第13話 狩人の目

 レムリカが森猪を仕留めたその日、狩人組合ハンターギルドに所属する熟練狩人ハンターサルバは、牙獣がじゅうの森で木々の陰に潜みながら慎重に獲物を探していた。

 牙獣の森を半刻も歩けば、狩っても狩っても一向に減る様子のない猛獣達に遭遇する。

 先に奴らに発見されてしまえば死角から襲われて致命的な事態に陥りかねない。この牙獣の森で猛獣達を狩りながら生き残ってきた熟練の狩人はその怖さを知っている。だから牙獣の森で狩りをするときは自らの気配を極力隠しながら、森に潜んで猛獣の発見に努めるのが狩人の鉄則だ。


 冒険者ギルドで狩人の真似事のように猛獣の討伐依頼を受けている連中はその辺りをわかっていない者が多く、彼らの死亡率は狩人ギルドに比べて三倍以上に及ぶ。

 専ら猛獣討伐の依頼を受けるような冒険者は、狩人ギルドに移籍するようにとよく言われるのだが、色々と決まり事の多い狩人ギルドを煙たがって移籍しない冒険者が多い。その結果として余計な危険を負うのだから自業自得ではあるが、サルバからすれば狩猟の基礎知識を教えてくれる狩人ギルドほど親切な組織はないと思っている。

 特に、この牙獣の森で活動するならば絶対に狩人ギルドに入るべきだ。


 それでも血気盛んな若い連中は口うるさい年配の指導を受けるより、自分の腕一本で成り上がることを好む傾向がある。まあ、それは自由だ。命の危険と引き換えに自由な生き方を選ぶことを止めることはできない。

 かくいうサルバも若い頃は誰の師事も受けることなく、独学で狩りを学んだ手合いだ。もっとも、そのせいで大変な苦労をしてきたからこそ、若い連中には狩人ギルドに入るよう勧誘している。

 ただ、若い連中からしたらサルバも口うるさい年配の狩人としか見られないので、結局は冒険者の自由意思に任せるしかない。せめて狩人ギルドに入ってきた若手だけは大切に育てて、一人前になるまで生かしてやりたい。


 そんな思いを日々抱きながら森の中で狩猟を続けていたサルバは、最近やけに獣の数が多いことに警戒していた。冒険者の死亡率も上がっていて、狩り手が減るほどに猛獣の数もまた増えてと悪循環になりかけている予感がするのだ。そのため若い狩人には森に入る際は普段以上に注意するようにと伝えてある。日頃、単独で行動する狩人にも、なるべく数人で組んで動くように推奨した。

 熟練狩人のサルバは単独で動いているが、これはサルバの場合は一人の方が身を隠しやすく、危険を減らせるからだ。獣の耳や鼻をごまかせない駆け出しの狩人は、獣に発見されることは前提として戦力を揃えることを優先した方が確実なので、逆に複数人で固まって動くことになる。


 そうした経緯から単独で森の中を動いていたサルバは、その日、不自然なほど森が静かなことに違和感を覚えた。

(……妙だな。今日はやけに獣の姿が少ない……)

 猛獣達の増加に警戒していたというのに、今日に限ってはむしろ獣の姿が見えない。まったくいないわけではないのだが、普段より活動している獣が少ないのは間違いなかった。だが、急に獣が減ったということはないだろう。こういう時は余計に注意が必要だ。それだけ身を潜めている獣が多いということで、思わぬところで猛獣と出くわす危険があるからだ。

 安全だと思って身を潜めた場所に、同じことを考えた獣が潜んでいたなんて、そんな不幸も獣が多いこの森の中ではよくあることだった。


 周囲を警戒しながら注意深く森を歩いていたサルバはふと、今までに森の中では見かけたことのないものを見つけた。

(……なんだこれは……?)

 大きく抉られた地面の横に積み上げられた土の小山。それが一定間隔で森の奥に向かって点在している。何かの目印のようにも思えたが、それにしては随分と荒っぽいものだ。

 これだけ目立つものだと秘密の印というわけではなさそうである。

 そして人がシャベルで掘ったにしては、地面にできた穴の縁がひどく荒い。目印にしてもわざわざこんな大きな穴を掘る理由もわからない。だとすれば、これは人ではないもの、獣の仕業だろうか?


(……穴を掘る獣は少なくない。ただそれは食糧を埋めて隠すためか、巣穴を作る場合に限られる。これはそのどちらでもない……)

 他にも獲物を捕らえるための落とし穴を掘ったとか、天敵に見つからないよう排泄物を隠すなどの行為も穴を掘る理由にはなるが、どうも牙獣の森に掘られたこの穴にはそうした意図が見受けられない。

 そこで初めに思い浮かんだ可能性に思考が立ち戻る。すなわち、何かの目印であるということ。

 獣が残す目印としては初めて見るものだ。広範囲に渡って等間隔に目印を残すのはどういう理屈だろう。穴の大きさからして、かなり大型の獣が穴を掘ったように見える。これらの状況を考慮して、熟練の狩人が出した答えは――。


「縄張りの目印シグナルか?」

 新種の大型獣による縄張りの目印シグナルではなかろうか。その可能性に思い至った直後、あまりにも広範囲に点在するそれにサルバは危機感を覚えた。

 大型の獣が通ったと思しき獣道は、人の腕ほどの木の枝が無数にへし折られていた。

 昨日まではこんな縄張りの目印はなかったし、獣道も存在しなかった。想定できるのは、移動速度がかなり早く、木の枝を容易く折るほど力強い、広範囲に縄張りを広げようとする獣だ。


 問題はこいつがただの大型草食獣か、それとも肉食の猛獣なのかだ。

 点在する目印の小山を辿って森を歩き回るうちに、サルバは狩場では嗅ぎなれた臭いにふと気が付く。濃厚な血の臭いだ。

 警戒度を高め、あえて獣道から脇に外れて、木々に隠れながら慎重に歩みを進める。


 血臭が最大に強まった場所で辺りを見回すと、草の背が低い、少しばかり開けた地面に一匹の獣の死骸が無造作に転がっていた。

 おびただしい血痕とぶちまけられた臓物。

 打ち捨てられた死骸の一部から成獣の森猪だと予想できたが、可食部の大半はその場に残っていなかった。ナイフなどで腱を切って解体したものではなく、太い骨も半ばから無理やり力技で折られている。相当に強い力でへし折られたのか、砕けた骨が何本も突き出していた。


 おそらく人間の仕業ではない。刃傷や矢傷などの痕が見当たらず、術士による攻勢呪術が使用されたような形跡もない。純粋な力で森猪を捕まえ、引き裂いたとしか思えない。それにしては獣の爪や牙の痕もないというのが不可解ではあったが。

 肉は巣にでも持ち帰ったのかと思ったが、それにしては辺りに血の垂れた痕跡が見当たらない。つまり、森猪を殺した存在はこの場で肉を食べてしまったと考えられる。

 これだけの大物を殺してその場で食べてしまうとなれば、この捕食者はかなり大きい肉食獣ではないか?

 もしかすると巨大な竜種だったりするかもしれない。

(……それにしてもやはり、妙だ……)

 森の中にぶちまけられた血と臓物。野の獣にとってこれほどの御馳走はない。すぐにも他の獣が寄ってきて取り合いになるはずなのだが、どういうわけか臭いに敏感な肉食獣は寄り付かず、どこからでもすぐ飛んできそうな鳥類もいなければ、小動物一匹すら付近には見当たらない。


 警戒しているのだろうか。

 森猪を食った正体不明の怪物を。


(……いずれにしても、これは狩人ギルドに報告が必要だな……)


 サルバは街へ戻った後、その日見た森の異変を詳細に狩人ギルドで報告した。

 熟練狩人の報告を受けた狩人ギルドは、危険な大型の猛獣が出現した恐れあり、と狩人ギルドで通達を出したほか、冒険者ギルドなど牙獣の森で仕事をする関係者にも早々に連絡を回した。


 狩人ギルドでは熟練狩人の報告とあってそれなりに重く受け止められた。

 しかし、冒険者ギルドでは大型の猛獣が出現するのは珍しくもないことと軽く流されていた。それは、余計な波風を立てたくないレムリカにとっては幸運なことであった。

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