第12話 狩猟生活の始まり

 一度、街まで戻ってきた私は改めて方角を変えて、森の探索を開始することにした。

(……だいぶ時間を無駄にした。今度は少し早めに移動しよう……)

 先程は慎重になり過ぎて探索に余計な時間をかけてしまった。この広い森の中、常に移動する獣を捕捉するには、こちらも素早く動き回って広い範囲を探索するべきだ。その方が遭遇率も上がるに違いない。


 思い直してからは行動に迷いはなかった。

 ざざざっ、と草木を掻き分けながら先ほどとは異なる方角へと探索の足を伸ばす。走りながら平坦な地面を見つけてはざっくりと土を掘り返し、即座に土を握り固めて穴の横の地面に押し付けるようにして小山を作る。この作業もかなり手慣れてきた。

 堀った穴と小山は、穴側が街の方角で小山が森奥に向かう方角。等間隔に作られた小山は、方角を見失いやすい森の中ではいい目印になってくれる。


 四半刻ほど走り続けたところで、不意に目前へと一匹の獣が飛び出してきた。大人が両腕を広げたくらいの全長がある巨大な『森猪もりいのしし』だった。

 それは本当に偶然だったのかもしれない。目の前で急停止した私を森猪は目を丸く見開いて注視し、慌てたように四足をばたつかせて後退した。少し離れた場所からこちらの様子をうかがう森猪。立派な太い二本の牙が口元から生えている。

 あの牙で突かれたら普通の人間は間違いなく一撃で致命傷を負うことになるだろう。いや、そもそも牙で突かれずともあの巨体による体当たりを食らえば、それだけで弾き飛ばされて骨を折るか、最悪はそのまま踏み潰されて内臓破裂までありうる。


 森都しんとシルヴァーナがなかなか森を切り開いて拡大できない理由もよくわかった。大勢の冒険者がいるにも関わらず、牙獣の森が常に猛獣で溢れかえっている、その理由。

 これだけの大きな猛獣が相手では、そう易々と狩りが成功するわけもない。狩りに挑んだ冒険者側の被害だって少なくないだろう。

 だから、狩り切れないのだ。

 数を減らすよりも増える方が早いので、いつまで経っても猛獣による被害は減らない。森の開拓もままならないのである。


 私は突然の獣との遭遇に驚いてどうするべきか迷ってしまった。ひとまず森猪の突進に備えて、いつでも回避行動に移れるよう腰を落とした。

 ――それで、どうする?

 こんな大物の狩猟など経験したことはない。思えば狩りのための道具も何もなかった。


 私の馬鹿。

 せめて縄とか、獣の行動を阻害するような道具くらい用意しておくべきだった。

 武器は……お金もないし、今はこの忌々しいほどに武骨な岩の拳で殴るしかないか。ゴーレムの体になったとはいえ、自分の体より一回りどころか二回り以上も大きな猛獣と素手で格闘。あまりの無謀さに泣けてくる。


 そんな私の逡巡を見て取った森猪は急回転して背中を向けると、土を蹴り森の奥へ向かって駆け出した。

「え――?」

 それは紛うことなき全力の逃走であった。

「ま、待てっ! 待って!!」

 あれほどの巨大な森猪だ。『牙獣がじゅうの森』の猛獣ならば、自分の縄張りに入ってきた人間に対して果敢に襲い掛かってくると、そう聞いていたからこそ私は慎重に森猪が突撃してくることを予想して構えていたのだが。

「いきなり逃げるって、聞いていたよりずっと臆病だ!!」

 野生動物の考えることである。少しでも自分に危険があると思えば逃走するのは必然。しかし、この森猪は私を見て、何をどう判断して即座の逃走を選んだのか。


 私は逃げ出す森猪を追いかけた。やや出遅れたが全力疾走したときの速度は私の方が速い。

 森猪が「ぶきぃいいいっ!!」と苛立ち紛れにも聞こえる威嚇の声を上げながら、急反転して突撃してくる。逃げ切るのは無理と判断して、追手を迎え撃つことに決めたようだ。

 私は、今度はもう足を止めることはなかった。真正面から森猪に向かい殴りかかっていく。猛獣相手に自分は何をしようとしているのか。馬鹿げたことをしていると思った。でも、確信があった。本当はわかっていた。

 恐れを抱いているのは森猪の方だ。私じゃない。狩るのは私、狩られるのは獣。それが今の状況なのだ。


 森猪の突進を寸前で横にかわし、すれ違いざまに右の大腕を森猪の背中めがけて振り下ろす。

 手加減なしに殴りつけた拳はまるで泥団子を叩き潰すかのように森猪の背中へめり込み、背から腹へと抜けて地面に獣の内蔵をぶちまけた。

 森猪が苦悶の鳴き声を漏らし、その巨体が地へと横倒しになる。


 大きく開いた腹の穴から、どくどくと血が流れだしていく。生命が失われていく圧倒的な光景を前にして私は青ざめたまま立ち尽くしていた。つい先日、大勢の人間をその手で叩き潰した記憶が蘇ってくる。

 命を奪う事の罪悪感とかそんなものは一切なかった。家畜の鶏を捌くように、私はただ野生の獣を狩っただけだ。あの時だって、獣にも等しい低俗な人間の集団を叩き潰しただけなのだ。

 それでも拳にこびり付いた肉の感触や、飛び散った血液の錆びた臭いはただひたすらに気持ち悪かった。生きるための行いの結果としても、生き物を殺して臓腑を抉りだす行為は嬉々としてやることではない。森猪の巨大な体は、その質量をもって私に命の重みをまざまざと見せつけてくれる。


「……あぁ、でもよかったかな」

 唯一の救いは、私の感覚が以前の私のままであることが確認できたこと。

「私はまだ、喜んで獲物の肉を貪るような獣には……成り下がってなかったんだ」

 村を飛び出してからは常に空腹であった私でも、仕留めた獲物の生肉にかじりつくほどの野生には落ちていなかった。


「呆けてないで肉の処理をしよう。私の腕じゃ雑にしかできないけど……」

 ひとまず肉の塊から十分に血を抜いてから要所要所の骨を折って分割し、潰れた内臓が付着した部分はごっそりと取り除いて、肉と皮だけを別に剥がして取り分ける。激しく殴りつけたので森猪の体の半分くらいは傷んでしまった。それでも、可食部となる肉や、加工に使えそうな毛皮は相当量が取れた。

 本職の狩人が見たら怒りそうなほど雑な処理だったが、私の不器用な岩の腕ではこれが精一杯。内臓は痛みが激しかったので捨てていく。


 大雑把に処理を終えた肉を見れば所々に土や草が付着していた。これはあまりよろしくない。汚れは単純に肉の評価を下げるし、腐敗の起点になりかねない。私は軽く意識を集中すると、腕に刻まれた魔導回路に脳から発生させた魔導因子を導通させて簡単な共有呪術シャレ・マギカを発動する。

『……小水流アクア・フルクス

 小規模の水流を生み出して肉を洗い流し、後は肉が腐りにくいように氷結系の共有呪術で凍らせる。

氷結ジェリードゥ!』

 ぼぉっ、と岩の腕に刻まれた魔導回路が橙色の光を発した後、魔力が強烈な冷気となって手の平から森猪の肉へと伝わっていく。本来は氷結効果のある魔力の塊を射出して標的を凍らせる呪術だが、これは制御を少しいじって私が手で触れたものを凍らせるようにした。

 手先が不器用になった代わりに、馬鹿みたいに強力な腕力と魔力を手にした私にとって、この作業はそれほど苦労しなかった。肉を凍らせるなら強めの冷気であるほど都合が良い。炎の呪術で程よく焼くよりは、よほど制御に気を使わず楽なのだ。


 狩りのために唯一持ってきていた獲物を入れる麻袋を広げて、凍り付いた森猪の肉を収納していく。森猪の巨体の半分以上を捨てていくことになったが、それでも肉の量としては麻袋にぎゅうぎゅうに詰め込んでどうにか入り切るくらいのものとなった。結果的に持ち帰る分量としては丁度良くなったが、今後は余分に袋があった方が良さそうだと私は考えた。


「肉の処理に随分、時間がかかっちゃった。急いで帰ろう」

 せっかく鮮度を保つために肉を凍らせたのだ。できれば今日中にギルドへ納品して現金化したい。それと連日に渡って野宿はつらい。どこか街中の宿も見つけたかった。

 森猪を追って森の奥深くへ入り込んでしまったが、ここまでの道のりは草木をなぎ倒してきたこともあって戻るための道を探すのは簡単だった。ほどなくして地面に作った目印の小山を見つけた私は、方角を確認してから来た道を軽快に駆け戻っていった。

 帰り道は木々の枝葉も落とされていて、苦労することなく街へと帰還することができた。

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