第15話 どちらでもなく、何者でもなく

 森猪の肉を換金して得たお金で当面の生活費を手に入れた私は早速、体を休めるための宿探しを始めた。


 村を出て以来、もうずっと野宿が続いている。

 強靭な肉体こそ手に入れたものの、明らかに心身の疲労は蓄積している。ここらで一度ゆっくりと体を休めないと、冒険者としての仕事も長く続かないだろう。

(……何よりも血や泥で汚れた体を綺麗にしたい……)

 衣服に滲みてしまった血痕は取れないかもしれないが、いつまでも森猪の返り血を浴びたままというのは気分が悪い。ひとまず古着屋で替えの服だけは調達したので、手近な宿屋に入って着替えを済ませようと考えた。


 そう考えてとりあえず目についたごく一般的な宿屋へと入ったのだが、私はそこで思いもかけない事態に遭遇していた。

「悪いけどあんたを泊めるわけにはいかないな。他を当たってくれ」

「え……? 満室だったりするんですか?」

「……とにかく、ダメなものはダメなんだ!」

 宿の主人に宿泊を拒まれて、わけもわからず宿屋から追い出されてしまう。

「……?」


 あまりの展開に呆然としていたが、とにかくこの宿屋はダメだとわかったので私は別の宿屋を探した。だがそこでも――。

「面倒ごとは御免だよ。わけありなら他の宿へ行ってくれ」

「いや、私は冒険者だから。この格好も狩りの後で汚れているだけで……」

「そんな物騒な腕をぶらつかせて宿の中を歩かれちゃ困るんだよ。さあ、仕事の邪魔だ。出ていってくれ!」

 またしても取り合ってもらえず、理不尽にも宿泊は拒まれた。めげずに他の宿を探したがどこも理由を付けては断られ、はっきりと迷惑であることを告げてくる宿もあった。

「そんな重量のある体で寝台を壊されちゃたまらない! 宿泊は諦めてくれ!」

 悲痛な声でそう拒絶されてしまっては無理を言うわけにもいかない。古びて人気のなさそうな宿ならばと思ったのだが、私が歩くたびに床板がぎしぎしと軋んで音を鳴らし、いつ床が抜けてもおかしくない様子では本当に宿を破壊してしまいかねない。


 宿を探すうちに、完全に日は落ちてしまった。このままではまた野宿になりかねない、と焦燥感が私を追い立てる。

 もはやこの際、泊めてくれる所ならどんな宿でもよかった。勇気を出していかがわしい宿にまで挑戦したのだが……。

「ごめんねぇ、お嬢ちゃん。うちはカップル向けの宿だからさ。御一人様では泊められないのよ」

 やんわりと、もっともらしい理由を付けて断られてしまった。


 宿という宿から宿泊を断られ続け、他に宿はないものかとさまよいながら気が付けば私は町外れまで歩いてきていた。

 この辺りは町の外周に位置する地区で、低い土塁や粗末な木の柵を隔ててすぐ牙獣の森と隣接しているような場所だ。森から猛獣が飛び出してくれば真っ先に荒らされてしまう、都市におけるいわゆる貧民街というやつだった。

 実際、森都しんとシルヴァーナを囲む本来の防壁は貧民街の内側にある。円周状に高い石壁が街を囲んでいて、街の警備隊の詰め所や冒険者向けの宿屋は大体がその壁のすぐ内側にある。


 防壁と外とは門扉で閉ざされたりはしておらず、所々歯抜けしたように壁のない場所が存在する。それでも有事にはすぐ封鎖できるような仕組みになっていて、ある意味ここまでが森都シルヴァーナなのだ、と理解できた。

 森都の外に位置するこの区域には貧しい者か、あるいは森の獣を恐れぬ荒くれ者達が住み家としている。できればそんな不用心で治安の悪い場所に立ち入りたくはなかったが、こんな地区でも宿に泊まれるというなら森での野宿に比べればずっとましな環境だ。

 ――ここでも泊まれるなら、だが。


 貧民街を歩き回ってようやく宿らしき建物を見つけることはできた。ただ、ここを断られたらもう他に泊まれそうな宿はない。その時は今晩も野宿を覚悟しなければならなかった。

 それどころか、今後ずっと街中で泊まることはできない、ということも認めなければならなくなるのである。



「なんだぁ、小さな嬢ちゃん。ここはお前さんみたいなのが泊まる宿じゃねえぞ」

 見上げるほどに体格のいい虎人とらびとが、肉食獣特有の縦長の瞳で私を睨みつけてくる。とても宿屋の主人が客に向ける視線ではない。いや、事実その通りに私のことを客と見てはいないのだろう。

「街中の宿はどこも断られてしまって……! お金はあります。泊めてくれませんか?」

 虎人の主人は鬱陶しそうに顔を歪めて舌打ちした。

「わかんねぇかな? ここは純人すみびとお断り、亜人種の集まる宿なんだ。今時、人種差別なんて馬鹿馬鹿しいが、地方によってはそういうのあんだよ。棲み分けってやつだ。何も純人側だけが嫌がるものでもねえ。獣人だって逆に嫌な場合もある。嬢ちゃんみたいな純人がうろついていると、気の荒い連中に頭から齧られたって文句言えねえぞ?」


 純人すみびと。それは獣などの血が混ざっていない、古来より純粋な血統である人間種のことを言う。

 純人は他の種が混じった亜人種より知能がやや高いとされているが、それほど優位な差があるわけでもなく、純人自身もほとんどの人は自分達が亜人種より優れた人種などとは常識的に考えていなかった。今の時代、世界全体を見れば亜人種の方が数は多いとされている。純人とはむしろ、そのような世界にあってちょっと珍しい、旧い時代からいる種族といった見られ方なのだ。


 ただ、それも地域によっては純人が多く集まる場所もあり、この辺りもどちらかと言えば亜人種より純人が多い地域に当たる。そうした場所では純人の方が亜人種より幅を利かせている。

 そして、亜人種は亜人種で身を寄せ合うように暮らしていた。中にはあからさまに純人を嫌う者もいて、虎人の主人が言ったように棲み分けがなされているのだ。

(……純人と亜人の棲み分けだって話はわかってる。わかっているけど……)

 純人すみびと、と言われてもそれが今の私には自分のことのように思えなかった。

 私が純人だというならば、自分はなぜ純人の街で宿に泊まることができなかったのか。


 腕を組んで難しい顔をしている虎人を前に、私は絶望していた。それ以上は取り合う気もなさそうな素振りだ。

「ここでも受け入れてもらえないなんて……」

 未練がましい呟きに虎人の主人がぴくりと鼻髭を揺らす。元より険しかった目つきが、さらに細くなって恐ろしい形相になる。

 私は仕方なく、引き下がることにした。肩を落として、行き先の決まらないまま重い足取りで宿を出ようとする。

 閉まっていた扉の取っ手を握ろうとするが、大きな岩の手では上手く掴めず難儀した。親指と人差し指でどうにか掴もうとしていると、不意に背後に人の気配を感じて振り返る。宿屋の主人、虎人の男だ。

「おい、嬢ちゃん。扉をぶっ壊さないでくれよ? さっきはカウンターの下に隠れて気が付かなかったが……その腕はなんだ? それに頭にも岩の角みてえのが生えているが……まさかこれ、装備や飾りじゃないのか?」

「…………生身です」

「生身だぁ!?」

 なんと表現していいのかわからず、岩の腕を生身と説明する。実際に今の私は岩の腕や角を着脱したりはできない。これはもう私の体の一部なのだ。だから、生身という表現でも嘘にはならないはずである。


「岩の肌を持つ種族との混血かぁ? それとも突然変異の合成獣キメラ種か……? 初めて見たわ」

「自分でもよくわからないですけど、たぶんそんな感じです……」

 人造人間ホムンクルス魔導人形ゴーレムの合いの子と説明しても、虎人の主人を混乱させてしまうだけなので適当に話を合わせておく。実のところ私も自分の体がどうなっているのか正確には把握しきれていないのだ。自分ではいまだに純人の呪術士レムリカという認識でいたのだが、近頃はその自覚も曖昧になってきている。

 私は果たして何者なのだろうか?


 虎人の主人はがりがりと頭の毛を掻きむしると、決まりが悪そうにぶっきらぼうな口調で話す。

「はぁ~……面倒くせぇ。まあ、その身なりじゃ純人とは言えないわな。だったらいいぜ、泊っていきな。金はあるんだろう?」

「え……? いいの?」

「さっきは俺も気が付かなかったんだ。悪かったな。どこの常識知らずの家出娘が亜人種の居住区に迷い込んだのかってよ。だが、その見てくれで純人の居住区での宿泊は断られたんだろ」

「はい……。あちこち宿を探したんですけど、どこも……」

「だったらよ。そういう爪弾き者を泊めるのが俺のところの宿だからな。嬢ちゃんには客の資格があるってこった」

 虎人が一本の鍵を放り投げてくる。私は不器用ながらも大きな岩の手の平で鍵を受け止めた。扉用の鍵にしては大きく武骨で頑丈そうだ。私が手で掴んでも簡単には折れ曲がったりしないだろう。


「部屋の鍵だ。ここいらは物騒だから扉も鍵も頑丈なやつになっている。もっとも嬢ちゃんみたいな剛腕で殴りつけられたら一発でぶっ壊されちまうがな!」

「私、そんなことしませんから……」

「冗談だよ! 二階に上がって、一番奥の突き当りの部屋だ。宿泊代金の支払いは、部屋に荷物置いて着替えてからでいい。宿の裏手には井戸があるから、水が必要ならそこを勝手に使ってくれ」

「……部屋、お借りします」

 妙な流れになったが、ここへ来てどうにか部屋を借りることができた。

 二階へ上がって言われた部屋に入ると、私は荷物を下ろして一息ついた。すぐに何をするでもなく、しばし部屋の中で佇んでいた。久しぶりに屋根と壁がある建物で、寝台に横たわって眠ることができるのだ。


「うっ……。やっと、だよ……。やっと、腰を落ち着けられる……」

 寒風に吹かれない建物の中で休める。たかがそれだけのことがここ数日はとても難しいことで、それがようやく叶った。

 その程度のことで喜んでしまう自分がまた惨めで、私は少しの間、部屋の中で声を押し殺しながら泣いていた。

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