宿で朝から不穏な臭いを鼻に感じ取っていた。臭いの元を辿って一階の食堂へと下りていくと、それはすぐに目についた。

 二房に結い分けられた金髪と、肩を出した開放的な衣装であらわになっている日に焼けて健康的な褐色の肌。まだ幼さを感じさせる少女の顔をしていて、荒くれ者しかいないような宿で見かけるのは珍しい、というより奇異に映る娘であった。

 だが、それよりも何より目を惹くのは頭部にくっついた角のように尖った二つの岩、そして胴体と同じくらいの太さはあろうかという岩で組まれた大きな両腕だった。


 馬鹿みたいにでかい腕と手で必死に木の匙を摘まんで、朝食のスープを恐る恐る口に運んでいた。そんな姿を周囲の獣人達が呆けた表情で遠巻きに眺めていたが、本人は一匙一匙の動きに集中しているらしく注目を集めていることに気が付いてはいなかった。

 自分もまた間抜け面を晒して注視してしまっていることに気が付いたグレミーは、他の連中が我を取り戻すよりも先に平常心を取り戻し、余裕たっぷりの態度で宿のカウンター前に腰かけた。カウンターの中には朝早くから起きていたであろう虎人の姿があった。

 宿屋の管理人である虎人に狼人のグレミーはにやりとした笑みを向けて、からかうように話しかけた。


「おいおい、ティガ! なんだあの妙にかわいらしい岩人形ロックゴーレムは? てめぇの趣味かよ」

「ちげーよ、馬鹿。わけありの客だ。中央区画の方じゃ宿を取れなかったんだとよ」

「それで泊めてやってんのか? へっ、てめえも宿屋の主人が板についてきて、随分と丸くなったもんだな。もう、傭兵稼業には戻らねえのか?」

「うるせえ。今は休養中だ。怪我が治ったら傭兵業も再開するに決まってんだろ。こんなボロ宿、継いでやるかよ」

「けっ! んなこと言ってっとまた大虎の親父に半殺しにされんぞ」

「……親父の話はやめろ。噂をするとやってくるんだよ、あの人は……」


 『大虎の親父』とはティガの養父であり、この宿の本当の主人だ。今は一時的に、傭兵業を休業しているティガに宿の管理を任せている。ティガはこの強面こわもてと威圧的な態度で獣人達の間でも恐れられている。実際に傭兵としての腕前もかなりのもので、グレミーもティガの腕は買っていた。ただ、最近少し下手を打って怪我をしてしまったため、療養ついでに宿の主人の真似事などやっている。

 ティガの仕事は部屋の出入りの管理くらいで、掃除や洗濯など細かい仕事は昔からこの宿で働いている犬人の婆さんが任されていた。

 大した仕事もなく、暇を持て余したティガはそれまで形だけで使われていなかった食堂を酒場に改装し、朝には軽い食事を出すようになったのだが、これが意外にも好評で宿泊客以外の連中も朝食やら晩酌に訪れるようになって、宿はいつの時間帯でもそれなりに賑わっていた。


 最近ではあまりにも宿屋の主人が板についてしまい、ティガが傭兵を引退するのではないかと噂も流れていた。グレミーとしては親友のティガとまた大きな仕事をして一旗揚げたいと思う一方で、大虎の親父が望むように地に足の付いた仕事で人生を送るのもティガにとっては悪くないかもしれない、などと葛藤してしまうのだった。


「へっ……。まあ、おめえが傭兵業を続けるつもりでいるのはわかったがよ。残念ながら次の仕事には連れて行けねぇぜ? 兵団総出で、久しぶりの大仕事になるからなぁ。鈍った体で付いて来られるような甘い仕事じゃねぇ」

「……くそっ、マジかよ。間が悪ぃな。てことは、もう一、二ヶ月もしねえくらいで出るのか?」

「たぶんな。情報が確定次第ってところだが」

「裏取りを進めていたのか。相変わらず慎重なこって……」

「それだけでけぇ仕事になるんだ。何も準備せずに挑むのはただの馬鹿ってもんよ。……そんで、あのゴーレム娘だがよ。腕っぷしは強いのか?」

「は? よく知らねーよ。昨日、ふらりとやってきたんだぜ。まあ、腕力だけは見掛け倒しってこともなさそうだけどな」

「そうか……使えそうなら引き込むのもありかと思ったが……。ちと探りを入れてみっか」

「おいっ、よせよ。変に絡んで揉め事はお断りだぜ。大人しそうな顔をしちゃいるが、まともな人種じゃねえのは確かだ」


 意外とティガは小心者だ。しかし、グレミーもあのゴーレム娘が可愛らしいお人形などとは思っていなかった。それでも、遠目から見ているだけではよくわからない。ここは一当てしてみて、間近でその人柄や力量を見極めてみたい。

 数々の団員を言葉巧みに、時には暴力でもって自分の兵団に引き込んできたグレミーは、今も必死に朝食のスープを掬って口に運んでいる少女の元へと近づいていった。周囲がざわつくが気にはしない。ゴーレム娘の方も気が付いていない。

 グレミーがゴーレム娘の対面の席に座ったところで、ようやくゴーレム娘はグレミーの存在に気が付いた。突然、目の前の席に座ったグレミーに驚いたのか、匙を口に突っ込んだまま目を丸くして固まっている。


(……近づいて来られたのも意外ってつらだな……よっぽどこれまで他人から煙たがられてきたか……)

 少女の一挙手一投足を鋭く観察して、その素性を丸裸にしてやろうとグレミーは積極的に声をかけてみることにした。

「よお、嬢ちゃん。食事中に悪いな。スープ旨いか? それな、そこのおっかねえ顔した虎野郎が毎朝仕込んでるんだぜ、笑えるだろ?」

 グレミーが軽い口調で話しかけてやると、他愛ない世間話をしに来ただけの陽気な獣人とでも思ったのか、明らかにゴーレム娘の警戒が薄れる。

「うん、とっても美味しい……。他人が作ってくれた料理を食べるのも久しぶりで、落ち着くかな……」

 そう言ってまた不器用に木の匙を動かし、スープを口に含んで幸せそうな表情をして目を細めている。この様子だけ見ていると、とぼけた印象で間抜けそうにも見えるが、グレミーは彼女が片手に持った棒状の堅焼きパンへさりげなく視線を送る。

 スープにふやかして食べることを前提に保存性を重視して堅く焼いたパン。グレミーのように強靭な顎を持った獣人でもそのまま食べるのは躊躇するパンを、このゴーレム娘はさして顎に力を入れたようにも見えない仕草で、お上品に小さな口を開けて黙々と齧っていた。


(……あの堅焼きパンをそのまんま齧って食うのは、うちのブチくらいなもんだと思っていたが……)

 鬣狗人はいえなびとのブチはグレミーよりも顎の力が強く、その牙は動物の骨でも噛み砕いてしまうほどだ。それだって大きく口を開いてパンに食らいつき、両手で押さえて食いちぎるようなものである。

 ゴーレム娘はたまに木の匙を置いて、パンを武骨な岩の指先に挟み、細かく千切って口に運んだりもしている。でかい腕の扱いがぎこちないことを除けば、それなりに教育を受けた者の振る舞いにも見えた。だが、その指先に込められた力は尋常なものではないはずだ。

(……どうにもちぐはぐな印象があるぜ。それに奇妙なほど肝が据わってやがる。普通の純人じゃないにしろ、獣人だらけのこの宿で平気な顔して朝飯食ってるのはどういう神経なんだ……?)

 先程よりグレミーから無遠慮に観察されていても気にした様子はない。挙句の果てに「食べる……?」と堅焼きパンを差し出してきた。もちろん、断った。これが肉の切り身とかなら美味しく頂いていたところだが。


「食事中に邪魔したな。俺はグレミーってんだ。この宿の常連だから、よく顔を合わせることになるかもな」

「私は、レムリカ。よろしくね」

 何の気負いもなく、穏やかな表情で挨拶を返してくるレムリカ。初対面にしては馴れ馴れしいこの態度、別にグレミーのことを舐めているわけではないのだろうが。ごく自然に差し出された握手の手を軽く叩いて応えてやった。さすがにあの岩の手とがっちり握手を交わすのは不用心に過ぎる。それでもビビっていると思われるのは心外だった。

 軽く叩かれた手の平を見て少し残念そうにしたレムリカだったが、自分で握手を求めておきながらどこか諦めの感じられる表情をしていた。その大きな岩の腕から、グレミーはある特徴的な臭いを嗅ぎ取っていた。

(……今できる確認としては充分だな。後は少し、様子見すっか……)

 グレミーは席を立ち、ティガのいるカウンター席に戻ると軽く一杯酒を頼んだ。


「珍しいな、グレミー。お前が朝から酒なんて飲むとはよ。頭の冴えが悪くなるから、宴の時しか飲まねえっていつも言ってたじゃねえか」

「あぁ、まあな。たまには朝から酒でも飲みたい気分になるときはあんだよ」

 しばらく酒を飲んで管を巻いていると、レムリカが食事を終えたのか席を立って二階の部屋へと戻っていく。彼女が二階に上がって、部屋の扉を閉じる音が聞こえてから、ようやくグレミーは食堂にいた兵団の仲間達に声をかけた。

「おい、聞け!」

 食堂にいた獣人達が一斉にグレミーの声に耳を傾ける。実のところ、今この宿に泊まっているのはグレミー獣爪兵団の団員達だけだった。傭兵の中でもとりわけ粗暴で、森都シルヴァーナでも恐れられている一団の真っただ中にあのレムリカという少女は飛び込んでいたのだ。当然、奇異の目で見られもする。


「いいか、お前ら。さっき会ったゴーレムの嬢ちゃんな。あれには絶対ちょっかい出すなよ」

 グレミーの一声に「おかしら、趣味悪いぜ!」「あの娘っ子に気があるのか!?」と囃し立てる部下共へ冷たい一瞥をくれて一言。

「死ぬぞ」

 脅しを効かせた一言に騒いでいた獣人達が静まり返る。


「鼻のいい奴らは気が付いたんじゃねえか? ……血生臭え。獣の血の臭いで上書きしているが、それだけじゃねぇな。あんなお上品な顔しといて、ありゃあつい最近に人を大量に殺してる」

 洗い物をしていたティガが、がしゃん、と皿を取り落として音を鳴らした。自分が宿泊の許可を出した客が、まさか大量殺人を犯すような危険人物だとは思ってもみなかったようだ。

「ま、マジか……?」

「間違いねえ、人の血と脂の臭いが腕の隙間に滲み込んでいやがる。一体どれだけの人間を擦りつぶしたのかねぇ、あの腕で……くくくっ! はぁーっ、おっかねぇなぁ!」


 獣人達で溢れた食堂がざわつく。

「あんな子供が本当に……?」

「だが、あの岩の腕なら確かに……」

「グレミーの兄貴が言うなら、そうなんだな~……」


 グレミーが冗談で言っているのではないとわかった時点で、部下達は引き攣った笑い声をあげながら静かに解散した。

 彼らの団長の嗅覚は鋭い。過酷な戦場に身を置く彼らにとって、その信頼は絶大であった。なにしろグレミーの鼻を疑って下手な行動をした者は、今日まで生き残ってはいないのだから。

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